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鈴木 康二朗

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詳細 2015年1月4日 19:22更新

鈴木 康二朗(すずき やすじろう、1949年4月18日 - )は元プロ野球選手(投手)。右投右打のスリークォーター。茨城県北茨城市出身。現在は郷里で会社員を勤める傍ら、アマチュアゴルファーとしても活躍している。
来歴・人物
磯原高校から日鉱日立を経て、1972年ドラフト5位でヤクルトアトムズに入団する。1975年シーズンには一軍初登板、翌1976年にはローテーションに定着し、松岡弘、浅野啓司と共に三本柱を形成する。 1977年9月3日、読売ジャイアンツの王貞治に世界新記録となる756号ホームランを打たれた投手として有名である。『がんばれ!!タブチくん!!』では当時のその様子が大げさに描かれ、試合で必ず「王に756号を打たれた鈴木」と呼ばれていた。http://www.asahi-net.or.jp/~eb9y-tmok/chara/tabuti/tabuti1s.gif 翌年の1978年には、チーム初のセ・リーグ優勝から日本一に導く活躍を見せた(13勝3敗で、最高勝率のタイトルを獲得)。同年5月にはセ・リーグ投手部門の月間MVPも獲得する。 その後、1983年井本隆との交換トレードで柳原隆弘とともに近鉄バファローズに移籍し主にリリーフとして登板する。石本貴昭とのダブルストッパーとして活躍し、1984年、1985年には最多セーブのタイトルを獲得したが、翌1986年には出番が減り現役を引退する。 オールスター戦に出場した際には、20世紀最後のオールスターゲーム3連投を経験している。 プロ引退後も社会人軟式野球で現役を続け、茨城県代表として国民体育大会でも登板した。
エピソード
王が755号を打ってから、巨人戦に登板する投手は観客の厳しいプレッシャーにさらされ続けていた。この試合の鈴木も王の第1打席で四球を与え、ブーイングを浴びていた。第2打席でもカウント2-1と追い込みながら2球続けてボール球になり、激しい野次が鈴木の耳にも聞こえてきていた。「また四球を出したら何を言われるかわからない」と思って投げた球が甘いコースに入り、王に逃さず打たれたという。
王には後日「俺のせいでえらいことになってしまったな。いろいろ言われるだろうが、絶対に負けるなよ」と励ましの言葉をかけられている。
日本野球機構側が、王貞治に世界新記録となる756号を打たれた投手には「サイパン島ペア旅行券」をプレゼントすると発表したが、プロとしての意地から受け取りを拒否した。しかし、1983年に移籍した近鉄の春のキャンプ地が皮肉にもあろうことかサイパンだった(当時のはた山ハッチの4コマ漫画でも現地の人間に歓迎されるという描写でネタにされていた[後に単行本「がんばれエガワ君」にも収録])。
シンカー系の落ちる球を多用し外国人選手からは「大リーグで通用しそうな日本人」と言われた。
近鉄に移籍したことで、鈴木姓の投手(鈴木啓示、鈴木康二朗)が2名となる。スコアボード、新聞などに”鈴木啓”と表記されるのを嫌った鈴木啓示が「オレは今までどおり”鈴木”でいい。あっちを”鈴木康”にすればすむことだろ。」と発言した。
打撃のいい投手として知られ、1976年には20打数7安打1本塁打・打率.350、1981年には59打数18安打1本塁打・打率.305を記録した。通算で5本塁打を放っている。
球歴
常北中→磯原高→日本鉱業日立
背番号
45 (1973年〜1976年)
21 (1977年〜1982年)
12 (1983年〜1986年)
 
通算成績 通算81勝54敗52S 3.68

タイトル・表彰
最高勝率(1978年) ※タイトルではない
最多セーブ投手(1984年、1985年)
オールスターゲーム出場 3回(1977年、1978年、1984年)
セ・リーグ月間MVP(1978年5月)
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参加メンバー 2人
開設日
2009年6月12日

3025日間運営

カテゴリ
スポーツ
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