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安田靫彦

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詳細 2016年6月20日 23:06更新

安田靫彦。画家。


ゆっくりと流れ、たゆたう歴史を絵の中に
果てしない魅力を感じた方、
是非ご参加ください。

いつか日本史の教科書で見た額田王、卑弥呼。
豊かな表情の古代の神々。
凛として強くそして繊細な目をしている数々の義経像。

憂いのある表情にしっかりとした色彩。
現実と夢のはざまを行き交うような感覚を覚えます…



以下はウィキペディアより転載しました

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安田 靫彦(やすだ ゆきひこ、本名:安田 新三郎、1884年2月16日 - 1978年4月29日)は、大正〜昭和期の日本画家である。東京都出身。

前田青邨と並ぶ歴史画の大家で、青邨とともに、焼損した法隆寺金堂壁画の模写にも携わった。「飛鳥の春の額田王」「黎明富士」「窓」はそれぞれ1981年、1986年、1996年に切手に用いられた。良寛の書の研究家としても知られ、良寛の生地新潟県出雲崎町に良寛堂を設計した。また自らも皇居新宮殿千草の間に書、『万葉の秀歌』を揮毫した。


略歴 [編集]
1884年、東京日本橋の料亭の四男として生まれる。1897年、帝室博物館で法隆寺金堂壁画等の模写を見、日本絵画協会絵画共進会にて横山大観、菱田春草、小堀鞆音らの作品に感動し、画業を決意。1898年より小堀鞆音に師事。青邨らと共に紫紅会(後、偶々同じ「紫紅」を名乗っていた今村紫紅も参加し紅児会)を結成。東京美術学校に進むも中退。後岡倉天心に認められ、1907年に日本美術院に招かれた。院展の初回より作品を出品し、再興院展にても尽力。肺病に悩まされながらも晩年まで制作を続けた。1974年の『鞍馬寺参籠の牛若』が院展出品の最後になった。 1978年神奈川県大磯町にて没。墓所は大磯の大運寺。

1944年東京美術学校教授。1948年に文化勲章を受章。1958年財団法人となった日本美術院の初代理事となった。1959年宮中歌会始の召人(勅題「窓」を詠進)。1965年東京芸術大学名誉教授。東京国立博物館評議員会評議員、文化財審議会専門委員、国立近代美術館設立準備員も歴任。門下に小倉遊亀、森田曠平、益井三重子、岩橋英遠らがいる。

初代中村吉右衛門とは同年で親しく、実兄は吉右衛門門下の中村七三郎。


代表作品 [編集]
「夢殿」(1912) 聖徳太子の瞑想に取材。
「御産の祷」(1914) 紫式部日記の中宮藤原彰子の安産祈祷場面を描く。再興院展の第一回に出品。
「五合庵の春」(1920)(以上、東京国立博物館) 良寛にちなんだ作品。
「月の兎」(1934)(愛知県美術館)
「黄瀬川陣」(1940-41)(東京国立近代美術館) 黄瀬川の陣における頼朝義経兄弟の再会の場面を描く。まず左隻の義経が、翌年右隻の頼朝が描かれ六曲一双の大作として完成した。代表作。
「王昭君」 (1947)
「窓」(1951)(横浜美術館)
「黎明富士」(1962)(川崎市民ミュージアム)
「飛鳥の春の額田王」(1964)
「卑弥呼」(1968)(以上、滋賀県立近代美術館)
「草薙の剣」(1973)(川崎市民ミュージアム)

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開設日
2009年5月7日

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カテゴリ
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