澳門のお隣の中国『珠海』市。
澳門の発展と共に珠海も発展してきました。
日本に比べれば物価の安い澳門ですが、珠海はめちゃ安っっ!!
しかも、「安い」「奇妙」「なるほど」商品が満載
中国ならではの、マッサージやお茶も現地価格ならとてもお手ごろです。
澳門にこられた人・来た人は是非ついでに珠海観光も
澳門イミグレ歩いて徒歩5分(笑)、ちょっと半日珠海お買い物ツアーにいってみませんか?
【地理】
省都広州の南西146キロ、珠江デルタ右岸に位置する。南でマカオと接し、海岸線は690キロに及び、146の島を含む。市内は行政的に香洲区、金湾区、斗門区に区分される。マカオ区境の拱北(拱が供ではない非常用漢字の為、香港では繁体字で場合によっては港北とも書く)近辺が一番の繁華街である。
【治安】
マカオ同様、治安は安全な方。
事件があるというと、スリがいるぐらい。
お買い物に夢中で、バックの閉め忘れには気をつけましょう!
【気候】
気候類型 - 熱帯海洋性季風気候
年間平均気温 - 22.4℃
月間最高平均気温 - 28.6℃
月間最低平均気温 - 14.5℃
過去最高気温 - 38.5℃(1980年7月10日)
過去最低気温 - 2.5℃(1976年12月29日)
年間降水量 - 2700 mm
【歴史】
考古学調査により磨製石器や彩文土器を使用した新石器文化が4千年から5千年前に珠海に存在していたことが判明しており、鳳凰山脈周辺や珠江周辺を中心に遺跡が分布している。
戦国時代は百越の居住地であり、中原支配に組み込まれたのは前214の秦により嶺南地区に南海郡が設置されたことに始まる。しかし秦の滅亡と同時に嶺南地区は再び中原支配を離れ南越国の勢力下に置かれるようになった。
武帝により南越国が滅亡した後、前漢は前111年(元鼎6年)に番禺県設置し、後漢が滅亡すると呉による支配が行われた。その後は東晋時代は東官郡、南北朝時代には東莞県、隋代には宝安県の管轄とされた。
唐代になると757年(至徳2年)、東莞県は宝安県に改称され、珠海地区には初めて香山鎮が設置された(北宋期に香山寨と改称)。宋代の1152年(紹興22年)、それまで東莞県に属していた香山寨を分割し、南海・新会・番禺三県の海岸地区と統合し香山県が設置され広州府に属すようになり、清末まで継続した。
辛亥革命により中華民国が成立すると1925年、孫文を顕彰し香山県は中山県と改称された。中華人民共和国成立後も1953年珠海県と改称されたが基本的な行政区分は継承されていた。その後は商工業の発展に伴い人口が増大、1979年3月5日一挙に地級市(地区クラスの市)に昇格した。1981年に深圳、汕頭、アモイとともに経済特区に指定され、以後多額の外国投資を集めて目覚しく発展した。マカオと隣接していることから、マカオ資本主体で開発が行われてきた。住民は中国内陸各地から移住しているが統計資料によると湖南、湖北、四川の順で多い。
【行政】
市人民政府は香洲区に所在し、現任市長は王順生である。中国本土から特別経済区・珠海への入境は厳しく規制されていたが2007年現在においては、第二国境は事実上廃止されている状況である。
【経済】
かつて北京にあったアロー戦争で破壊された円明園がテーマパークとして開園しており、大陸団体旅行者がこの観劇を観に来ている。キヤノン(中国では佳能と書く)のデジタルカメラ工場は最新の設備を揃えている。万佳という大規模チェーンスーパーマーケットがある。毎年夏には珠海空港で航空博覧会が開かれている。
同じく経済特区に指定された深圳市と比較すると人口規模は10分の1程度であるため商業・不動産業の発達は限定的であり、工場が密集する東莞市と比較すると工業化も限定的であり、広州市のような行政機能も存在していないなど周辺の大都市と比較すると地方都市としての雰囲気を残す都市となっている。
【観光】
円明園
珠海漁女の像
蓮花路
等がある。
【教育】
北京師範大学珠海分校
中山大学珠海分校
曁南大学珠海分校
【交通】
空港
珠海空港 : 金湾区に所在する空港。
港湾
九洲港 : 香港・深圳蛇口・澳門とのフェリー便
高速道路
広珠高速公路
国境
北拱口北岸 : 澳門との国境
グーグルアースで珠海をチェック!!
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珠海公安局公式HP
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珠海バス路線マップ
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路線別停留所一覧
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