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ひふみ神示【日月】ミロクの世☆

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コミュ内全体

詳細 2017年4月1日 10:38更新

日月神示(ひふみ神示)の世界へようこそ…。


このコミュにアナタが導かれたということは、多かれ少なかれアナタが
『ひつくの臣(神)民』としての尊いご縁を持っている…ということ。

それは、アナタがこれまでに『日月神示』を読んだことがある無しに関わらず、その尊いご縁を持っている…ということです…。

その尊いご縁を大切に生かしてください…。


姉妹コミュ アセンション『EAST』 もよろしくお願いします。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2590469



平成21年2月23日・・・旧暦 1月29日(ひつく)の日に、 

コミュ 『日月神示(ひふみ)ミロクの世☆』 を発足します☆



アメツチノトキ、アメミナカヌシノミコト、アノアニナリマシキ、タカアマハラニ ミコトトナリタマヒキ。

ツギ、タカミムスビ、ツギ、カミムスビノミコトトナリタマイキ、コノミハシラ スニナリマシテ スミキリタマイキ。

ツギ、ウマシアシカビヒコヂノカミ、ミコトトナリナリテ アレイデタマイキ。

ツギ、アメノトコタチノミコト、ツギ、クニノトコタチノミコト、ツギ、トヨクモヌノミコトトナリナリテ、アレイデタマイ、ミコトスミキリタマヒキ。

三ハシラ、五ハシラ、七ハシラ、コトアマツカミ、ツギ、ウヒジニ、ツギ、イモスヒジニ、ツギ、ツヌグヒ、ツギ、イモイクグヒ、ツギ、オホトノジ、ツギ、イモオホトノべ、ツギ、オモタル、ツギ、イモアヤカシコネ、ミコトト、アレナリ、イキイキテ、イキタマヒキ、ツギ、イザナギノカミ、イザナミノカミ、アレイデマシマシキ。

ココニアマツカミ、モロモロノミコトモチテ、イザナギノミコト イザナミノミコトニ、コレノタダヨヘルクニ、ツクリカタメナセト、ノリゴチテ、アメノヌホコヲタマヒテ、コトヨサシタマイキ。

ツギニ、イザナギノミコト、イザナミノミコトニ、アマノヌホトヲタマヒテ、トモニ、タタヨヘル、コトクニ ツクリカタメナセト コトヨサシタマヒキ。

ココニ、イザナギノミコト、イザナミノミコトハ、ヌホコ、ヌホト、クミクミテ、クニウミセナトノリタマヒキ、イザナギノミコト イザナミノミコト、イキアハシタマヒテ、 アウ、あう トノラセタマヒテ、クニ、ウミタマヒキ。

ハジメ (ヒツキ)ノクニウミタマヒキ、(ヒ)ノクニウミタマヒキ、(ツキ) のクニウミタマヒキ、ツギニ クニ ウミタマヒキ・・・。


ひふみ神示の原文は漢数字記号からなっており、当然のことながら原文を普通に読んだのでは、その内容を理解することは出来ません。

ひふみ神示を完全自動書記(手が自分の意志とは無関係に動いて書記された)で降ろした画家であって宗教家であった岡本天明氏本人でさえ、神示を降ろした当初はその内容を解読理解することが出来ず『どうせ低級霊の仕業だろう』と半紙に書き綴られた神示をしばらくの間放置しておいたそうです。

その後、知人の霊格者達の協力によって、神示の内容の重要性が見いだされ、口語訳に訳されたものが『ひふみ神示』となって出版されており、現在はネットでもその全文が公開されています。 http://hifumi.uresi.org/

しかしながら、ひふみ神示は口語に訳されているとはいえ、語尾に『じゃぞ、ざぞ』といった如何にも胡散臭い神様的な言い回しがあるために、先入観が入って邪魔したり、、暗号めいた難解な表記が随所にあるため、一通読すことさえ『一筋縄ではいかない』難解な部類の神示だと言えるでしょう。

