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ミシェル・フーコー(1926-1984)

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コミュ内全体

詳細 2016年10月8日 21:24更新

フーコーのコミュは、既に存在しているようですが、あまり活発化していないようです。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=7788

僕としても考えめぐらせながらも後回しにしてきた後悔があるものです。
しかし、個人的に考え合わせるなら劇場版『カムイ外伝』の前哨戦のような『銭ゲバ』と言うTVドラマを考えながら
やっぱり、狂気とは何か?社会を監獄化しているものは何であるのかを考えるのには、「やっぱり、フーコーからの繰り返しの問いが根本にあるな」と考え到っているわけです。

古典を考えるだけではなく現代の狂気について考えたり、サブカルチャーにまで、言及しながら相互交流していける場所にしていきたいと思っています。

ただ、ミイラ取りがミイラになってはいけませんので、ご注意くださいね。
後は、なんの注意もありません。
放送禁止用語や個人への誹謗中傷以外は、どこから問題をとってくるのも自由にしたいと思っております。

で、2009年のフーコー研究を共同で、盛り上げていきましょうexclamation ×2ってことでGOexclamation

フーコー入門
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=39246242&comm_id=4009302

現代狂気と犯罪について
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=39246982&comm_id=4009302


思想と著作・講義

フーコーは一連の活動により、「知と権力の関係」「知に内在する権力の働き」を説明した。また『性の歴史』研究により古代を題材としながら、本来あるべき人間像と社会像を語った。フーコーの思想においては「絶対的な真理」は否定され、真理と称される用語や理念は、社会に遍在する権力の構造のなかで形成されてきたものであると見なされる。フーコーの思想においては知の役割は「絶対的な真理」を証明することではなく、それがどのようにして発生し、展開してきたか調べる(知の考古学)ことにある。

フーコーの思想は社会学・政治学・教育学など様々な分野に大きな影響を及ぼしているが、J・G・メルキオールのそれのような、史実の濫用による無意味な思想であるとの否定的見解もある。


根源

フーコーの思想は、ニーチェとハイデッガーの影響を受けている。とくに、ニーチェの「力への意志」や伝統的価値の無力化の指摘と、ハイデッガーによる「技術的存在理解」への批判をもとに、フーコーは、社会内で権力が変化するさまざまなパターンと権力が自我にかかわる仕方とを探究した。歴史においては、ひとつの論が時代の変化とともに真理とみなされたり、うそとみなされたりすることがありうる。フーコーはそれを支配している変化の法則を考察する。また、日常的な実践がどのようにして人々のアイデンティティを決定し、認識を体系化しうるのかをも研究した。フーコーによれば、事物を理解するどの方法も、それなりの長所と危険性をもっている。


狂気の歴史
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=39245295&comm_id=4009302
言葉と物
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=39245225&comm_id=4009302

フーコーは『狂気の歴史』(1961年)で、西欧世界においてかつては神霊によるものと考えられていた狂気が、なぜ精神病とみなされるようになったのかを研究する。彼が明らかにしようとするのは、西欧社会が伝統的に抑圧してきた狂気の創造的な力である。第2段階は、先に概観した知の変化についての考察が中心となる。この考察は、もっとも重要な著書である『言葉と物』(1966年)にしめされている。


監獄の誕生
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=39245380&comm_id=4009302

『監視と処罰 監獄の誕生』は1975年に出版された。近代以前における刑罰は、権力者の威光を示すために犯罪者の肉体に対して与えられるもの(公開の場で行われる四裂き刑、烙印、鞭打ちなど)であったが、近代以降の刑罰は犯罪者を「監獄」に収容し精神を矯正させるものとなった。これは人間性を尊重した近代合理主義の成果と一般に思われているが、フーコーはこうした見方に疑問を呈する。監獄に入れられた人間は常に権力者のまなざしにより監視され、従順な身体であることを強要されている。功利主義者として知られるベンサムが最小限の監視費用で犯罪者の更生を実現するための装置として考案したのが、パノプティコン(一望監視施設)と呼ばれる刑務所である。さらに近代が生み出した軍隊、監獄、学校、工場、病院は、規則を内面化した従順な身体を造り出す装置として同一の原理に基づいていることを指摘した。本書は監獄の状況を調査し、その状況の改善を要求するフーコーの実践活動(監獄情報グループ)とも結びついていた。

本書は、社会が個人の肉体を訓練することによってその個人を規律化する方法を論じている。


性の歴史
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=39245456&comm_id=4009302

未完におわったフーコー最後の著作は、「性の歴史」である。この著作は、発刊計画が発表されており、当初は全6巻(第1巻『知への意志』、第2巻『肉欲と身体』、第3巻『子供の十字軍』、第4巻『女、母、ヒステリー患者』、第5巻『倒錯者たち』、第6巻『人口としての住民と人種』)の構想であったが、実際には構想は変更されたうえで、第1巻『知への意志』(1976年)、第2巻『快楽の用法』(1984年)、第3巻『自己への配慮』(1984年)の3巻が刊行された。第4巻『肉の告白』の完成直前にフーコーが死去し、遺稿が残されたが、遺言により刊行されていない。この一連の著作においてフーコーは、西洋社会の人間が自分たちを性的存在として理解するようになる諸段階を追究し、性的な自己概念を個人の道徳的・倫理的な生活に関係づけた。


フーコーの晩年

フーコーは晩年のどの著作においても、西洋社会が「生の権力」という新しい権力、つまり、伝統的な権威の概念では理解することも批判することもできないような新しい想像も出来ない管理システムを発展させつつあることをしめそうとする。従来の権力(国家権力など)機構においては、臣民の生を掌握し抹殺しようとする君主の「殺す権力」が支配的であったが、この新しい権力は抑圧的であるよりも、むしろ生(生活、生命)を向上させる。たとえば、住民の生を公衆衛生によって管理・統制し、福祉国家というかたちをとって出現する。フーコーは、個人の倫理を発展させ、自分の生活を他人が尊敬し賞賛できるようなものにかえることによって、この「生の権力」の具体的な現れである福祉国家に抵抗するようによびかける。 フーコーの死後、その自室から性具・猿ぐつわ等のSM性癖関係の拘束具が数多く出てきたことが伝えられている(出典:ギベール著『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』訳者あとがき)。

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開設日
2009年1月27日

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カテゴリ
学問、研究