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イモラ

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詳細 2015年5月18日 00:03更新

アウトードロモ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ(Autodromo Enzo e Dino Ferrari)は、イタリアのイモラ市にあるモータースポーツのサーキット。通称イモラ・サーキット。名称は、フェラーリ創業者のエンツォ・フェラーリとその息子のディーノを記念してつけられた。 尚、Autodromoを「アウトドローモ」とする日本語表記が一般に流布しているが、イタリア語のアクセントを考慮すると「アウトードロモ」と表記するのがより正しい。

F1のレースは1980年にイタリアGP、1981年から現在に至るまでサンマリノGPとして開催されていた。もともと多数の高速コーナーをもつサーキットであったが、1994年のサンマリノGPで大事故が多発したことによりコースレイアウトが変更され中速テクニカルコースとなっていたが、再改修で再び高速コースとなった。2007年以後は1国1開催を遵守することになったため、開催されていない。



タンブレロ・コーナー
メインストレートのすぐ後に控えるコーナー。当初は緩やかに左にカーブするコーナーであり、マシンはアクセル全開で通過していた。しかし、1987年にネルソン・ピケが初日の予選中にクラッシュ、1989年にはゲルハルト・ベルガーがレース中にクラッシュしマシンが炎上するなど、テクノロジーの進化により危険なコーナーへと変貌していった。そして1994年、ローランド・ラッツェンバーガーが予選二日目、アイルトン・セナがレース中にクラッシュ、死亡するに至る。

これらのクラッシュは全てタンブレロを直進してコンクリート壁に激突するという共通点を持っていた。この種のリスクに対しては、コンクリート壁を後退させてランオフエリアを拡大するか、コンクリート壁の前にタイヤバリアを敷設するなどの対応が考えられるが、このコーナーのすぐ側には小川が流れており、ランフエリアのスペースを拡大することができず、タイヤバリアの敷設にしても衝突時の飛散のリスクを考慮すると、やはりコースとの距離が絶対的に不足しており、採用することができなかった。そこでやむなく高速コーナーを廃止し、1995年のサンマリノGPからはシケイン状のコーナーに姿を変えた。


悪夢の1994年
1994年にこの地で開催されたサンマリノGPは、関係者から悪夢の週末と呼ばれている。

金曜日のフリー走行において、ジョーダンのルーベンス・バリチェロがヴァリアンテ・バッサでコースアウト、縁石で跳ね上がったマシンはタイヤバリアに乗り上げ横転する。バリチェロは鼻骨を骨折したものの幸い命に別状はなかったが、これが悪夢の端緒となった。

土曜日午後の予選、シムテックのローランド・ラッツェンバーガーがヴィルヌーヴ・コーナーを通過する際にマシンのフロントウイングが脱落し、306?/hでコントロールを失いコンクリート壁に激突。マシンは惰性でトサ・コーナまで飛ばされるという大クラッシュが起こる。この事故によりラッツェンバーガーは死亡。モノコックに穴が開き、ラッツェンバーガーの上半身が外に露出するほどの衝撃であった。F1レースウィークにおいては1982年のリカルド・パレッティ以来、テストを含めると1986年のブラバムのエリオ・デ・アンジェリス以来の死者を出してしまった。

さらに、ラッツェンバーガーのための26番グリッドが空席のままスタートしたレースだが、スタートに失敗したJ.J.レートのベネトンにペドロ・ラミーのロータスが追突。壊れたパーツが観客席まで飛散し、観客数名が怪我を負う。このクラッシュによりレースが中断され再スタートとなるかと思われたが、役員の手元に赤旗が無く[要出典]やむなくセーフティカーが先導で続行。この先導が解かれた1周後にウイリアムズのアイルトン・セナのクラッシュが発生した。

救急ヘリが直接コースに着陸という異常事態の中、救命措置が行われた。セナが病院に搬送された(レース終了後セナは死亡)後、レースは再開したが、アクシデントはとどまらず、途中ピットインしたミケーレ・アルボレートのリヤタイヤが外れ、ピットロードを跳ね回る。このタイヤの直撃によりロータスやフェラーリのピットクルーが重傷を負う。

また赤旗提示後にエリック・コマスのマシンがピットアウト[1]し、レーシングスピードでセナの事故現場(クラッシュしたマシンと作業中の多くのマーシャルや医療スタッフがいた)まで走ってしまう前代未聞のトラブルも起きた。この件に関しては、2年前のベルギーGPのフリー走行でコマスが大クラッシュを起こした際、事故現場を通過したセナがコマスの容態を心配し、走行を中断してコマスの元に駆け寄ったエピソードがあるため、「セナを助けに行った」「セナが心配で駆けつけた」などファンの間で憶測が飛び交っているが、実際はラルースチームのクルーのミスとされている。

何かに呪われたようなこの週末は、それまでの『F1安全神話』を完全に崩壊させ、新たな安全確保への規格の構築へと繋がっていった。

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2008年10月17日

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カテゴリ
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