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武藤金義

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詳細 2016年8月18日 18:55更新

武藤 金義(むとう かねよし)
1916(大正5)年8月18日〜1945(昭和20)年7月24日

愛知県生
1935年(昭和10年)6月1日、呉海兵団に入団、同年12月23日、第32期操縦練習生に採用され、翌1936年(昭和11年)7月に卒業。
大村航空隊での延長教育を経て、1937年(昭和12年)10月、日中戦争で上海に進出中の第十三航空隊に配属される。同年12月4日に南京上空で中華民国国軍のI-16戦闘機1機を撃墜したのが初戦果。12月12日に、同じく中国大陸で展開中の第十二航空隊に異動。南京、南昌、漢口攻撃等で活躍を続ける。
武藤は中国大陸で中華民国機を合計5機撃墜し、日中戦争における撃墜王となる。

太平洋戦争開戦時は第三航空隊に所属。
1941年12月8日のフィリピンのクラークフィールド飛行場攻撃時には飛行隊長横山保大尉の2番機を務める。
1942年4月からは元山海軍航空隊(第二五二航空隊)に所属し基幹搭乗員として新人の練成にあたるとともに、壮烈を極めたラバウル、ソロモン航空戦を戦い抜いた。
1943年からは横須賀海軍航空隊で教官として新人の訓練や新型航空機のテストパイロットをしていた。同年10月21日結婚。

1945年2月17日、大量に飛来したグラマン編隊の一部12機に紫電改単機で挑み、2機撃墜の戦果を挙げた。まるで一乗寺下り松の決闘を思わせることから「空の宮本武蔵」との異名を取ることとなった。
同年6月末、坂井三郎との交換という形で第三四三航空隊戦闘301飛行隊に異動。戦死した杉田庄一の代わりとして菅野直大尉の護衛役となることが期待された。
1945年7月24日、呉軍港空襲により大量のグラマン艦載機が来襲。これを迎撃するため出撃し、武藤は激戦の中で消息を絶った。(この日は指揮官鴛淵孝大尉他6名が行方不明となっている)。戦死認定後、中尉に昇進。

1978年11月、愛媛県南宇和郡城辺町(現・愛媛県南宇和郡愛南町)久良湾の海底で1機の紫電改が発見され、翌1979年7月に引き揚げられた。この紫電改は未帰還となった6機のうちの1機と推測され、当時の空戦状況から武藤機である可能性が高いとされる。

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