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「惜しみなく愛は奪う」有島武郎

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コミュ内全体

詳細 2016年6月19日 18:40更新

なかったので、「惜しみなく愛は奪う」有島武郎、よろしくお願いします!
管理人にとっては、とても、為になるバイブルであります。
既に絶版となっているので、少し内容を引用して、コミュの趣旨とします。
なんとなく、こんなことを考えていて、答えを探しているあなた。
気になったら、即入隊してください♪

永劫のうちにあたかもひとしずくの露のように生れ出、またたく間に再び永劫の中に回帰してしまうこの不思議な人間の生ー。我国における最初の実存主義者ともいわれる有島は、人間存在を真正面から凝視し、惨そうたる苦悩の末に、過去でも未来でもなく、現在のこの時を力を尽くして生きる実存的生の方向を見出した。愛についての烈しく高まんな宣言は、時代を超えて、青年の心を打つ。

「惜しみなく愛は奪う」有島武郎

Sometimes with one love, I fill myself with rage, for fear I effuse unreturn'd love.
But now I think there is no unreturn'd love-the pay is certain, one way or another.
( I loved a certain person ardently, and my love was not return'd; Yet out of that, I have written these songs.)

-Walt Whitman-


I exist as I am-that is enough;
If no other in the world be aware,I sit content.
And if each and all be aware, I sit conteni
One world is aware, and by far the largest to me, and that is myself:
And whether I come to my own to-day, or in ten thousand or ten million years,
I can cheerfully take it now,or with equal cheerfulness I can wait.

