mixiで趣味の話をしよう

mixiコミュニティには270万を超える趣味コミュニティがあるよ
ログインもしくは登録をして同じ趣味の人と出会おう♪

ホーム > コミュニティ > サークル、ゼミ > 日本主義思想再考

日本主義思想再考

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コミュ内全体

詳細 2016年6月24日 00:28更新

■概要


昭和十年代の日本思想潮流を研究する読書会。
2009年一月以降、都内のどこかで月一程度、定期的に開かれる予定。
(現在のところ参宮橋オリンピックセンターなど想定中。)

観客、オブザーバー、飛び入り歓迎。とりあえずミクシィでコミュだけ参加して様子を見るってのも大歓迎。




■なぜ今日本主義を再考するのか

この勉強会では、いわゆる「日本主義」と呼ばれた、昭和十年代の日本思想潮流について扱う。昭和十年代というのは日本が日中戦争の泥沼に入って行く時期で、どうして同じアジアを攻撃しなければならないのかという「心情的アジア主義」によって国家的危機であると同時に深刻な思想的ディレンマにも立たされていた時期なのであり、それゆえ、日本人が世界史における日本の使命というものを真剣に考えた時期である。つまり日本人が西欧を超克していくために、一番真剣に日本の存在意義、「自分がここに存在している理由」を考えた時期であると言えるのだ。今どうして自分がここにいるのか、かつて日本人はわからなくなった。同じアジア人、同胞であるはずの中国に帝国主義的な侵略攻撃をしかけなければならなくなったときに、日本人は精神的に分裂をきたした。「こんなことしたくないのに、なぜ友を殺さなければならないのか」「ぼくはここにいる必要なんてあるのか」そういった深刻な問いが、日本人全体に降りかかったのである。本当に戦うべき敵とはなんだろう?自分とはなんだろう?ぼくはここにいていいのだろうか?ぼくは誰だ、なんのためにうまれてきたのか。それに対して日本最高峰の知が、ひとつの答えを出そうと試みたのが「近代の超克」座談会であり、西田幾多郎であり、保田與重郎であり、小林秀雄である。これは覚悟も不安もなく使ってる本人もわからぬような難解なカタカナ語を振り回して日本の現状を憂いてみせるような、現代のアホ学者のお茶のみ会とはまるで違う。何より、日本という精神そのものが消滅するか否かが、これら知識人の両肩にはかかっていたのだ。答えを出せなければ、日本という人格は精神異常を来たし、二度と修復不可能になるのである(そして実際彼らは答えを出せず、日本は戦争に負け、日本という人格は精神異常をきたした。それが今の有様である。)しかし、我々はただそれを暗い闇に閉ざされた過去として記憶の闇に葬り去るのではなく、再びそこからはじめなくてはならない。どんなに見たくもない問いであろうと、やはり「ぼくはここにいていいの?」という問いから、人間のこころは始まるのである。今の日本はこころのない木偶である。それは「ぼくはここにいていいの?」という問いを、日本人がみないふりをしているからだ。あの悲劇的な戦争の記憶とあいまって、日本人はそれを考えることを恐れている。根源的な問いの先には、破滅しか待っていないと思っているのだ。それは一面では正しかろう。この根源的な問いにとりつかれたものの先には、絶望しか待たない。まさに死に至る病である。しかし精神はそこからはじまる。

ある種の人々はこのような考え方を、非常に近代的なもの言いだとして批判することだろう。評論家の柄谷行人はこう言っている。

「丸山や竹内は自己(主体)の不在というようなことを日本の思想の欠陥として批判したのですが、そのような近代的主体を否定するポスト・モダニズムの思想が西洋から到来したのです。近代西洋に固有の主体や原理性というパラノイアックな傾向が否定され、そのようなものをもたないスキゾフレニックで非体系的な思考が推奨された。そういうものなら、と人々は考えた、日本にもともとあるのではないか、と。それと同時に、人々は、戦後倉庫にしまってあった西田幾多郎などの「近代の超克」思想を取り出してきました。その結果、日本こそ、ポスト・モダニズムの先端を行くということになったのです。(日本精神分析)」

※丸山はファシズム研究の丸山真男、竹内はアジア主義研究の竹内好のこと。


つまり柄谷の説明によれば、多くの研究者にとって「近代の超克」がクローズアップされるのは、日本人の「失われた自我を取り戻す」ためではなく、日本人の「自我のなさの象徴」だからである。そうして現代思想の胸を借り、近代の超克を傘にして「我々には自我がなくていいのだ」と、自分に言い聞かせるようにつぶやいているのである。少なくともぼくにはそう見える。臆病者が過去の傷跡を直視できず、歪んだ今を肯定しているだけのように見える。

