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川上操六

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詳細 2016年9月10日 20:50更新

川上操六
(幼名:宗之丞)

{生没年}
1848年(嘉永元年)12月6日〜1899年(明治32年)5月11日

{出身地}
薩摩藩(現:鹿児島県鹿児島市吉野町)

{最終階級}
陸軍大将 従二位 勲一等 功二級

{爵位}
子爵


桂太郎、児玉源太郎とともに「明治陸軍の三羽烏」とされる。

薩摩藩士 川上親徳の三男として生まれる。
鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争に薩摩藩10番隊小頭として従軍。
維新後上京し
1871年(明治4年)
陸軍に出仕、陸軍中尉に任ぜられる。
1874年(明治7年)
任・陸軍少佐
1876年(明治9年)
参謀局出仕。
1877年(明治10年)
西南戦争に従軍し熊本城籠城で功を立てる。
1878年(明治11年)
任・陸軍中佐
1882年(明治15年)
任・陸軍大佐
1884年(明治17年)
大山巌陸軍卿に随行し欧米諸国の兵制を視察。
1885(明治18年)
任・陸軍少将
1889年(明治22年)
再度参謀次長となり参謀本部組織を確立する。
1890年(明治23年)
任・陸軍中将
1893年(明治26年)
清国に出張後、日清開戦派として開戦を主導する。
1894年(明治27年)
日清戦争開戦
開戦後は征清総督府参謀長に任命され作戦を指導、川上の推し進めた軍の近代化が功を奏し戦功を上げる。
1896年(明治29年)
台湾、仏印、シベリア出張。
1898年(明治31年)
参謀総長に就任
任・陸軍大将
1899年(明治32年)
死去

日清戦争後は対ロシア作戦立案を指導していた。

薩摩藩出身者として藩閥の中心と成りうる人物であったが本人には藩閥意識がまるでなく、出身藩にこだわらず幅広く人材を登用した。

また教育方面でも成城学校校長を勤めるなど優秀な軍人育成に貢献した。

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開設日
2008年12月5日

3031日間運営

カテゴリ
学問、研究
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