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フアン・ペロン(ペロニスタ)

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詳細 2013年4月15日 14:44更新

【フアン・ドミンゴ・ペロン(Juan Domingo Perón、1895年10月8日 - 1974年7月1日)】アルゼンチンの政治家。軍人出身。

第二次世界大戦中の1939年から1941年までイタリア王国で駐在武官として赴き、ベニート・ムッソリーニのファシズムに影響された。

帰国後、枢軸国支持派の軍人とGOU(統一将校団)と呼ばれる秘密結社を組織。1943年5月に陸軍次官に任命された。同年10月に国家労働局次長に任命され、労働局が労働福祉庁に改組されるとペロンは同庁の初代長官となり、労働争議に介入し、労働者に有利な裁定を行った。
労働法の制定や労働者の組織化にも力を注ぎ、こうした労働者保護政策によって1943年から1945年までの二年間で、「社会党が数十年かかってなしとげた以上の成果を達成した」(ペンドル)。

またペロンは1946年に大統領に当選した。
大統領就任後は、労働組合の保護や労働者の賃上げ、女性参政権の実現、イギリス系、アメリカ系などの外資系企業の国営化、貿易の国家統制などの政策を推し進め、労働者層から圧倒的な支持を受けた。

この政策から「左翼ファシスト」と一般で評される。民族主義に基づく民族資本産業の育成、外国資本の排除(アルゼンチン国内のイギリス系鉄道の国有化等)など、ファシズムに共通するものが見られるが、ファシズムか否かでは論議が分かれる。
ユダヤ人に対する迫害には、毅然と反対した。

ペロンはアルゼンチンに正負共に大きな遺産を残したものの、ペロンの登場まで政治の枠組みの外部に置かれていた国民には愛され、ペロンの死に当たっては全国から100万人以上の支持者が葬儀に参列し、国会議事堂周辺には最後の別れを告げようとする数キロに渡る列が出来た。

ペロンの支援者「ペロニスタ」を母体とした「ペロン党」(正式名は「正義党」)はファン・ペロンの死後30年以上経った現在でも、ペロンの支持基盤だった「ペロニスタ」はアルゼンチンで大きな影響力を持っている。1989年以降、カルロス・メネム、ネストル・キルチネル、そして現職のクリスティーナ・キルチネルと三代の大統領を誕生させ、議会内においても大きな勢力を保っている。

ここ数十年中南米ではキューバのカストロをはじめ、ベネズエラのチャベス、エルサルバドルのオルテガ、ボリビアのモラレスなどが、アメリカ一極支配に抗して反米政権が樹立しているが、ペロン政権のアルゼンチンはその先駆けともいえる。
ちなみにペロンの二番目の妻が、マドンナ主演の映画「エビータ」で有名な、エバ・ペロンである。

【マリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロン(Maria Eva Duarte de Perón, 別名、Maria Eva Ibarguren, 1919年5月7日 - 1952年7月26日】)は、アルゼンチンの声優、映画俳優、政治家。
フアン・ペロン大統領と結婚し、ファーストレディとなった後は政治にも手腕を発揮した。親しみを込めて呼ばれる通称としてエビータ (Evita) のほか、アルゼンチンではサンタ・エビータ(聖エビータ)という呼称もある。現在でもアルゼンチン国内では聖女として崇拝されている存在である

【正義党(せいぎとう、Partido Justicialista,略称:PJ) 】とはアルゼンチンの政党である。
通常ペロン党(Partido Peronista) として知られている。
アルゼンチンにおける最大政党であり、クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル大統領の与党である。
またアルゼンチン下院においては最大議席を保有しており、上院においても多数派を占めている。
なお、支持者はペロニスタと呼ばれる。

「概要」
1947年に当時のフアン・ペロン大統領によって結成され、「自由革命」と呼ばれる軍事クーデターが発生した1955年から、亡命先のスペインから帰国し再び大統領に就任する1973年まで非合法化された。
明確な政治分類は当てはまらず、ペロン大統領支持を基盤に結成された寄せ集め的な政党であった。
特に同大統領の再任後からはホセ・ロペス・レガに代表される右派と左派双方の広範囲なグループを包含する政党となった。 1983年に行われた民政移管後初の総選挙では急進党のラウル・アルフォンシンに敗れたが、1989年には正義党のカルロス・メネムが勝利したことにより政権を奪還した。メネム大統領は公約と、これまでの正義党の伝統的な政策に反して新自由主義を掲げ、正義党のイメージを全面的に作り変えた。

1999年の選挙では急進党と正義党から分裂したフレパソが擁立したフェルナンド・デ・ラ・ルアに敗れた。しかし2001年10月の議会選挙では勢力を取り戻し、アルゼンチン経済危機の混乱の中で、議会によって正義党のエドゥアルド・ドゥアルデが暫定大統領に選出された。

2003年の総選挙では有権者の支持が右派のメネムと、左派のネストル・キルチネル、他党との連立で政権を運営していたアドルフォ・ロドリゲス・サアの三者に割れたが、結果キルチネルが勝利し、正義党は彼の下でより左派的な側面を著しくし始めた。

2005年の議会選挙では上院のブエノスアイレス州選出議席を巡りクリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル(現大統領)とイルダ・ゴンサレス・デ・ドゥアルテを中心とする2つの党派に分裂した。クリスティーナ陣営は他の少数勢力などと連携し、ドゥアルテ陣営を大差で圧倒した。
(※以上ウィキペディア参照)

反米主義、ファシスト、エビータファン・・・どなたでもご参加ください。

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