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杉 孫七郎

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詳細 2013年4月20日 23:37更新

杉 孫七郎(すぎ まごしちろう
(1835年2月13日(天保6年1月16日)- 1920年(大正9年)5月3日)
日本の武士・長州藩士。明治・大正期の官僚。
諱は重華。字は子華。通称は徳輔・忠次郎・少輔九郎。号は松城・聴雨。


植木五郎右衛門の次男として周防国吉敷郡御堀村(現在の山口県山口市)で生まれる。杉家の養子となり、藩校明倫館で学んだ他、吉田松陰にも師事した。藩主の小姓を務めた後、1861年(文久元年)、藩命により江戸幕府の遣欧使節である竹内保徳・松平康英らに従って欧米諸国を視察する。帰国後、下関戦争では井上馨とともに和議に尽くし、元治の内乱では高杉晋作を支持しつつも、保守派との軍事衝突には最後まで反対した。四境戦争では長州軍の参謀として活躍した。

明治維新後には山口藩副大参事となる。廃藩置県後の1871年(明治4年)、宮内大丞、秋田県令を歴任後再度宮内大丞を務める。1874年(明治7年)に宮内少輔、1877年(明治10年)に宮内大輔、1878年(明治11年)に侍補を兼務、後に皇太后宮大夫に転じる。1887年(明治20年)に子爵に叙せられ、1906年(明治39年)に枢密顧問官に転じた。

書にも優れていた。墓所は青山霊園。


[ウィキペディアより引用]



検索してもないようなので作ってしまいました。
少しマイナーかも知れませんが、自分は大好きなお方なので。


幕末・明治期の長州−晋作や聞多、俊輔を追っていくとなかなかお名前を拝見するお方です。
月刊松下村塾では、「孝允に最期に使えた男」として紹介されています。
あまり知られていないかも知れませんが、東行庵をはじめ、石碑の碑文を書されているお方です。
歴史に悪名高い、鹿鳴館の乱痴気騒ぎ(笑)にも参戦されています。霧隠才蔵の仮装をして♪笑
伊藤公資料館所蔵?の博文さん、馨さん、杉さんnが三人並んでお座りになっている集合写真がとても素敵です☆

杉聴雨の名前でかなりの数の書がのこっております。
漢詩も数多く残されていて、詩吟などではお馴染みかと。





管理人もまだまだ勉強不足で知らないことだらけで恐縮ですが・・・

杉孫七郎を知っている
知らなかったけど気になるぞ
とりあえず長州好きだ!


という方等々、よかったらご参加くださいませ(。。)

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2008年9月28日

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カテゴリ
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