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沖縄陸軍病院南風原壕群20号

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詳細 2016年12月11日 12:51更新

沖縄陸軍病院(球18803部隊)は1944(昭和19)年5月に熊本で第32軍の陸軍病院として編成された。

6月から那覇市内で活動を始めたが、同年10月10日米軍の空襲によって施設が焼失し、南風原国民学校校舎に移転した。

それ以降、第32軍野戦築城隊の指導のもとで、字喜屋武(黄金森)と字兼城(現在の役場の北側の丘)に約30の横穴が造られた。

米軍の艦砲射撃が始まった1945(昭和20)年3月下旬陸軍病院は各壕へと移った。

広池文吉病院長以下、軍医、看護婦、衛生兵ら約350人に加えて、3月24日には沖縄師範学校女子部・県立高等女学校の生徒(ひめゆり学徒)222人が教師18人に引率され、看護補助要員として動員された。

4月1日の米軍上陸後、外傷患者の激増に対応する為、外科を第一外科、内科を第二外科、伝染病科を第三外科へと改めた。

5月下旬、第32軍司令部は摩文仁(糸満市)へ撤退を決定し、陸軍病院に撤退命令が出された。

その際、重傷患者に青酸カリが配られ、自決の強要が行われた。

南風原町は1990(平成2)年戦争の悲惨さを伝える証として、第一外科壕群・第二外科壕群を町の文化財に指定した。

現在、第2外科20号壕が昨年の6月より、平和学習の場として公開されており多くの県内外の見学者を呼んでいる。

入壕する場合は、壕内部の保全の為ガイドがついて、1グループ10名以内で入壕、1名からでもガイドがついて入壕をする。

内部は安全対策の補強をしている所以外、中央約30mは63年前のままの状態に保存しており、周囲の天井や壁は黒く焼け焦げており当時の様子がうかがえる。

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2008年11月24日

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