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早坂文雄さん

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詳細 2016年11月6日 23:08更新

 作曲家早坂文雄さんに関するコミュです。

                ☆

 早坂文雄氏の《作曲ノート》より。

                ☆

『昭和22年12月24日。

 病中を除いて今年ほどなまけた年はない。

 人生は二度とない。今日生きてゐるうちに、為さねばならぬものは為さねばならぬ。来るべき年こそは、眞に、創作にのみ、第一義のものにのみ、自分のすべての生活を捧げ尽くさなければならない。』

『昭和23年2月24日。

 六月の東京グランドコンサートに小生のピアノコンツェルトNo1を初演することになった。随って、第三楽章四月一杯にかかねばならない。第一、第二楽章も、まだ自分ではこれでいいとは思はないので加筆する。間に合ふかどうか疑問だが、一切の雑事を捨て、これに専心してみる。然し三月にトオキイ二本、四月に一本、五月に一本、六月に一本あり。これを縫って書くわけだから、容易なことではなく、よほど徹底して、ここに僕の中期の傑作をつくるつもりで藝術の鬼にならねばならぬ時が来てゐると思ふ。一切の俗情を捨てる決意だ。』


【プロフィール】

「音楽の世界・早坂文雄〜人と作品」のサイト
http://www5.plala.or.jp/forests/

                ☆

http://www.d1.dion.ne.jp/~hsakagam/Composer155.htm

早坂文雄(Humiwo Hayasaka)(1914/8/19生〜1955/10/15逝去)

 作曲家。仙台市で生まれ、4歳の時に一家で札幌市へ移る。家が素封家で、幼時、ピアノを習うなどしていたが、父親が出奔、一家は困窮する。母親も生活苦と病で亡くなり、弟と妹の世話と経済的理由の為、高等学校進学を断念。以降、作曲を独学。生活費を稼ぎながらも音楽への情熱はいささかもおとろえず、この頃交友を深めていた伊福部昭、三浦淳史らと新音楽連盟を結成。1934年、「国際現代音楽祭」を開催し、ストラヴィンスキー、サティ、ファリャ、カセルラなど、当時最先端をいく作曲家を紹介した。その後も生活を支えつつ作曲に没頭。1938年『古代の舞曲』がワインガルトナー賞を受賞し、中央にその存在を知られることとなる。1939年9月、当時の東宝映画社長・植村泰二の引きで東宝撮影所に入社、専属作曲家となる。第一作は「リボンを結ぶ夫人」(1939/山本薩夫監督)、以降「燃ゆる大空」(1940)「旅役者」(1940)「民衆の敵」(1946)「女優」(1947)「暁の脱走」(1950)、そして溝口健二監督の「雨月物語」「近松物語」「山椒大夫」等を作曲。黒澤明監督とは「酔いどれ天使」(1948)で出会い、以降「生きものの記録」途中で急逝するまで二人は様々な映画音楽の実験と試みを行った。その他の主要な作品には、「序曲ニ調」(1939)、「左方の舞と右方の舞」(1941)、「ピアノ協奏曲」(1948)、交響的組曲「ユーカラ」(1955)などがある。その人間性、音楽性は、佐藤勝、武満徹、芥川也寸志、黛敏郎ら若い作曲家たちに非常に大きな影響を与えたことでも知られる。

                ☆

 武満徹さんのことば。
「清瀬(保二)さんはつねに『音楽を通して覚めようとした人』で、早坂さんは『音楽を通して夢みつづける人』だった。」
(日本の交響作品展3『早坂文雄』・プログラムより)

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開設日
2005年11月19日

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カテゴリ
音楽