自分も初めて読んだ当初は、『胡散臭い次元の低い低級な神示』だと、通読することなくしばらく放置していました。

しかし、日月神示は神示内に示されている通り、『己の心のままに映る神示』であり、実は神示の次元が低かったのではなく、自分の次元が低かった(初めて読んだ当初)のだということを、後になって痛感することになりました。

この神示の『心のままに映る』…というのを『波動のままに映る』…と置き換えることも出来るでしょう。

今でもその『心のままに映る』を痛感させられることがありますが、それは、自分の波動が低下している時は、神示を読んでもその内容があまり響かず、あまりにもブレて波動が低下しているような時は、神示を読むことが出来ない状況に陥ります(笑) (読んでもイライラしたり、全然入ってこない状態になります)

逆に、波動が上昇傾向にある時は、何度も読んでいる神示が、『目からウロコ』状態に映り、読んでいる最中から、メッセージやインスピレーション等が多発します。

つまり、自分専用の『あらたな神示』が降りてくるのです。

神示にも『神示はいくらでも出てくるのぞ』 『神示はカスぢゃぞ』・・とあるのは、『そういうこと』でもあります。


これは、神示だけに限らず、波動の高いメッセージが含まれている本や情報等のすべてに通じることでもありますが、日月神示では特にその傾向が顕著になります。

波動レベルでいくと、自分が今までに読んだ書物の中でもダントツ級の波動であるというものが、この『日月神示』です。

(自分はこれまでに、スピリチュアル関係の本だけでも軽く五百冊以上読んでいますが、その中でも日月神示はズバ抜けています…本を多く読んだりすることが決して重要だというわけではありませんが、これは、あくまでも自分の個人的な日月神示の位置付けの参考として書いたまでで、『自慢』ではありませんので、あしからず・・べつに誰もそんなこと思わないか・・・笑)

日月神示の内容の重要性は、少なくとも神示の波動レベルの最低ラインまで自分の波動が追いついていないとわかりません。

なにしろ、己の心のまま…波動のままに映る神示なのですから…。

しかし、波動が神示レベルに追いついている人達でも、神示を先入観や頭(思考のみ)で理解しようとした場合は、『フルイ』にかかってしまい、なにか引っかかるもの(響き)があるような感覚を覚えても、神示の通読を断念する傾向もあるようです。

それもプロセスだという言い方も出来るのでしょうが、少なくとも波動が神示レベルの最低ラインにあり、頭のすみに神示を留めておく限り、また再び神示に導かれることになるでしょう。(自分がそうでしたから・・)

しかし、俗に言う『スピリチュアルエゴ』による慢心等、波動の低下により、『ひつくの臣民』としての尊いご縁から外れてしまうこともあります。

その場合は『類魂』(ソウルグループ??)と呼ばれる代わりの『身魂』から、ひつくの御用をする『ひつくの民』が現れてくることになっています。

日月神示の内容に少しでも触れたことがある方々は、その形態を問わず、神示的立場から言えば、『神示にご縁がある方達』で(縁の強さの度合いの違いはありますが)神示で示される、狭義の上での『ひつくの臣民』となります。

(広義には、『神、幽、現』の三界のあらゆる次元世界の民が『ひつくの民』となります)

これらの広義の意味での、すべての民が『ひつくの民』であるという言い回しは、覇権主義的に聞こえてしまいがちで、色々誤解を招きかねない言い回しになると思いますが、当の神示の内容は『日月神示教』一色に染めようとする傾向はまったくありません。

むしろ日月神示の中では、宗教組織団体にすることを戒めており、

『ここは教でなく道(理)である』と示し、


『弥栄(永劫的に益々栄える)実践』
『祓(浄化)実践』
『マツリ(すべてとの調和)実践』


の三大実践主義を根本として据えている、非宗教団体のスタンスとなっています。


以前、そのような教団化の流れもありましたが、『役割』を全うした後に潰れてしまいました。

神示内には 『ひかり教の教旨』 としてこれらのことが示されていますが、この『ひかり教教旨』とは、あらゆる宗教との境界線の無い、宗教でない『超宗道』? としての『教旨』となり、多次元宇宙内のあらゆる存在が実践すべき『宇宙の理法』としての『道』だと言えるでしょう。


