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ラーメグ部

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コミュ内全体

詳細 2013年9月15日 22:50更新

みんなでラーメソを食べに行きましょうどんぶりぴかぴか(新しい)


部長     山岡
専属運転手  まー
助手席    どんチャン
美人局    ゆかり
嫁      イケコ
セレブ妻   ウサコ
会計士    ダイダイ
見習い    ミワロック
看板嬢    きぃたん
研修生    ジロー
先輩(既婚)  オサムン
王子     やす
幕下力士   たつえモン
理科委員   ぁゆ
料理人    鮎チャン
布袋寅泰   ゆーた
パチプロ    ミッチャン
麒麟一番搾  むぎ
ヒルズ族   たくぞー
監督     パティ
すべり台   シンペー
笑女     デイジー
紅一点    あゆみちゃん
ダーリン   犬猫大好きメグ大好きさん
サランラップ    ジョソ
千住アイドル たくやさん


活動するぜよ手(パー)




バカ舌、お断りexclamation ×2exclamation ×2exclamation ×2





★ラーメンの歴史★


1665年 水戸光圀が、日本人として初めて中華麺を食べるどんぶり
儒学者朱舜水が、光圀の接待に対して自分の国の汁そばをふるまった。ただし、この中華麺が広く庶民にまで広まる事はなかった。


1872年: 明治維新により開国された港町に中国人街が出現家ビル
横浜南京街に数軒の中華料理店が営業開始。


1884年: 函館「養和軒」にて「南京そば」というメニューがあったどんぶり
函館新聞に広告が載せられた物で、日本で最初に、正式に中華麺が宣伝された可能性がある。
ただし、この「南京そば」が、現在のラーメンにつながる汁そばであるかどうかは不詳である。


明治中期: 横浜の南京街(中華街)で、南京そばの屋台が引かれ始めるどんぶり
この前後に、相次ぎ本格中華料理店が続々と開店するNEW


1905年: 長崎『四海楼』の陳平順氏が、長崎ちゃんぽんを考案どんぶり


1910年: 浅草「来々軒」が創業どんぶり
屋台ではなく、店舗を構えたラーメン専門店としては、日本初のお店であるぴかぴか(新しい)当時は絶大な人気を博したようだが、残念ながら既に閉店している。


1916年: 佐野「宝来軒」営業開始どんぶり


1923年: 札幌「竹家食堂」営業開始どんぶり
札幌ラーメンの元祖だが、現在のような濃厚な味噌ラーメンではなく、比較的あっさり目の醤油ラーメンがメインだった。現在は、その味を受け継ぐ「竹家」が、神戸市にて営業中。

1923年: 初めて日本人が経営するカン水業者が横浜と東京・深川に開業

1925年: 喜多方で最初のラーメン店「源来軒」営業開始

1932年: 大阪・梅田の阪急デパートに支那食堂が登場

1935年: 宮城・仙台『龍亭』が涼拌麺(冷やし中華の原型)を発売

1937年: 九州最初のラーメン店「南京千両」が営業開始。営業開始以来、現在まで屋台での営業である。

1937年: 東京・錦糸町に難波二三夫氏が屋台『貧乏軒』(後の『ホープ軒本舗』)開業

この前後から戦争に至るまで、銀座「萬福」京都「新福菜館」、飛騨高山「まさご」などが続々と営業開始。歴史が古めのご当地の元祖にあたるラーメン店は、昭和前半に多く開店している

1940年: 和歌山「丸高」が屋台で営業開始。

1947年: 尾道「朱華園」営業開始。

久留米「三九」で、白濁した豚骨スープを出し始める。「南京千両」はさらりとした豚骨スープだったが、「三九」のスープは現在の九州ラーメンの源流になる物。博多、熊本などを始め、九州全域に大きな影響を与えている。

1946年: 愛知・名古屋『寿がきや』開業

1947年: 荻窪「漢珍亭」営業開始。

1947年: 北海道・旭川に旭川ラーメンの『蜂屋』『青葉』開業

1948年: 東京・荻窪『丸長』開業

1949年: 福島・喜多方『まこと食堂』開業

1949年: 東京・荻窪『春木屋』開業 ラーメン処荻窪の基礎が出来上がる。

1950年: 札幌『味の三平』開業

1955年: 味噌ラーメン開発と同じ年に、中野「大勝軒」にて、山岸一雄氏がつけ麺を開発。その後、東池袋大勝軒で「もりそば」と言う名で大ヒットし、その後数十年にも渡って行列を維持している。

