彼のリスト名曲集のCDを聴いて、リストの魅力に開眼しました。残り少なくなってきたビルトーゾ・ピアニトのコミュニティがないことに、愕然としてコミュをたちあげました。ワッツについて自由に語り合おうでありませんか!
アンドレ・ワッツ(André Watts, 1946年6月20日 - )は、ドイツ生まれのアメリカのピアニスト。
ハンガリー人の母マリア・アレクサンドラ・ガスミッツとアメリカ陸軍下士官でアフリカ系アメリカ人ハーマン・ワッツの息子としてニュルンベルクに生まれる。幼少の頃に母親から音楽の手ほどきを受け、フィラデルフィア音楽院でピアノを専攻。 9歳でフィラデルフィア管弦楽団とハイドンのピアノ協奏曲を弾いて脚光を集めた。 1963年にレナード・バーンスタイン率いるニューヨーク・フィルハーモニックと共演してフランツ・リストのピアノ協奏曲第1番を演奏し、一躍時の人となった。また、この年にはピーボディ音楽院に入学してレオン・フライシャーの薫陶を受けている。 在学中の1964年から1965年にかけてヨーロッパ遠征を行い、ロンドン交響楽団やアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と共演して好評を得た。 1967年にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に出演している。 初来日は1969年。