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☆明治の偉人・江原素六☆

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詳細 2012年3月28日 03:28更新

 素六先生のコニミティなかったので作りました。

 沼津っこなら一度は耳にする、江原素六先生。

 沼津を切り拓いた明治の開拓者。

 たくさんの学校を作り、沼津に産業を与え、多大な貢献をしました。

 何気に東京の麻布学園も作ったり、東京で政治家してたり、キリスト教だったりはあまり知られてないのでは??

 みんなで歴史を学び、語りましょう。





江原 素六(えばら そろく、天保13年1月29日(1842年3月10日) - 大正11年(1922年)5月19日)は、旧幕臣、日本の政治家、教育者、キリスト者。

幕府御家人の嫡子として江戸、角筈(現新宿区)に生まれる。房楊枝作りを手内職とする貧しい家庭に育ち、辛苦を舐めながらの生活であったが、剣術、洋学を学び、講武所の教授方として取り立てられる。鳥羽伏見の戦いでは、人材不足の幕府側の指揮官として戦ったことが認められ、江戸城開城後も市川・船橋戦争などで新政府軍と戦うも負傷して戦線を離脱する。明治維新後に勝海舟の執り成しで罪を許されて沼津へ移り住み、旧幕臣の子女への教育の為、沼津兵学校、駿東女学校(現・静岡県立沼津西高等学校)設立に尽力するとともに、東京に麻布学園を創設。

沼津では、旧幕臣の授産事業として、愛鷹山官林の払い下げ運動や茶の輸出会社の設立などを行った。駿東郡長をつとめたり、第1回衆議院議員総選挙で当選、立憲政友会の結成に活躍した。1912年に貴族院に移行しながらも没年まで政治家として活躍した。また1877年にキリスト教信者になってからは、沼津教会を設立したり、東京YMCA(キリスト教青年会)第5代理事長などもつとめ、積極的に宗教活動を行った。自ら設立し校長を務めた麻布中学校の箱根への遠足の数日後、脳溢血で死亡(80歳没)。

沼津市明治資料館 - 江原素六記念館がある。    Wikipediaより



江戸幕府の武士として生まれ育つ

 江原素六は、江戸時代の終わりごろ、天保13年(1842)に江戸(現在の東京)で生まれました。家は江戸幕府に仕える武士でしたが、貧乏で子供の頃から房楊枝(現在の歯ブラシ)を作って売ったりする内職をして家計を助けました。学問が好きだった素六は、一生懸命に勉強をして、19歳のときに幕府の軍隊の学校で砲術を教える先生になりました。

明治維新に際して沼津に移り住む

 明治維新で江戸幕府は滅び、将軍だった徳川家は、明治政府の命令で江戸から駿府(現在の静岡)に移るように命じられました。幕府の家来だった大勢の武士たちも江戸から現在の静岡県に移り住むことになりました。江原素六もその一人として、明治元年(1868)に沼津に移り住みました。

沼津で学校をつくり教育を行う

 沼津に移り住んだ素六は、沼津兵学校をつくり、優秀な人材を育てました。政府の命令で兵学校が廃止された後も、集成舎(現在の沼津市立第一小学校)、沼津中学校、駿東高等女学校(現在の沼津西高校)などをつくり、沼津の教育に尽くしました。また後には、東京にも麻布中学校をつくり、その校長を長くつとめました。

沼津でいろいろな産業をおこす

 素六は、愛鷹山で牛や羊を飼い、西洋式の牧畜を始め、牛乳やバター、チーズ、羊毛などを生産しました。また茶を栽培し、それをアメリカへ輸出する事業を興しました。いずれも、それまで誰もやらなかったようなことを初めて試みたものでした。国有地にされてしまった愛鷹山の土地を地元の農民に取りもどしてあげたことも大きな功績です。

政治家として活躍する

 素六は、駿東郡(現在の沼津市や御殿場市、裾野市などを含む広い地域)の郡長をつとめ、行政の仕事もしました。明治23年(1890)にはじめて国会が開かれた際には、衆議院議員の選挙に当選し、その後も長く議員をつとめ、政治家として活躍しました。明治45年(1912)には衆議院議員から貴族院議員に替わり、亡くなるまで議員の職にありました。

キリスト教をひろめる

 明治10年(1877)にカナダ人の宣教師から洗礼を受け、素六はキリスト教の信者になりました。現在の沼津教会は素六らが最初の信者としてつくったものです。明治15年から数年間、素六はキリスト教の伝道師として現在の富士市、富士宮市あたりを布教してまわったこともありました。また明治時代の後期からは、東京キリスト教青年会(YMCA)の理事長をつとめるなど、キリスト教徒の中の有力者として活躍しました。

弱い人々を助ける

 素六は、明治時代の終わりころから大正時代にかけて、政治家・教育者として活躍したばかりでなく、女性・子ども・病人など、社会の中で弱い立場にいる人々や、中国人留学生をはじめとする日本に虐げられたアジアの国の人々のために、いろいろな救護活動を行いました。

大正11年(1922)に亡くなる

 素六は人々からは偉い人として尊敬されましたが、自分では決して威張るような人ではありませんでした。誰とでも気安く話をし、皆から慕われました。日常の生活もとても慎ましいもので、決してぜいたくはしませんでした。
素六は大正11年(1922)に80歳で亡くなりました。東京や沼津では多くの人々がその死を悼み、お葬式が行われました。



                     社団法人江原素六先生顕彰会より

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2009年2月17日

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