1958年: 初のインスタントラーメン「日清チキンラーメン」発売。「支那そば」→「中華そば」と言われていたラーメンの、「ラーメン」という呼称が全国的に広まった。

1958年: 東京・武蔵境の『珍珍亭』が油そばを考案

1959年: 福岡でマルタイが「チキン味棒ラーメン」を発売

1961年: 札幌「味の三平」にて、大宮守人氏が味噌ラーメンを開発。札幌ラーメンの方向性を決定づけただけではなく、後の札幌味噌ラーメンブームを引き起こし、ラーメンの多様性を世に知らしめた功績は、あまりにも偉大だ。

1961年: 東京・東池袋に山岸一雄氏『大勝軒』開業

1963年: エースコックのワンタンメン発売

1964年: 札幌『華平』の川西寛明氏がラーメンにバターを入れることを考案

1965年: 高島屋物産展で味噌ラーメンの実演販売実施。三年後にはサンヨー食品から「サッポロ一番味噌ラーメン」が発売され、味噌ラーメンの大ブームがまきおこった。

1966年: サッポロ一番(醤油と塩)発売

1966年: 明星チャルメラ発売

1968年: 日清『出前一丁』発売

1968年: サンヨー食品がサッポロ一番の味噌味を発売

1969年: インスタントラーメンにノンフライ麺が登場

1971年: 日清食品からカップヌードル発売。このエポックメイキングな発明は、日清食品会長の安藤百福氏による。安藤氏はチキンラーメンも発明していて、まさにインスタントラーメンの父と言える。

1971年: 京都・金閣寺近くで屋台の『天下一品』開業

1974年: 横浜「吉村家」営業開始。ご当地ラーメンと言えるだけの普及を果たした、おそらくは今のところ最後に成立したラーメンスタイル。元々横浜では、中華街の流れを汲む醤油ラーメン、タンメン、サンマーメンなどが主流だったが、たったの20年程で吉村家出身の「家系」店舗群が大きく勢力を伸ばしてきた。今や関東各地は言うに及ばず、北海道、仙台、新潟など、全国各地にその系統を延ばしつつある。

1980年: 1980年頃から関東を端緒に「豚骨ラーメンブーム」が起こる。「なんでんかんでん」「九州じゃんがららぁめん」等の人気店の出現も大きいが、食生活の西欧化など、特に若者を中心とした嗜好の変化が最大の原因ではないだろうか。これをキッカケに、いわゆる「こってりラーメン」が人気を博し始めている。

1986年: 神奈川県藤沢市に「支那そばや」開業

1987年: 東京・杉並に「げんこつ屋」開業

1988年: 福岡・博多に「一風堂」開業

1989年: カップ麺が袋麺の生産を上回る

1992年: 日清「ラ王」発売。インスタントラーメン、カップ麺に続く第三のエポックメイキングの「生タイプ麺」は、ここからヒットした。この三年前には、生産量で袋入り麺をカップ麺が抜き去っている。

1994年: 新横浜ラーメン博物館開館

1996年: 青山「麺屋武蔵」、中野「香門」「青葉」、横浜「くじら軒」など、その後業界をリードしていく個性店、個性的なご主人がこの前後に相次いで登場している。豚骨・コッテリブームに対する反動とも取れるが、この時期から現在に至るラーメンの進化の兆しが見え始めた。

1998年: 旭川ラーメンが話題に。その後和歌山、徳島などの話題性を含め、全国各地のご当地ラーメンに注目が集まった。大きな波になった地域以外でも、久留米、尾道、函館など、各地の認知度が上がり始める。

2000年: 1996年に続き、埼玉「ぜんや」、大和「中村屋」など、ご当人ラーメンの第二期ラッシュ。多様化に加えて、明らかにレベルアップ指向のお店、職人が増えて来た。
同時に、塩ラーメンが脚光を浴びる。味噌ラーメンブームのような、あらゆるお店がメニューに加えるような爆発的ブームではないが、レベルの高いお店の「切り札」的な存在として認知されたと言える。塩は調味料自体の風味や旨味が無い分、スープをピュアに味わえる。「ご当人」への注目と連動し、良い食材、工夫を重ねた製法を、もっともストレートに表現する手段として「まずは醤油(または味噌)、でもいずれは塩も」のような、敷居が一段高いラーメンだと認識されるようになった。

2001年: カップ麺にお店の屋号をつけた商品が続々と発売され始める

2001年: 内装を凝ったラーメン店が注目を浴びる

2002年: 首都圏を中心に魚介Wスープが人気となる

2002年: 「大勝軒」「二郎」の暖簾分けの店が続々と出店

2002年: 全国的にラーメンをテーマとした施設が続々とオープンする

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開設日
2009年2月11日

5515日間運営

カテゴリ
サークル、ゼミ