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米百俵の精神(小林虎三郎)

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詳細 2015年1月29日 09:58更新

人づくりはまちづくり

 明治3年10月の長岡藩廃藩により、翌年5月、国漢学校は分黌長岡小学校となり、わずか2年あまりでその名が消えることとなった。

 しかし、長岡には国漢学校の流れをくむ学校が数多く誕生した。そこからは明治憲法の起草に尽力した法学博士の渡邊廉吉、日本人初の解剖学教授で人類学者の小金井良精、東京帝国大学総長の小野塚喜平次、司法大臣の小原直、明治の代表的な洋画家の小山正太郎、外交官で漢学者の掘口九萬一とその子で詩人の堀口大学、連合艦隊司令長官の山本五十六ら、近代日本の発展に貢献した人材が多く輩出している。

 昭和20年8月1日、長岡は空襲によって、再び焼け野原となった。しかし、長岡の人びとは不屈の精神と自立心で復興に取り組み、全国の戦災都市の中でもトップの早さで、復興都市計画事業の完工式を行った。このとき、人びとが行動の指針としたのも、「人づくりはまちづくり」として受け継がれてきた米百俵の精神であった。



・まちづくりは 人づくりから 「米百俵の精神」(藩校サミットより)  
   
 6月21日大雨の中、第七回全国藩校サミットが、熊本市で開催された。

 来年の藩校サミットは、新潟県長岡市で開催予定で、ピーアールのため配られた観光ガイドに、小林虎三郎の紹介ありました。

「米百俵の精神」〜まちづくりは 人づくりから〜小林虎三郎

 維新時の戊辰戦争最大の激戦地となった長岡は、荒廃を極め、食料も底を着く窮乏を心配し、支藩の三根山藩から百俵の米が長岡へ届けられた。粥をすする生活の藩士たちに、小林虎三郎は、「目先の事に捉われない、国家百年の大計。ひもじい今だからこそ、学校を建て、子供たちを教育するのだ」と説き、米を金に替え、藩校「興学館」の充実に充てた。現代のお金に換算すると、四千五百万円に相当するそうです。

 その後、米百俵の精神は受け継がれ、日本初の育英機関「長岡社」、長岡女学校、長岡盲唖学校等の設立につながりました。この長岡社の育英金で勉強した一人に連合艦隊司令長官の山本五十六大将がいます。

 今、都市と地方の格差が叫ばれる中、長岡の人たちの「米百俵の精神」を学び、次世代教育に力を注ぐ事が必要と思います。小林虎三郎が掲げた「教育を広め、人材を育成すれば、日ごとまちは栄えていく」を、地方のリーダーたちが率先して継承し実践して欲しいと思います。


小林虎三郎の精神

 若くして藩校の助教を務めるほど学識が深かった小林虎三郎は、嘉永3年(1850)、藩命で江戸に遊学。翌年、佐久間象山の門に入り、儒学、蘭学、窮理学(物理)などを熱心に学んだ。長州の吉田寅次郎(松蔭)とともに「二虎」と称され、師の佐久間象山からは「事を天下に為すものは吉田松蔭、我が子の教育を託すものは小林虎三郎」と言われるほどだった。

 虎三郎は安政6年(1859)、「興学私議」に教育論をまとめ、その中で「教養を広めて人材を育する」という考えを述べている。人びとの暮らしが豊かになるのも、国が富むのも、教育が左右するというものであった。

 米百俵をもとにしてつくられた国漢学校は、日本や世界で通用する人間を育成するための学校といえた。


*補足
 小林虎三郎は、佐久間象山の門下に入り、漢学、蘭学、経世学、物理学等の勉学に励みました。象山は、「天下、国の政治を行う者は吉田であるが、わが子を託して教育してもらうものは小林のみである」と、高く評価していました。



・米百俵精神とは

 新政府軍との戦いであった戊辰戦争(北越戦争)に敗北し、食べるのにも困っていたが、三根山藩から送られた米百俵を手を付けずに、そのまま売却し、売却代金で学校の開設費用や書籍、器具の購入に投入した。


・小林虎三郎の精神

 国が興るのも、街が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ。

URL: http://tra.01krk.com/

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開設日
2008年6月24日

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カテゴリ
学問、研究
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