その教旨はこのように示されています。( )内はプレアデス注&私解。


『ひかり教の教旨書き知らすぞ、人民その時、所に通用するように説いて知らせよ』…。

============================================================================

【教旨】

天地不二、神人合一。

天(アメ)は地(ツチ)なり、地は天なり、不二なり、アメツチなり、神は人なり、人は神なり、一体なり、神人なり。

神、幽、現(大三千世界)を通じ、過、現、未を一貫して神と人との大和合、霊界と現界との大和合をなし、現、幽、神、一体大和楽の光の国実現を以って教旨とせよ。

【三大実践主義】

◎弥栄実践

◎祓実践

◎マツリ(○の中に点で示される)実践

大宇宙の弥栄生成化育は寸時も休むことなく進められているのざぞ、弥栄が神のご意志ざぞ、神の働きざぞ、弥栄は実践ざぞ。

人としては其の刹那刹那(今という瞬間)に弥栄を思ひ、弥栄を実践して行わねばならんのざぞ。


宇宙の総てはマツリ(調和…陰陽統合…日月の○チョンマークで示す)となっているのざぞ、どんな大きな世界でも、どんな小さい世界でも、ことごとく中心に統一せられているのざぞ。

マツリせる者を善(統合)と云い、それに反する者を悪(分離)と云うのざぞ、人々のことごとマツリ(調和)合わすはもとより、神、幽、現、の大和実践して行かねばならんのざぞ。

天地(アメツチ)の大祓ひと呼応して国の潔斎(世界のカルマの清算)人の潔斎(人間のカルマの清算)祓ひ清めせねばならんのざぞ、与えられた使命を果たすには潔斎せねばならんのざぞ。(カルマとは行為の意で、日月神示では、否定的カルマのことを『メグリ』と示し、肯定的カルマのことを『オカゲ』(神徳)と示しています)

かへりみる、はぢる、くゆる、おそる、さとる、の五つのはたらきを正しく発揮して、みそぎ祓を実践せねばならんのであるぞ。

役員よきにして今の世に、よき様に説いて聞かして、先ず七七、四十九人、三百四十三人、二千四百○一人の信者早うつくれよ、信者は光ぞ、それが出来たら足場出来るのざぞ。(『足場』とは半霊半物質の霊物大調和の『ミロクの世』…霊界と現界の両方を合わせもつ世の元からの大神の計画である新しき霊界…その『礎』のこと)

産土(それぞれの土地の神々)の神様祀りたら、信者出来たら、国魂(国々(世界)臣民一体としての)の神様祀れよ、次に大国魂(大宇宙すべてのあらゆる存在、臣民一体としての)の神様祀れよ、世光来るぞ。

========================================================================


(日月神示では『善』『悪』といった表記が多々あり、よく読まないと誤って二元論だと取り違えてしまうのですが、これらの表記は二元ではなく、『善』=『統合…調和』で『悪』=『分離…不調和』ということで、陰陽不二、善悪は無し…つまり『一元』を説いています。

さらに『この世的な』分離的視点からみた場合の『善悪』を説明する表記もあったりするので、なおさらよく読まなければなりません。

ひふみ神示の『一二三』とは、陰と陽…そしてその要素を包含、超越する根元要素の三つを『三元』…その三元は一体で『三元一元』が真実だということ…。 

そして、三元は分離側から見て三元と見えるいうことで、すべてと一体、統合の真実では『一元』ということ…。

これが一元三元の理となります。

…ちなみに悪でないを悪を『悪』として非難する人間的な『この世的』な善(偽善)は、『陰陽不二』『持ちつ持たれつ(あなない)』の理にに反するので、最大の悪…つまり『最大の分離』となります。

これまでの世(社会)は、この分離幻想の『善と悪』の二元に基づいています。

善悪(陰陽)でなく、『全』・・・『すべて』・・『陰陽統合』・・・それが本来の『もちつもたれつ(あなない)の在り方なのです。

『神は善と悪の二つの顔を持つ・・』(分離意識の視点から見た場合・・そのように『世界』が見える・・ということ・・。)

