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ウサイン・ボルト

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詳細 2024年1月29日 21:15更新

ジャマイカの陸上選手ウサイン・ボルト選手を応援するコミュニティです。






[経歴]
子供時代は将来クリケット選手になりたかったと言っていて、10代前半まで活動していた(実際はクリケットには熱中していない)。12歳頃から陸上を本格的に始める。

2002年に地元ジャマイカで行われた世界ジュニア選手権で大会史上最年少の15歳で優勝。その名を轟かせた。更に、翌年の世界ユース選手権でも優勝し、2004年には200mで、17歳にしてジュニア史上初めて20秒を切る19秒93のジュニア世界新記録を出した。この頃から彼は自分自身の才能に気付き始めたという。しかし、この年はその後故障。連覇のかかった世界ジュニアも出場できなかった。そして、大型新人としてアテネオリンピックには果敢に出場するも、一次予選で惨敗(21秒05で5着)、苦汁を嘗めた。

2005年に行われた世界選手権では、決勝には進んだものの、決勝で足を痛めて最下位(26秒27,-0.5m/s)となった。

2007年8月30日、世界選手権200m決勝において、19秒91(-0.8m/s)で銀メダルを獲得する。優勝は19秒76の大会新(当時)を記録した、100m王者のタイソン・ゲイである。

2007年9月1日、世界選手権400mリレー決勝では2走を務め、37秒89(ジャマイカ新記録(当時))で銀メダルを獲得する。


2008年にはジャマイカ国際の100mで、9秒76(+1.8m/s)(世界歴代2位(当時))で優勝する。100mでも世界トップレベルであることを証明した。200mにおけるスタートの練習として参加したものである。

2008年5月31日にニューヨークで開催されたリーボック・グランプリ100mで、9秒72(+1.7m/s)(世界新記録(当時))を記録し優勝する。2位の世界選手権3冠王者タイソン・ゲイ(9秒85)に大差をつける。100mに本格参戦後わずか5戦目であった。

2008年8月16日、北京オリンピック陸上男子100m決勝では、レース前に、後にボルトの象徴となるポーズを見せた。レースでは中盤から他選手を圧倒、最後の数歩を両手を広げ流して走り、フィニッシュの際も胸を手で叩く程の余裕を見せた。それでも自らの世界記録(当時)を0秒03上回る9秒69(+0.0m/s)の世界新(当時)で圧勝という、世界大会史上空前のパフォーマンスとなった。最後まで全力で走っていれば9秒6を切れたとする発言も複数あるが、トップスピードを最後の20mも維持したとしても記録は9秒60となるという科学的報告も出されている。2位には、0秒20の差をつけたが、この差は電気時計が採用された1968年以降では1984年のロサンゼルスオリンピックにおけるカール・ルイスと並ぶ、オリンピック史上最大差である。なお、ボルト自身は100m走競技参加を北京で記者会見を行うまで知らされていなかった。疾走後に金色のプーマのスパイクを脱いで片手に持ちスパイクを指さすパフォーマンスを行った。(プーマがボルトのスポンサーであることによる)。

2008年8月20日、北京オリンピック陸上男子200m決勝で、19秒30の世界新記録(当時)で優勝する(ラップタイム9秒96 - 9秒34)。風速-0.9m/sという不利な環境の下、“不滅の世界記録”“向こう100年は破られない”と言われたマイケル・ジョンソン( アメリカ合衆国)の世界記録19秒32(当時)を12年振りに0秒02更新した。また2位との差0秒66は五輪男子200m決勝史上最大である(2着入線後失格した者を含めても差0秒52で最大である)。100m・200mともに世界新記録での優勝は、オリンピック・世界選手権を通じて史上初である。100m・200m二冠に輝き、1984年ロサンゼルスオリンピックのカール・ルイス( アメリカ合衆国)以来24年ぶりの快挙を成し遂げた。

2008年8月22日、北京オリンピック陸上男子400mリレー決勝で3走を務め、37秒10(世界新記録)を記録し優勝する。3走としてのラップタイム8秒98は、3走として現在までで唯一の8秒台である。100m、200m、400mリレーの3種目において世界新記録での優勝は、オリンピック・世界選手権を通じて史上初である。100m、200m、400mリレーの三冠に輝く。

2008年10月4日、北京オリンピック陸上男子400mリレーで走者を務めた他の3人と共に、ジャマイカ政府から勲章(Order of Distinction)が授けられた。

2008年のIAAF世界最優秀選手賞を獲得した。


2009年4月29日、交通事故で切り傷などの軽傷を負い、車の破片を除去する左足の手術を受ける。

2009年5月には、2010年の100mの世界記録の目標は9秒40まで縮めることになりうる、と語っている。

2009年5月17日、マンチェスターで開催されたストリートレースのグレート・シティ・ゲームズにおいて、直線コースの150mの決勝で、14秒35(世界最高記録)を記録する。

2009年6月10日、第10回「ローレウス・スポーツ賞」の男子最優秀選手賞を受賞した。

2009年8月16日、世界選手権男子100m決勝で、人類初の9秒5台となる9秒58(+0.9m/s)(世界新記録)を記録し、優勝する(スタート反応時間 0秒146、10mラップタイム 1秒89-0秒99-0秒90-0秒86-0秒83-0秒82-0秒81-0秒82-0秒83-0秒83、レース中の最高速は65.03m地点における秒速12.27m(=時速44.17km))。自らの世界記録を、電気時計導入後最大となる0秒11と大幅更新する驚異的記録であり、2着に0秒13の大差をつける圧勝だった。2着のタイソン・ゲイも、9秒71(世界歴代2位(競技史上3位)(当時)・米国新記録(当時)・自己記録(当時))を記録し、3着のアサファ・パウエルでも9秒84と前回大会の優勝記録を上回るというハイレベルなレースであった。男子100mで同一人物が3度世界記録を更新するのは史上初。また世界選手権で優勝したことによりモーリス・グリーンに次ぐ世界チャンピオン、五輪チャンピオン、世界記録保持者の3つのタイトルを独占した。

2009年8月20日、同大会男子200m決勝において、1回スタートがやり直しになった上、風速-0.3m/sという不利な状況下で自身の持つ記録を0秒11更新する19秒19の世界新記録で優勝し、今大会2個目の金メダルを獲得した(スタート反応時間0秒133、50mラップ5秒60-4秒32-4秒52-4秒75)。このレースも過去最多の1レース19秒台が5人走るというハイレベルなレースであった。

2009年8月24日、走幅跳への将来的なチャレンジの意向として、「とても向いていると思うから、引退までには是非挑戦してみたい」とのボルトのコメントをBBC電子版が報じた。世界記録保持者のマイク・パウエルも、史上初の9mジャンプが可能との見方を示した。400mについては「やりたくはないけど、コーチが何か新しいことをやろうというなら、覚悟を決めるよ」と発言している。

2009年11月22日、2012年のロンドンオリンピックまでは100mと200mに専念することを表明し、400mと走幅跳の挑戦は2013年以降となった。2009年9月14日には、走り幅跳びへの参戦は2014年以降になる可能性を既に示唆していた。

2009年のIAAF世界最優秀選手賞を2年連続で獲得した。




ウィキペディア参照

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