-Walt Whitman-



 太初(はじめ)に道(ことば)があったか行いがあったか、私はそれを知らない。然し誰がそれを知っていよう、私はそれを知りたいと希(こいねが)う。そして誰がそれを知りたいと希わぬだろう。けれども私はそれを考えたいとは思わない。知る事と考える事との間には埋め得ない大きな溝がある。人はよくこの溝を無視して、考えることによって知ることに達しようとはしないだろうか。私はその幻覚にはもう迷うまいと思う。知ることは出来ない。が、知ろうとは欲する。人は生まれると直ちにこの「不可能」と「欲求」の間にさいなまれる。不可能であるという理由で私は欲求をなげうつことが出来ない。それは私として、何という我儘であろう。そして自分ながら何という可憐さであろう。
 太初の事は私の欲求をもってそれに私を結び付けることによって満足しよう。私はとても目あてがないが、知る日の来(きた)らんことを欲して欲求して満足しよう。
 私がこの奇異な世界に生まれ出たことについては、そしてこの世界にあって今日まで生命を続けてきたことについては、私は明らかに知っている。この認識を誇るべきにせよ、恥ずべきにせよ、私はごまかしておくことが出来ない。私は私の生命を考えてばかりはいない。確かに知っている。哲学者が知っているようにしっているのではないかも知れない。又深い生活の冒険者が知っているように知っているのではないかも知れない。然し私は知っている。この私の所有を他のいかなるものもくらますことは出来ない。又他のいかなる威力も私からそれを奪い取ることは出来ない。これこそは私の存在が所有する唯一つの所有だ。
 恐るべき永劫が私の周囲にはある。永劫は恐ろしい。或る時には氷のように冷ややかな、ぎ然としてよどみわたった或るものとして私にせまる。又或る時は眼もくらむばかりかがやかしい、瞬間も動揺流転をやめぬ或るものとして私にせまる。私はそのももの隅か、中央かに落とされた点に過ぎない。広さと幅と高さとを点は持たぬと幾何学は私に教える。私は永劫に対して私自身を点に等しいと思う。永劫の前に立つ私は何ものでもないだろう。それでも点が存在する如く私もまた永劫の中に存在する。私は点となって生れ出た。そして瞬く中(うち)に跡形もなく永劫の中に溶け込んでしまって、私はいなくなるのだ。それも私は知っている。そして私はいなくなるのを恐ろしく思うよりも、点となってここに私が私として生れ出たことを恐ろしく思う。
 然し私は生れ出た。私自身がこの事実を知る主体である以上、この私の生命は何といっても私のものだ。私はこの生命を私の思うように生きることができるのだ。私の唯一の所有よ。私は凡(すべ)ての懐疑にかかわらず、結局それを尊重愛撫しないでいられようか。涙にまで私は自身を痛感する。
 一人の旅客が永劫の道を行く。彼を彼自身のように知っているものは何処にもいない。陽の照る時には、彼の忠実な伴侶はその影であるだろう。空が曇り果てる時には、そして夜には、伴侶たるべき影もない。その時彼は独り彼の衷(うち)にのみ忠実な伴侶を見出さなければならぬ。拙くとも、醜くとも、彼にとっては、彼以上のものを何処に求め得よう。こう私は自分を一人の旅客にして見る時もある。
 私はかくの如くにして私自身である。けれども私の周囲に或る人や物やは明らかに私ではない。私が一つの言葉を申し出る時、私以外の誰が、そして何が、私がその言葉をあらしめるようにあらしめ得るか。私は周囲の人と物とにどう繋がれたら正しい関係におかれるのであろう。如何なる関係も可能ではあり得ないのか。可能ならばそれを私はどうやって見出せばいいのか。誰がそれを私に教えてくれるのだろう。・・・・・・結局それは私自身ではないか。 
 思えばそれは寂しい道である。最も無力なる私は私自身にたよる他の何物をも持っていない。自己に矛盾し、自己に蹉跌(さてつ)し、自己に困惑する、それに何の不思議があろうぞ。私は時々私自身に対して神のように寛大になる。それは時々私の姿が、母を失った嬰児(えいじ)の如く私の眼に映るからだ。嬰児は何処をあてどもなく匍匐(ほふく)する。その姿は既に十分憐れまれるに足る。嬰児は屡々(しばしば)過って火に陥る、若しくは水に溺れる。そして僅(わず)かにそこから這い出ると、べそをかきながら又匍匐を続けていく。このいたいけな姿を憐れむのを自己に阿(おもね)るものとのみ云い退けられるものであろうか。縦令(たとい)道徳がそれを自己耽溺(たんでき)と罵らば罵られ、私は自己に対するこの哀憐(あいれん)の情を失うに忍びない。孤独なものは自分の掌をみつめることにすら、熱い涙をさそわれるのではないか。
 思えばそれは険しい道でもある。私の主体とは私自身だと知るのは、私を極度に厳粛にする。他人に対しては与え得ない厳しい鞭打ちを与えざるを得ないものは畢竟(ひっきょう)自身に対してだ。誘惑にかかったように私はそこに導かれる。苔(しもと)にはげまされて振り立つ私を見るのも、打撲に抵抗し切れなくなって倒れ伏す私を見るのも、共に私が生きていく上に、無くてはならぬものであるのを知る。その時に私は勇ましい。私の前には力一杯に生活する私の他には何物をも見ない。私は乗り越え乗り越え、自分の力に押され押されて未見の境界へと険難を侵して進む。そして如何なる生命の脅威にもおびえまいとする。その時傷の痛みは私に或る甘さを味わせる。然しこの自己緊張の極点には往々にして恐ろしい自己疑惑が私を待ち設けている。遂に私は疲れ果てようとする。私の力がもうこの上には私を動かし得ないと思われるような瞬間が来る。私は唯一の城廓なる私自身が見る見る廃墟の姿を現すのを見なければならないのは、私の眼前を暗黒にする。
 けれどもそれらの不安や失望が常に私を脅かすにもかかわらず、太初の何であるかを知らない私には、自身を措(お)いてたよるべき何物もない。凡ての矛盾と渾沌(こんとん)との中にあって私は私自身であろう私を実価以上に値ぶみすることをしまい私を実価以下に虐待することもしまい。私は私の正しい価の中にあることを勉めよう。私の価値がいかに低いものであろうとも、私の正しい価値の中にあろうとするそのこと自身は何物かであらねばならぬ。縦(よ)しそれが何物でないにしろ、その外に私の採るべき態度はないではないか。一個の金剛石を持つものは、その宝玉の正しい価値に於てそれを持とうと願うのだろう。私の私自身は宝玉のように尊いものではないかも知れない。然し心持に於ては宝玉を持つ人の心持と少しも変わるところがない。 
 私は私のもの、私のただ一つのもの。私は私自身を何物にも代え難く愛することから始めなければならない。
 若し私のこの貧しい感想を読む人があった時、この出発点を首肯することができないならば、私はその人に更にいい進むべき何物をも持ち得ない。太初が道(ことば)であるか行いであるかを(考えるのではなく)知り切っている人に取っては、この感想は無視さるべき無益なものであろう。私は自分が極めて低い生活途上に立っているものであることをよく知りぬいている。ただ、今の私はそこに一番堅固な立場を持っているが故に、そこに立つことを恥じまいとするものだ。前にも言ったように、私はより高い大きなものに対する欲求を以て、知り得たる現在に安住し得るのを自己に感謝する。

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