佐々木高行
{生没年}
1830年(文政13年)11月26日〜1910年(明治43年)3月2日
{出身地}
土佐藩(現:高知県高知市瀬戸)
{爵位}
侯爵
板垣退助、後藤象二郎と並ぶ土佐三伯の一人。
土佐藩士佐々木高順の二男として生まれる。
鹿持雅澄に学び、武市半平太らと交流し尊皇攘夷の思想を抱く。
藩主山内容堂の側近、また穏健な上士の尊皇攘夷派として活躍した。
1867年には後藤象二郎、坂本龍馬と大政奉還の建白について協議した。
明治元年の鳥羽伏見の戦いでは海援隊士を率いて長崎奉行所を占領し市中治安の維持を図った。
維新後は政府で参議、司法大輔、侍輔を務め岩倉使節団の一員として欧米各国に渡る。
その後、宮中元老院を舞台に谷干城、土方久元ら土佐人を中心に天皇親政運動を主導、明治天皇を擁して伊藤博文ら政府人の排除に動いた。
工部卿、宮中顧問官、枢密顧問官などを歴任。
また、西村茂樹らと敬神、尊皇、愛国思想の普及に尽くす。
明治29年、皇典講究所第二代所長に就任し再建に尽力。
明治43年に病没
夫婦共に明治天皇の信任厚かった。