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女性貿易商 大浦慶

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詳細 2015年1月23日 20:11更新

大浦慶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大浦 慶(おおうら けい、文政11年6月19日(1828年7月30日) - 明治17年(1884年)4月13日)は、日本茶輸出貿易の先駆者。

生涯

文政11年(1828年)に油商の大浦太平次、佐恵の娘として生まれる。後に、賀古市郎右衛門の次男、大五郎(1818年 - 1837年)が婿養子として大浦家に入る。しかし、慶が9歳のときに死ぬ。大五郎の死後、幕末の動乱の中で変わり、財政的にもたなくなってきた。それに追い打ちをかけるように、天保14年(1843年)10月24日の夜に出来鍛冶屋町より出火した火は、今籠町・今鍛冶屋町・油屋町・今石灰町・新石灰町・高野平郷など家屋526戸が焼ける大火が発生した。大浦家は、この大火で大損害を受けた。この時、慶は16歳。慶は大浦家再興に尽くそうとした。

翌年、蘭学を学びに長崎にきていた天草の庄屋の息子の幸次郎(秀三郎とも)を婿養子に迎える。しかし、慶はこの幸次郎が気に入らず、祝言の翌日に追い出した。以後、死ぬまで独身を貫きとおすこととなる。

嘉永6年(1853年)に通詞品川藤十郎と協力し、出島のテキストルというオランダ人に嬉野茶を託し、イギリス、アメリカ、アラビアの三ヶ国へ茶を三階級にわけて、それぞれ、3斤ずつで計9斤なのを9袋にわけ、3袋にして送ってもらった。そして、同年9月にテキストルが出島から出港した。

その約3年後の安政3年(1856年)8月にイギリスの商人、W・J・オールトが来航。そこで、テキストルに託した茶の見本を見せ、巨額の注文をした。嬉野茶だけでは足りず、九州一円の茶の産地を巡り、やっとのことで、1万斤を集め、アメリカに輸出された。これが日本茶輸出貿易の先駆けとなった。1861年に南北戦争が勃発し、一時的に輸出は停滞するが、1865年に終結した途端、爆発的に増え、翌年には長崎からの輸出はピークに達した。安政から慶応にかけての約10年間は大浦家の全盛期であった。

日本茶輸出貿易に成功した慶は名が知れ渡り、坂本龍馬、大隈重信、松方正義、陸奥宗光らと親交があったとされる。

しかし、1860年代が終わろうとすると、輸出に陰りが見えはじめる。九州より大きい茶の産地である。静岡からの茶の輸出が増えていき、慶は違う商品も貿易を考えていた。

明治4年(1871年)6月そこへ、熊本藩士の遠山一也が現れる。遠山は品川藤十郎の通詞で慶にイギリスの商人、オールト商会との熊本産煙草15万斤の売買契約したとのことで、慶に保証人になってほしいと頼まれたが、熊本藩から派遣されたと装い、勝手に同藩の福田屋喜五郎の名を使い、連署人として偽の印を押した証書を見せた。品川もやたらと連判することを慶勧めた。保証人を引き受けたが、それが命運のつきとなった。遠山に手付金3000両を差し出した。しかし、期限の9月になっても煙草を全く送ってこない。そして、オールト商会から手付金を返すように求められ、熊本藩と交渉し、遠山家の家禄5ヵ年分に相当する、約352両の支払いを受けたが、オールト商会に納めることしかできなかった。実は遠山は輸入反物で失敗し、借金を返済するために慶を騙したのであった。これが、後にいう遠山事件だった。

明治5年(1872年)1月、慶はオールト商会から遠山、福田屋喜五郎と共に長崎県役所に訴えられ、慶自身も遠山と福田屋を訴えた。7月から8月にかけての判決で、遠山は詐欺罪で懲役10年の刑を受けるが慶は連判したということで、1500万両ほどの賠償金の支払いをすることとなる。負債の 3000両(現在の価値でいえば約3億円ほど)と裁判費用及び賠償金を払うことになった。これにより、大浦家は没落し、慶の信用も地に落ちた。家財も差し押さえられ、取り立てが毎日、慶の家にきていたという。

明治12年(1879年)6月にユリシーズ・グラントが長崎に寄港した際は国賓として、各県令らと共に慶が艦上に上った。その時、艦上にいた国賓で女性は慶だけであった。

明治17年(1884年)当時、県令であった石田英吉が当時農商務省の農商務権大書記官であった岩山敬義に慶が既に危篤状態であるため、生きているうちに賞をあげてほしいと要請したところ、4月5日に受賞の知らせを西郷従道から電報で伝えられ、翌日に石田の使者が慶の家に出向いて受賞をしらせた。明治政府は慶に対し、日本茶輸出貿易の先駆者としての功績を認め、茶業振興功労褒賞と金20円を贈った。

その1週間後、慶は57歳で生涯をとじたのであった。慶は死ぬまでに借金を完済していたとされる。墓所は長崎市高平町曇華院跡大浦家墓地。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B5%A6%E6%85%B6
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開設日
2009年6月25日

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カテゴリ
学問、研究
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