40、50の思想家たちがどう考えているか知らないが、はっきり言って、ぼくにとっては歪んだ今を肯定することよりも、絶望に満ちた今を転覆させることの方がよっぽど重要である。自我の不在を肯定するのではなく、日本の自我へと挑む思想戦に再び魂を吹き込むのだ。


■日本主義とは何か


現代人である我々が「日本」というとき、その言葉には民族的な意味(Nation)と国家システムの意味(State)の二つが混ざり合っている。我々は一般的に、民族とは個性をもった文化社会集団のことであり、国家とはその政治的支配機構のことだと考えている。しかしこれはあくまで現代における定義である。先人はどう考えたであろうか。例えば西田幾多郎(哲学者:1870-1945)ならこう考える。「国家は……歴史的世界の個性的生命でなければならない。我々の自己が唯一なる世界の唯一なる個物として歴史的世界の一角から働く、過去未来をふくむ絶対現在の自己限定として立体的に働くと云ふことは、国家主権を中心として国家的に働くと云ふことでなければならない。……或民族が国家的となると云ふことは、単に主体的としてと云ふことでなく、主体即世界的として、歴史的世界の個性的なる創造力となることでなければならない。」(「世界観と国家観」)即ち西田にける国家とは、民族が自らの個性を自覚して、世界史の中でその独自の立場から主体的に世界を創造しようと努めることである。

西田の考えにあらわれている通り、日本主義者らとって国家は単なる支配機構ではない。国家は悠久の歴史を背負った生命体のようなものであり、その創造物である文化は「個性的生命の所産」である。そうしてその国家という生命体のあり方のことを、日本主義者たちは「国体」と呼んだ。つまり、アメリカなら自由と民主主義が国体であり、イギリスなら法の支配と立憲君主制が国体となる。中国ならば中華思想と易姓革命が国体、フランスなら革命と理性が国体かもしれない。日本はどうか。西田に続けてもらおう。西田によれば日本の国体とは「宗教的なるものが、始であり終である」(「国家理由の問題」)。西田の説明によると、西洋の近代国家は宗教的なるギリシャ・ローマの「都市国家の破壊せられた後に出来た」ものであり、「民主的たらざるをえない」のであるが、神話時代より続き、いまだ神であり続ける皇統は「過去未来を包む絶対現在」であるがゆえに、これを国家制度の中心におく日本の主権は「即宗教的性質を有する」のである。

このように日本主義とは、国体論を中心に据えながら、その宗教-歴史や精神に素材を求め、歴史上の先人と共に祖国の悠久の生命に連なることを実感し、自らもそれを護持・継承していくという極めて宗教的な思想である。フランスを初めとするいわゆる「近代」国家のように、その原理を抽象理性には求めない。日本主義者らは日本という媒介を通じて神と絶対に到達しようとする。この宗教性こそが日本主義の本髄である。



■研究方法


研究は廣松渉・丸山真男の昭和思想史論をベースに、


 西田幾多郎と京都学派

 保田與重郎と日本浪曼派

 小林秀雄と文学界

 蓑田胸喜と原理日本社

 日本学生協会・精神科学研究所

 アジア主義から大東亜共栄圏へ

 左翼と転向

 蓮田善明と文藝文化

 石原莞爾と満州国


以上の9つのテーマを、ひと月に1テーマずつ、それぞれのテーマに合わせた研究書を読むことで、約一年で昭和十年代の日本思想潮流を網羅的に学習する。

また時間があれば、これに加えて参考テーマ「ドイツと反西欧」も取り上げたい。




もちろん、いきなり一次資料にあたるほど歴史のプロでも無鉄砲の馬鹿でもないので、できる良質な二次資料を中心に読書会という形で勉強会を行おうと考えている。

具体的、ひとまず基本文献として廣松渉の『<近代の超克>論』と丸山眞男「超国家主義と論理と心理」を読んでいただく。で、とりあえず第一回は、この二冊に関してぼくが各章ごとにまとめたA4一枚のレジュメを作ってきて、大体一章10分以内で内容を説明するんで、それ終わったら質疑応答、議論議論。

第二回以降は、第一回目のぼくの発表を参考に、参加者それぞれに本を分担して、各章をレジュメにまとめてきてもらう。一週間に三章〜四章、二週間で一冊分くらいまとめてほしい。で、各自それぞれ約30分で発表してほしい。終わったら質疑応答、議論議論。


さしあたりまとめた文献リスト↓(ずぶのしろうとなので、これやったほうがいいよみたいなのあったらぜひおしえて)


<基本文献1>

・廣松渉『<近代の超克>論 -昭和思想史への一視角-』
(講談社学術文庫,1989)
・丸山眞男「超国家主義と論理と心理」『現代政治の思想と行動』
(未来社,2006)

