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ネパール・ダンス(ソンギート)

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詳細 2011年5月9日 04:41更新

Namaste!
♪ネパールソンギートに親しむ会(Maya Nepali Sangeet Sanstha)です。

♪Sangeetとはネパール語で「歌謡」という意味が一般的に知られていますが、実は「歌・演奏・踊り」の三位一体を表す言葉です。
日本に「歌・演奏・踊り」が三位一体になった言葉なんてありますか?
ないですよね〜
 芸能と言ってしまうと、もっと広いカテゴリーになってしまうし。

♪ちなみにネパールで「芸能」は「Sangeet kala」(無理矢理カタカナ表記でサンギート・カラ)、「芸術」全般にあたる言葉は「Lalit Kala」(ラリット・カラ)と言います。

♪ネパールの定義では、「Lalit Kala」の中に「Sangeet Kala」があり、その中に「Sangeet」があるのです。

♪ネパールのSangeetは実に豊か。
60民族70言語の多民族・多文化国家で実に多様な文化を持ち合わせているネパールには驚きの踊り、驚きの楽器、驚きの芸能の慣習がたくさんたくさんあります。

♪私は1985年よりネパールの舞踊を習得しにネパールへ通い始めました。そこで魅せられて様々な活動をするにいたったのです。

♪素晴らしいネパール舞踊を、ネパール芸能を広めようと、1994年日本初ネパール舞踊クラスを開講。パンチャ・ラマの奥さん、マユール・グループをはじめ多くの人へ踊りを教えてきました。その中にはスンダリミカさんもいましたね。

♪私のモットーは「日本人一人残らず一度はネパールダンスを踊らせたい」です。現在推定4000人は超えております。

♪そんな素晴らしいネパールの伝統芸能は危機に瀕しています。経済的・政治的やむを得ない離村、若い世代の興味の意向・モダン志向。そしてまだその宝にネパール人自身が気が付いていない部分があるからです。
 日本のように文字に記す、記録に残すといった習慣がほとんどなく、私のリサーチしたとある村では踊り手が一人しかおらず、その方は90歳のご高齢でした。その方がもし亡くなられたらもう何も紐解くものはないのです。

♪いつしかネパールがもう少し豊かになり、人々が故郷を足下を顧みるようになった時、生活に余裕ができた時、必ず村へ帰る時が来る、自身のアイデンティティを探りたくなる時が来ると思っています。

♪そんな時そこに記録が入った玉手箱があったら、それを開いて100%復元できなくても大きな復刻の手がかりになるはず。そんな思いでリサーチを続けています。

♪ネパールソンギートに親しむ会の奔りは1997年に始まりました。私がネパールに4年間住んでいた時、なんとかネパールの人たちの伝統芸能への興味を湧かせることができないかと考えた挙句、一つのステージを思いついたのです。それが『JAPAN in NEPAL』でした。そのステージは「一般公募素人日本人によるネパール伝統舞踊ステージをネパール人に見せる」というものでした。
 まずはダンサーをたくさん集めなくてはならない、ネパール芸能好きのマニアの一部が応援しているだけでは、ネパールの人々の心に響かないと思ったからです。より多くの、それもプロでなく、踊りも踊った事がない人を集めたかった。あくまでも気の置けないネパールの村の暮らしの中で生き生きと存在するネパール舞踊を、ネパール芸能を再現したかったのです。

♪その年はちょうど河口慧海がネパールに日本人として初めて足を踏み入れてから100周年の年であり、当時の日本大使館がその記念行事を展開していたこともあり、大使館の協力を得る事ができました。
 毎日チラシを持ち歩いては日本食レストランやホテルに貼り、道を歩いている日本人風の人を見つけては「日本人ですか?ダンサーになりませんか?」とスカウトして歩きました。

♪その結果、大使館関係、各プロジェクト関係、JOCVなどお仕事で来ている人たちやそのご家族、ビスワバハサの語学留学生たち、果ては旅行者までダンス・音楽出演者総勢35名、スタッフ約10名が集まってくれました。

