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平 景清

平 景清

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本名、藤原総七郎兵衛尉景清。
通称『悪七兵衛』。

平安時代末期における平家の侍大将。
生年不詳 - 建久7(1196)年。
久安6(1150)年生まれの説もある。
父は平清盛の臣、上総介藤原忠清。


【保元・平治(1156〜1159)年間】
江戸時代に松江藩の儒者黒沢石斉の編纂した地誌『雲陽誌』によると、この頃に出雲富田城を築いたとされている。

【寿永2(1183)年11月29日】
播磨室山合戦に参戦。
平氏勢は陣を五つに分け、景清は兄の忠光と共に三陣に布陣。 この日、平氏勢は新宮十郎行家率いる軍を破っている。

【寿永4(1185)年2月18日】
讃岐屋島合戦に200騎を従え参戦。
源氏方の美尾谷十郎と一騎打ちにおよび、『景清の錣引き』の逸話を残す。

【同年3月24日】
長門壇ノ浦合戦において敗走した後、平重盛の子、平忠房に従い湯浅城での籠城戦に参戦、約三ヶ月にわたって源氏勢に抗戦したとの説がある。

【文治5(1189)年】
逃亡先の摂津国水田において叔父の大日坊能忍(日本達磨宗開祖)を殺害。

【建久6(1195)年3月12日】
東大寺の再建落慶供養の際、上洛してきた源頼朝の暗殺を謀り失敗に終わったとの話がある。

【建久7(1196)年6月25日】
平知盛の末子・伊賀大夫知忠、藤原能保襲撃を企てた事が幕府に発覚、法性寺を包囲され抵抗するも伊賀大夫は自害。
このときも参戦し、逃亡したとする話がある。(かなり無茶ですが。。)

死亡時期や場所に関しても諸説が有り、はっきりしない。(鹿児島、宮崎、鎌倉など)


日本各地に数々の伝説を生み、複数の墓、史跡が伝わる。神社の祭神として祭られている所も多い。

後世には脚色され、能、浄瑠璃、歌舞伎、ゲームなどでも取り上げられている。



…とまあ、はっきりしないことだらけですが
「そこがイイ」って方は当コミュニティにご参加ください。。

開設日
2005年10月14日
(運営期間3999日)
カテゴリ
学問、研究
メンバー数
51人
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