日月神示の内容は、すべての宗教や思想を包含するものとなっており、『万教同根』のスタンスを取っています。

しかし、それはそれぞれの宗教の教祖達が説いた『本来の教え』を指して『万教同根』ということで、現代の利益を優先して『邪教』と化した組織的宗教は、当然これにはあてはまりません。(もちろん『邪教』にもちゃんと存在意義があります)

日月神示では、『体験と理解のみ(魂の)財産ぞ』…とあり、あくまでもこの世での『体験』…その体験を通した上での『理解』を最重要視しています。

『この世を捨てて天国を説くは邪教(分離の幻想の教え)』であるとハッキリ示しています。

現代の組織的宗教のほとんどは、『この世をすてて・・』になってしまっているのではないでしょうか・・。

日月神示が全体を通して一貫して述べている根本的なことは、必ずそこに行き着くことが既に決定している『最重要目標計画』とも言えるもので、それは、このコミュのタイトルにもある、世の元の元の大神の計画として世の元から定められている、霊界と現界の両方を合わせ持つ、半霊半物質の新しき霊界・・(地上天国)・・『ミロクの世』を、この世に顕現(降ろす)させること・・・にあります。 

『天の岩戸』は、日本に原爆が落とされた時から既に開かれています。

(大岩戸開き・・大アセンションは、その当時から、なだらかな上昇螺旋を描き、すでに始まっている・・ということ・・)

そして、今度は『地の岩戸』を人民の手で開かなければならず、その役割として、『日本』が重要な役割を担っていることが神示では明かされています。

これは、その『役割』がある・・ということで、選民思想や優越思想といった分離の幻想とは全く無関係です。

すべてと一体としての民のなかの誰かが、その役割を全うしたからといってもそれが偉いとか、優れているということにはならないからです。

イエス・キリストやブッタ、その他の聖者と呼ばれるような者達は、この世で体験を通して宇宙の理法を理解(思い出し)し、『無条件の愛』、『赦し』といった真実に則った法を説き、この世でそれを表現し、『神人』となった者達です。

しかし、そのような素晴らしい在り方を体験&表現出来たのは、宇宙という見せかけの対極性(光闇・・陰陽)のシステム『全体』があったお陰でのことであり、そのような在り方の達成は、独立単体では絶対に達成不可能なこと・・。

それらの素晴らしい聖者達の在り方は、『すべてと一体』という『全体』があってこそ、はじめて可能となったことなのです。

イエス・キリストは、この宇宙という『一体であり全体』というシステムのお陰で、対極性と映る二元の幻想の内にありながら、その二元の幻想が幻想であることを喝破し、一元無極という十字架上での『闇』の受容・・『赦し』・・という『全統合体験』を成し得たと言えるでしょう。

従って、イエス・キリスト、その他の聖者達が、『全体のどこかの一部』より優越している、あるいは『偉い』というこはありません。

当の聖者達に言わせれば、『私でなく、全体が『偉い』のだ』と言われてしまうでしょう(笑)

身体の中で、手が偉いとか、どこかの臓器が偉いとか、そのようなことがあるでしょうか?

一部は全体の一部(繋がっているので、本当は一部という区切りは無いのですが)として『そこ』でなくてはならない働き(役割)を果たしており、どこかが優れている・・ということはあり得ないのです。

人類・・そして、あらゆる『存在』は、大宇宙という『自然』の一部であって『全体』だと言えるでしょう・・・。

その『一元無極』の絶対という全体性を本当の意味で(体験を通して)理解した時に、


本当の意味で 『すべてに感謝』・・・と言えるのかも知れません・・・。



アメノヒツクノ大神様・・弥栄益しませ弥栄益しませ。

クニノヒツクノ大神様・・弥栄益しませ弥栄益しませ。

大三千世界・・・・・・・弥栄益しませ弥栄益しませ。

     

旧暦 H21年 1月29日(新2月23日) 記す・・・。

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参加メンバー 252人

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開設日
2009年2月23日

3015日間運営

カテゴリ
サークル、ゼミ