♪練習期間は1か月のみ。それもみんな自身のネパールにいる目的がある訳ですからそれは邪魔したくなかった。そういう事まで削って、何かに後ろめたい気持ちで無理して来てもらっても、それが踊りに、その表情に出てしまうからです。
 だから、練習時間は朝7時から夜11時まで、来るのは自由にしました。もちろんその間私はずっと稽古場に詰めていないとならず、後半は帰り道で倒れてしまって即点滴。でも次の日には復活!本当にみんなが参加してくれて嬉しかったからそんな事苦にもならなかったんです。

♪JAPAN in NEPALステージでは最後の曲は参加者全員で踊るフィナーレというのが定番です。短期間での練習では技術はつたないのが当然ですが、一生懸命な姿、緊張している姿、心から楽しんでる姿、それをネパールダンスや音楽の力との相乗効果で見せた時、必ずやネパール人の心に懐かしい、温かな、元気になれるパワーを思い出してもらえる、伝えられると思ったからです。

♪ステージは大成功でした。観客の拍手喝采、新聞にも大きく取り上げられ、大使館の招待で来ていた当時の王立劇場(ロイヤルネパールアカデミー)の会長が、翌日日本大使宛てに2枚の手紙を送ってこられました。そこには心より感動した旨、日本人の頑張りや自分自身も見たことのないネパールの芸能を揃えていたことへの驚き等が綴られていて、最後に「これは多くのパブリックにもっと見せなくてはならない。次回よりアカデミーを無料提供する」という言葉で締めくくられていたのです。

♪私が何より嬉しかったのは、出演者が本当に楽しんで踊ってくれたこと、それが観客に伝わって、演者と観客が共感できた事、そういうことを成し得ることができるネパールSangeetの力が実証できたことでした。
 民族舞踊・民族音楽の醍醐味はその場にいる者同士の「感情の共有」が得られる事だと思っています。そしてそれが人間にとって必要不可欠なものであると確信しています。

♪それから毎回王立劇場でのステージ公演が始まりました。もちろん、前回の方々はそれぞれに帰国される時期がある訳ですから、新しいステージ毎にまたまた日本人をスカウトして歩いたのです。
 うわさが広がりJOCVの方などは自身の赴任期間が終わり新しい隊員が来たらこのステージに参加するように促してくれたりしてだいぶ募集も楽になって行きました。
 2000年に行った「JAPAN in NEPAL」の時、そういった応援者の皆さんと共に「ネパールソンギートに親しむ会準備会」が設立。参加者も60名、観客も王立劇場に100人もの立ち見が出て1300人を数えました。
 帰国後2001年に東京で第1回NEPAL in JAPANステージ、100名の公募ダンサーで1つのステージで踊り大喝采をいただきました。それを経て2002年ネパールソンギートに親しむ会は正式に発足されました。

♪通称「ネパソン」の活動は
?「JAPAN in NEPAL」(ネパール公演)、「NEPAL in JAPAN」(日本公演)
?普段のネパールダンスや演奏のパフォーマンス活動
?村々の伝統芸能リサーチと資料の寄与
?伝統芸能に使う楽器や衣装、アクセサリーの修繕や新調
?ネパールアーティストの活動支援
?ネパール民族伝統舞踊指導
?200着所蔵民族衣装ファッションショー
などです。
 保育園・幼稚園・小学・中学・高校・大学、障がい者施設、高齢者施設、国際交流フェスや自治体の祭り、在日ネパール人各組織のイベント等にも出演・講演・指導中です。
 2007年、2008年、2009年と日比谷公園で行ったネパール・デー・フェスティバルのステージもすべてコーディネートさせていただきました。

♪どうかご興味のある方、ネパールへ行かれたことない方でも大歓迎です。まずはこのコミティに参加していただき、ネパール芸能文化を軸に交流できたらと思いますのでいかがでしょうか。もちろんネパール以外の国のこういうジャンルにかかわっておられる方々も大歓迎です。
 「芸能文化が地球を救う」と信じています。

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開設日
2008年12月25日

3104日間運営

カテゴリ
旅行