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菅野直

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詳細 2017年5月25日 13:49更新

菅野 直(かんの なおし)
1921(大正10)年9月23日〜1945(昭和20)年8月1日

宮城県角田町(現角田市)出身。
海軍兵学校70期、第38期飛行学生。最終階級は中佐。
零式艦上戦闘機、局地戦闘機紫電改を操り、個人・協同含め敵機撃墜破数72機。

警察署署長だった父親と厳しい母親の元、次男として誕生。菅野の姉は「直が中学1年の頃まで添い寝をしてあげていた」と語っている。中学へ進学すると、石川啄木に傾倒し短歌を詠むことが好きで、同級生と文学について論議を交わすサークルまで作るほどの文学好き少年だった。

1938年12月、海軍兵学校70期として入校。1943年2月、戦闘機専攻学生となり大分航空隊へ配属される。
着陸禁止区域に着陸を試みたり、また教官との空中模擬戦では模擬戦で教官機とあわや接触という状態を何度も繰り返して飛行機を何機も壊し「菅野デストロイヤー」というあだ名で菅野の名前は徐々に海軍内に知れ渡っていくこととなる。

1944年4月、第343海軍航空隊(初代、通称「隼」部隊)分隊長として南洋に進出する。同年7月、同隊解隊後に第201海軍航空隊の分隊長を任ぜられる。

1944年10月、レイテ沖海戦。海軍はこの戦いから特別攻撃を開始。この最初の特別攻撃隊の隊長として第201航空隊の分隊長としてフィリピンに配属されていた菅野を任命する動きがあったが、菅野はその直前に201空が新しく受領する零戦のテストのため群馬県太田市の中島飛行機小泉製作所へ赴いており、このため同じくフィリピンに配属されていた、菅野と海軍兵学校の同期で第201航空隊戦闘301飛行隊分隊長関行男大尉が神風特別攻撃隊「敷島隊」隊長として任命されたといわれる。そして後にこのいきさつを聞いた菅野は「オレが関のところをとるんだったんだがなあ…」と寂しげにつぶやいたという。

フィリピンにおける戦況は日々悪化の一途をたどり、菅野もいずれは特攻するしかないほどの状況となりつつあった。そんな中、菅野に内地帰還命令が下る。航空機至上主義を掲げた源田実が発案、自らが司令を務める二代目「第343海軍航空隊」隷下の戦闘301飛行隊「新選組」(新「撰」組ではない)隊長への転属であった。菅野以下、戦闘301の面々は続々と松山基地に集結、局地戦闘機「紫電」及び「紫電改」にて錬成を開始する。その後、時を同じくして出水・大村各基地にて錬成を続けていた戦闘407・701各飛行隊と合流、松山基地にて編成を完結した。

ここでの菅野は「猛将」と異名されており、熱血漢ぶりを存分に発揮していた。B-29邀撃時には、前上方より背面急降下でB-29のコクピットのみに狙いを定め、搭乗員の顔が見えるほどまでに接近し接触寸前で交わしていくという攻撃方法を編み出す。

ちばてつお「紫電改のタカ」のキャラクターの一人として実名で描かれている。しかし、実際の菅野の年齢や容貌、性格は、作中の菅野よりは、主人公である滝城太郎に近いといわれる。


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