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死別の悲哀に向き合う

死別の悲哀に向き合う

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詳細 2024年4月7日 14:45更新

「死別」について様々な視点から向き合うための
コミュニティですクローバー

私自身も、幼い頃に母を亡くし、阪神•淡路大震災を経験して、近年、知人を自死で喪いました。現在は、悲哀に向き合うことを支える仕事をしながら、「死別悲哀」「グリーフケア」「葬送儀礼」などの分野の研究を実践的に行っています。

最近は、日本においても「喪の作業(モーニング•ワーク:mourning work)」「悲嘆の作業(グリーフ•ワーク:grief work)」という形で、西洋式の悲嘆の作業が多くの方に知られるようになってきました。その一方で、日本人の感性の中には、西洋式の悲嘆の方法にはなじまない部分があるように感じております。できれば、みなさんと一緒に日本人に合った死別の悲哀に向き合う方法を探して行ければと思っています。

よろしくお願いします。

※写真は、沖縄の伊良部島にある「通り池」への入り口です。
 トンネルを抜けると、別次元の新しい世界が開けています。


コミュニティ参加やトピック作成などは自由にしています。
様々なテーマで語り合って下さい。

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死別の悲哀について

 愛する人を喪うとき、自身が生きるこの世界も全て喪われてしまったかのごとく思うときがある。また、愛する人を喪った後の世界で、愛する人がこの世からいなくなったこと以外は何も変わらない世界を生きて行くことは、この広い世の中で自分だけがたった一人取り残されたような気持ちにさせられることもある。ただ後になって、自身の経験を振り返る余裕が出て来た時期に、ふと、周りにいる家族や友人や同僚に対して、これまでに感じたことのない愛しさを感じたり、日常の情景の中に、自然の持つ神聖さを感じたりすることがある。  
 このように、死別の「悲哀」とは、単に「悲しい」「哀しみ」という意味ではない。「悲」が本来有している意味は、仏教の思想に由来する「慈悲」という言葉で表されるように、「哀しみ」と「愛」とが一つに合わさり、仏や菩薩から感じられるような、限り無い慈しみの感情と赦しの感情が合い混じり合った複雑で重層的なものである。西田幾多郎も自身の地位や名誉ばかりを気にしていた自分が、我が子の死に際して至った心境を顧みて、「名利を思うて煩悶絶間なき心の上に、一杓の冷水を浴びせかけられたような心持ちがして、一種の涼味を感ずると共に、心の奥より秋の日のような清く温かき光が照して、凡ての人の上に純潔なる愛を感ずることが出来た」と語っている。ここで我が子の死に直面し、深い哀しみの底にあるはずの西田が、「心の奥よりの温かき光」を感じ、「全ての人に純潔なる愛」を感じている。   
 ところが、現代の日本社会では、このような心境に達することは難しく、自然な形で「死の悲哀に向き合うこと」「他者に対して愛を感じること」が困難な時代になっているのではないか。「死の問題」を扱うとき、死者の総数の増加が避けられない日本では、「死」はなるべく我々の身近なところから遠ざけられ、いかに迅速に、画一的に処理するかという経済合理主義的な側面が強調されるようになって来ている。また、万一、「死の悲哀」が長期化し、慢性化した場合、極めて重く重篤な精神疾患として医学の領域で「死の悲哀の問題」が扱われ始めて来ていると感じる。  
 そのような時代の中で、静かに死の悲哀と向き合い、「死とは永遠の愛である」と言い切れる心境とはいかなるものか、考察してみたい。

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参加メンバー 199人

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開設日
2008年10月3日

5681日間運営

カテゴリ
学問、研究
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