1938年 少年(Karl Lagerfeld )はドイツ ハンブルグで生まれた。
本来 内気であまり外を駈けずり廻って遊ぶ事より家の中で絵を描いたりしている時間を好んだ。
自分の外見には自信をもっていたわけではないが、しかし彼は女性に対しての関心は非常に強いモノがあった。
貧しい家庭の事情もあり 1952年 パリに一家で移住し彼はそこで潜在的に持っていた女性に対しての憧れ。
パリの街中を歩いてブティックを見たり、家に帰りそのデザインを書くことが好きだった。
その幼少時代から培った彼の女性に対しての憧れと、持ち前のデザインの感性がその後の人生を大きく影響を及ぼした。
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1954年 16歳の時に IWS(国際羊毛事務局、現ザ・ウールマーク・カンパニー)のコンクールのコート部門で優勝。
その後ピエール・バルマン(Pierre Balmain)、ジャン・パトゥ(Jean Patou)等のオートクチュールメゾンで仕事をする。
1962年 独立し、プレタポルテに進出。
1963年 クロエ創業者の任命により、クロエ(Chloé)のヘッドデザイナーとなる。
1965年 FENDI フェンディ 当時まだ新進デザイナーだったドイツ人のカール・ラガーフェルド(当時27歳)を主任デザイナーに擁立
1984年 自身のブランド「カール・ラガーフェルド」をスタート。
1986年 デ・ドール賞(金の指貫き賞)受賞。 [:グッド:]
ストリート・ファッションをエレガントに表現するという、独特のクリエイティブな世界表現し多くの支持をえる。
1992年 クロエのデザイナーに復帰。以後、フェンディ・シャネル・クロエ・自社の4つのメゾンのデザイナーを兼任。
シームなしの袖付け、軽く丈夫なヘム・ライン、すっきりとしたレイヤード等、斬新な手法を多数世に送り出した。
多才なラガーフェルドは近年 ピアノのデザインに自らの名前を付けた楽器を、スタインウェイ&サンズ創立150周年を迎えるにあたり発表。
スタインウェイ&サンズ社は、創立記念ピアノのデザインをカール・ラガーフェルドに委嘱しました。
創立150周年記念限定「カール・ラガーフェルド」モデルの誕生です。
カール・ラガーフェルドは写真家(フォトグラファ−)としても有名で、シャネルの広告写真ほか、シャンパンで有名なドンペリニオンの広告写真なども手掛けるなど写真家としての大活躍しています。
7L
パリ7区の7番地リール通りに、カール・ラガーフェルドの出版社&書店が有ります。
7Lは利益目的の活動ではなく、自らの写真集や出版物から自身の目で選んだ写真集や芸術書などが取り揃えられています。
エディ・スリマンの写真集も7Lからの出版され、名前の知れていない詩人の本、日本からもいろいろな写真家の作品集が置かれています。
デザイン界に彼の影響を受けて育ったデザイナーは多く、所属する フェンディ・シャネル・クロエもまたそれを望んでいる。
服を皮膚と考える彼は、身体をしばらない、着やすい服作りに努め、「重ね着の魔術師」「トータル・ルックの名手」といわれている。