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平将門・平忠常=坂東平家

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詳細 2016年10月17日 15:46更新

平将門

?〜940 平安中期の武将。桓武平氏の高望王の孫。父は鎮守府将軍の平良将とも良持ともいい、母は下総の豪族、犬養春枝の娘とされる。相馬小次郎と称した。下総北部の豊田郡および猿島郡(茨城県坂東市、結城・猿島郡地域)を本拠に勢力をふるう。若いとき京都にのぼって公卿の藤原忠平につかえたが、意にそわず帰郷する。その後、父の遺領や女性をめぐる問題で一族の紛争がおこり、これが朝廷への反乱に発展。将門は中央からの関東の独立をめざしてみずから新皇と称したが、わずか数カ月で藤原秀郷と平貞盛の連合軍にせめられ、猿島郡石井(いわい:坂東市)の北山で敗死した。

将門の乱ははじめての大規模な「地方の反乱」であり、つづいておきた西海の藤原純友の乱とともに朝廷や中央の人々に大きな衝撃をあたえた。一方東国では、将門は国家の支配に抵抗した英雄として民衆の共感をえた。そのため、のちにさまざまな伝説が生まれることになった。

たとえば、将門にはまったく同じ姿形をした7人の影武者がおり、将門自身は鋼鉄の不死身の身体をもっていた。また、比叡山で将門調伏の祈祷をしていたところ、武装した将門の姿があらわれた。さらに、京都の東市でさらされた将門の首は、まぶたを閉じることなく、するどい眼光で人々をおそれさせた。その首はのちに空をとんで関東へもどった、などである。

将門の首塚とつたえるものが、東京大手町など各地にあり、関東や東北には東京都千代田区の神田神社や茨城県坂東市の国王神社など将門をまつる社寺も多い。

平忠常
???年〜1031年6月6日
平安中期の豪族。陸奥介忠頼の子。祖父平良文以来の東国における勢力を受継ぎ、上総介、武蔵押領使などに任ぜられた。万寿四年(1027)上総で国衙に敵対し、翌長元元年上総国府を占領。追討使平直方が派遣されたが、その後3年間反乱を続けた。しかし、同3年直方にかわり源頼信が派遣されると、翌年戦わずして降伏。京都に護送される途中、美濃で死去。この乱で、上総・下総・安房三国の耕地は著しく疲弊したという。

関東平家の基礎を作った騒乱の主人公たちを子孫らが検証する機会を持ちませんか?興味のある人なら誰でもOKです。

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2009年6月8日

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