<基本文献2>

・植村和秀著『丸山真男と平泉澄 -昭和期日本の政治主義-』
(パルマケイア叢書,2004)
・橋川文三『橋川文三著作集〈5〉昭和超国家主義の諸相・戦争体験論の意味』
(筑摩書房,2001)
・柄谷行人『戦前の思考』
(講談社学術文庫,2001)
・柄谷行人『日本精神分析』
(講談社学術文庫,2007)



<個別研究>


◆西田幾多郎と京都学派◆

・植村和秀著『「日本」への問いをめぐる闘争 -京都学派と原理日本社-』
(パルマケイア叢書,2007)


◆保田與重郎と日本浪曼派◆

・橋川文三『日本浪曼派批判序説』
(講談社文芸文庫,1998)
・ケヴィン・マイケル・ドーク著/小林宜子訳『日本浪漫派とナショナリズム』
(パルマケイア叢書,1999)
・保田與重郎著/川村二郎編『保田與重郎文芸論集』
(講談社文芸文庫,1999)


◆小林秀雄と文学界◆

・饗庭孝男『小林秀雄とその時代』
(文藝春秋社,1986)
・柄谷行人,中上健次『小林秀雄をこえて』
(河出書房新社,1979)
・森本淳生『小林秀雄の論理―美と戦争』
(人文書院,2002)


◆蓑田胸喜と原理日本社◆

・竹内洋・佐藤卓巳編『日本主義的教養の時代 -大学批判の古層-』
(パルマケイア叢書,2006)


◆日本学生協会・精神科学研究所◆

・井上義和著『日本主義と東京大学 -昭和期学生思想運動の系譜-』
(パルマケイア叢書,2008)


◆アジア主義から大東亜共栄圏へ◆

・竹内好著『日本とアジア』
(ちくま学芸文庫,1993)
・大川周明『復興亜細亜の諸問題』
(中公文庫,1993)
・頭山満,杉山茂丸,内田良平,犬養毅『アジア主義者たちの声〈上〉玄洋社と黒龍
会、あるいは行動的アジア主義の原点 (入門セレクション)』
(書肆心水,2008)
・宮崎滔天,北一輝,萱野長知『アジア主義者たちの声〈中〉革命評論社、あるいは中国革命への関与と蹉跌 (入門セレクション)』
(書肆心水,2008)
・北一輝,満川亀太郎,大川周明『アジア主義者たちの声〈下〉猶存社と行地社、あるいは国家改造への試み (入門セレクション) 』
(書肆心水,2008)
・松本健一『竹内好「日本のアジア主義」精読』
(岩波現代文庫,2000)


◆左翼と転向◆

・吉本隆明「転向論」『マチウ書試論・転向論』
(講談社文芸文庫,1990)
・中野 重治「村の家」『村の家・おじさんの話・歌のわかれ』
(講談社文芸文庫,1994)


◆蓮田善明と文藝文化

・千坂恭二 「蓮田善明・三島由紀夫と現在の系譜」『東大陸』第3号1993年
(東大陸社,1993)
・小高根二郎 『蓮田善明とその死』
(筑摩書房,1970)
・松本健一 『蓮田善明 日本伝説』
(河出書房新社,1990)


◆石原莞爾と満州国◆



参考テーマ

◆ドイツと反近代◆

・千坂恭二「日本的前衛とアジアの大衆・アジア主義の革命と戦争」『情況』第2
期第8巻第7号 1997年8・9月合併号
(情況出版,1997)








一回2時間程度を予定。だらだらやらずにちゃちゃっと切り上げる。こういうのは、時間を定めずにやると、議論がおっぱじまり何時間でもやってしまうので、短めがいい。少し言い足りないことがあるくらいが長続きするものだ。



参加希望者待ってます。今んとこ企画にまつわる雑用(場所取り、コピーなど)は管理人が友人とふたりでやる予定です。




■管理人のスタンスについて


筋金入りの自由主義者、というか無政府主義者なので、参加者のやることはなんでも認める方針。荒らしすらヘーキで認めることがある。公開レベルは当然全開、トピ作成、コミュリンクもご自由に。自由に生きよう。自由に。

コミュニティにつぶやきを投稿

最近の投稿がありません泣き顔
つぶやき・トピック・イベント・アンケートを作成して参加者と交流しようわーい(嬉しい顔)
参加メンバー 28人

もっと見る

開設日
2008年12月7日

3066日間運営

カテゴリ
サークル、ゼミ
関連ワード
関連ワードを登録しよう

編集から関連ワードを登録すると、コミュニティがmixiワードに表示されるようになります!