mixiで趣味の話をしよう

mixiコミュニティには270万を超える趣味コミュニティがあるよ
ログインもしくは登録をして同じ趣味の人と出会おう♪

ホーム > コミュニティ > 学問、研究 > 佐久間 象山

佐久間 象山

佐久間 象山

ログインして参加する

参加するにはログインが必要です。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コミュ内全体

詳細 2016年5月4日 16:27更新

佐久間 象山が好き。
佐久間 象山(さくま しょうざん、文化8年2月28日(1811年3月22日) - 元治元年7月11日(1864年8月12日))は、幕末期の兵学者・思想家。号の読みは「ぞうざん」とも。信州松代藩の下級武士の出。通称は修理、諱は国忠で、佐久間家は平姓だったので、象山の正式な名のりは、平国忠(たいら・の・くにただ),諱はのちには啓(ひらき)、字は子迪・子明と称した。

若年期に経学と数学を学ぶが、とりわけ象山は数学に興味を示し、熱心に学んだ。若年期に数学の素養を深く身に着けたことは、この後の彼の洋学吸収に大きく益したことは言を俟たないだろう。

その後江戸に出て、当時の儒学の第一人者であった佐藤一斎に朱子学を学び、また易にもこった。 天保10年(1839年)、江戸に私塾象山書院を開くが、ここで教えていたのはあくまで儒学である。多くの学者との交際の中で、西洋に対する認識はめばえつつあったが、この時期の彼はまだ伝統的な知識人であった。

ところが象山の仕える松代藩の状況が大きく変化し、天保13年(1842年)には藩主真田幸貫が老中兼任で海防掛に任ぜられた。隣国の清が1840年のアヘン戦争で敗れ、イギリスに屈したという生々しい情報が入り、幕府全体が大きく緊張した時期である。

藩主幸貫は洋学研究の担当者として、既に藩内きっての俊才と名高い象山に白羽を立てた。そこで象山は幕府の韮山代官で洋学に見識が深く、既に海防に実績を挙げていた江川英龍(太郎左衛門)の門下に入り、兵学を学んだ。 温厚で思慮深い江川は、傲慢であくの強い象山のことが嫌いでたまらなかったようだが、ともかくもここで兵学の素養を身につけ、藩主幸貫に「海防八策」を献上、高い評価を受けた。

これが大きな契機となって、象山は兵学のみならず、西洋の学問・歴史そのものに大きな関心を抱くようになった。 特にピョートル大帝とナポレオンの優れた業績に感嘆し、その手法を日本でいかに取り入れるか模索した。

また、高島秋帆や江川の技術を取り入れつつ大砲の鋳造に成功、名を大きく高めた。さらに多くの事業を手がけ、ガラスの製造を行い、牛痘種の導入を企図するなどし、いつしか押しも押されぬ洋学の第一人者として高く評価されるようになった。 さらに嘉永2年(1849年)には、故郷松代で日本初の電信実験を成功させている。

ペリーが日本来航の際、電信機を持ち込んだが、象山はその4年も前にその実物を書物を駆使して完成させたということである。

教育にも情熱を傾け、多くの弟子を育成した。一方でその性格のために、多くの敵も作っていた。

嘉永6年(1853年)、アメリカ海軍のペリーが来航、開国を迫った。象山は視察に浦賀まで訪れている。ところが翌年、再び来航したペリーの艦隊に弟子の吉田松陰が密航を企て、失敗。象山も事件に連座して、一時伝馬町へ入獄する羽目となった。

元治元年(1864年)、幕府後見職一橋慶喜に招かれて入洛、公武合体論、開国論を説いた。 しかし、尊皇攘夷思想うずまく当時の京都に赴くことは、開国派・西洋かぶれという印象を広くもたれている象山にはあまりに危険な行動であった。さらにその京都を移動する際、ろくに供も連れなかった。

同年7月11日、三条木屋町で前田伊右衛門、河上彦斎らにより暗殺された。明らかに自信過剰が引き起こした事故であり、禁門の変の7日前のできごとであった。現在、現場には遭難碑が建てられている。 その後河上彦斎は象山の事歴を知ると、あまりに大物を殺害してしまったことに愕然とし、人斬りと名高かった彼が暗殺をやめてしまったという。

門弟に吉田松陰、小林虎三郎、勝海舟、河井継之助、坂本龍馬、橋本左内、加藤弘之らがいる。 なかでも吉田松陰(寅次郎)と小林虎三郎は「象門の二虎」と称され「天下、国の政治を行う者は、吉田であるが、わが子を託して教育してもらう者は小林のみである。」と語った。 なお、象山の後妻は、勝の妹順子である。ただし順子は石女だったため子はない。

[編集]
息子は新選組に
象山が無様な殺され方をしてしまったために、佐久間家は改易とされてしまった。行き場を失った息子・三浦啓之助(幼名恪二郎。象山と愛妾お蝶の子)は、父の仇を討つために勝海舟の紹介を受けて新選組に入隊した。しかし父同様素行が悪く、隊内で何度も問題を起こし、ついに脱走してしまった。

三浦啓之助
[編集]
その他
象山が傲慢であったのは有名な話で、その態度は誰に対しても変わることはなかった。また、自らを「国家の財産」であると自認しており、坂本龍馬に「僕の血を継いだ子供は必ず大成する。そのため、僕の子供をたくさん生めるような、大きな尻の女性を紹介してほしい」と頼んだこともある

おもしろすぎる象山先生!素敵です。
興味がある方はコミュニティに参加して下さい。

コミュニティにつぶやきを投稿

参加メンバー 224人

もっと見る

開設日
2005年11月5日

4051日間運営

カテゴリ
学問、研究
関連ワード
関連ワードを登録しよう

編集から関連ワードを登録すると、コミュニティがmixiワードに表示されるようになります!