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モーリス・メーテルリンク

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詳細 2017年1月18日 22:23更新



モーリス・メーテルリンク
Maurice Maeterlinck(1862-1949)


チルチルとミチルが見た夢…。
世界中で親しまれている『青い鳥』の作者、メーテルリンクは、
ノーベル賞受賞者としても広く知られている。
童話作家としてのイメージが強い彼だが、
実は神秘主義者としての真理の探求こそ、彼の生涯だった。



1862年、モーリス・メーテルリンクは、ペルギーのガンに生まれた。
14世紀から続く由緒ある裕福な家庭で、彼は幼少年期を送った。
家の庭は運河に面しており、少年時代にその運河でおぼれて
死にかけた経験を持つ。
その時の臨死体験が、後の人生に大きな影響を与えたという。

1874年、12歳の時、イエズス会の運営する
サント・バルブ中学校入学。
この頃から文学に目覚め、最初の詩を書いた。
しかし、両親の希望によって、19歳の時、ガン大学法学部入学。
法律を学ぶかたわら、詩や小説を書き続けた。
1885年、23歳の時、優秀な成績で法学部を卒業。
名目上は弁護士となったが、
法廷に立つことはほとんどなかった。

学友のグレゴワール・ロワとパリに行った彼は、
象徴派の詩人に出会い、文学者の仲間入りを果たした。
そして、徐々に、霊的神秘の世界へ興味を抱いてゆく。
1889年、27歳の時、初の詩集『温室』、
続いて、初の戯曲『マレーヌ姫』を出版する。
すると、フィガロ誌が、『マレーヌ姫』を賞賛。
彼は、「ベルギーのシェイクスピア」と呼ばれ、
劇作家として一躍有名になった。

この頃から、霊的神秘への関心はさらに深まり、
未知なる力の根源を探究するべく、
『闖入者』『ペレアスとメリザンド』など、
神秘主義に基づいた作品を次々に出版、上演した。
1895年、33歳の時、フランスの小説家、モーリス・ルブランの妹
ジョルジェットと出会い、恋に落ちる。
女優、歌手として活躍していた彼女は、
後にグルジェフの弟子となったことでも知られている。

1906年、44歳の時、死と生命の意味をテーマにした夢幻劇
『青い鳥』を書き上げる。
この作品によって、彼の名声は、さらに高まった。
同時期に発表した、『死』『偉大なる秘密』などの著作では、
オカルティズム、神智学、カバラ、錬金術、グノーシスなどを
取り上げ、超自然現象を肯定し、その立証を試みている。
なかでも『死』は、既存の宗教とは別の立場から死や
死後の問題について書かれていたため、
ローマカトリック教会は、彼の全著作を「禁書」に指定した。

1911年、49歳の時、『青い鳥』でノーベル文学賞を受賞。
フランスのニースで理想の庭がある家を見つけ、移り住んだ。
1914年、52歳の時、第一次世界大戦勃発。
彼は入隊を希望するが、受け入れられなかった。
1918年、56歳の時、ジョルジェット・ルブランと別れ、
翌年、ルネ・ダオンと結婚。
長期アメリカ旅行に出かける。

1920年、58歳の時、フランス語フランス文学王立
アカデミー会員に任命、勲章を授与される。
世界各地を旅行しながら、自然の生命の神秘に親しみ、
『白蟻の生活』『蟻の生活』などを出版。
68歳の時にフランスのニースで城を購入し、移り住んだ。
70歳の誕生日に伯爵の称号を受ける。

第二次世界大戦勃発すると、ドイツ軍の侵略について
反対を表明していた彼は、身の危険を感じ、アメリカへ渡る。
1942年、80歳の時、『来世、あるいは星時計』を出版。
そして終戦の2年後、ニースへ帰ることができた。
晩年も執筆は続けていたが、
1949年、86歳の時、ニースの自宅で息を引き取った。

人間の霊性、生命の神秘を見つめ続けたメーテルリンク。
その独自性と探求心は、一生を通じて尽きることはなかった。
人間が追い求め続けている、青い鳥はどこにいるのか。
彼の作品は今も、その問いを投げかけ続けている。

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開設日
2009年5月28日

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