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ハナ肇を忘れない。

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詳細 2015年9月27日 13:51更新

【生い立ち】
ハナ 肇(はな はじめ、1930年2月9日 - 1993年9月10日 血液型B型)は、日本のドラマー、コメディアン、俳優。コミックバンド「ハナ肇とクレージーキャッツ」のリーダーであり、同バンドのドラマーでもある。本名は野々山 定夫(ののやま さだお)。東京府北豊島郡(現在の東京都豊島区)生まれ。工学院大学土木科卒業。

【略歴】
1955年に、クレージーキャッツの前身である、「キューバンキャッツ」を結成。後に、植木等、谷啓らが加わり1957年に「ハナ肇とクレージーキャッツ」となり、リーダーとなった。芸名は、姓=興奮すると鼻の穴が大きく開くクセから、名=ハナが敬愛したジャズピアニスト和田肇(俳優和田浩治の実父、歌手淡谷のり子の前夫)に由来する。

『シャボン玉ホリデー』等のテレビのバラエティ番組や映画に数多く出演し、『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』での、「アッと驚く為五郎」などの流行語を生み出す。フジテレビ系の正月番組『新春かくし芸大会』の名物であった銅像コントの銅像役としても有名である。志村けん以外のザ・ドリフターズの各メンバーの名づけ親でもある。

悪くいえば非常にワンマン型のリーダーであったが、強力なリーダーシップを発揮したことで知られ、クレージーのみならず渡辺プロダクショングループ全体の大番頭的存在となり、創業者渡辺晋・美佐夫妻もハナには全幅の信頼をよせ、ハナも生涯渡辺夫妻を裏切ることなく尽くした。ただし渡辺プロダクション黎明期には、給料の前借を繰り返すハナに美佐が手を焼いた事があるという。

植木等人気絶頂のころは地方公演で「植木等とクレージーキャット」と誤記され憮然とするなど、リーダーとして内心穏やかでなかったと伝えられるが良く耐え(植木が増長するような性格では無かったこともあるが)波風立てることなく、まとめ役としての役割をまっとうしきった。

俳優としては無骨で不器用なイメージがあるが、企画や才能への嗅覚は非常に鋭く、そのためもあって出演映画歴には初期の川島雄三、市川崑から晩年の市川準まで大物監督がズラリと並ぶ。特に若い頃の山田洋次の才能をいち早く見抜き、「男はつらいよ」が始まるまでは不動のコンビを組んでいた。

その豪放磊落な芸風とは対照的に、非常に礼儀に厳しい人物で、若かりし日のとんねるずもよく世話になったという。

最後の入院の際は弟子であるなべおさみや元ザ・ピーナッツの2人が交代で看病し、死病とは知りつつ笑顔を装って「いつも済まないねえ」「おとっつぁん、それは言わない約束でしょ」と往年のコントのセリフを繰り返していたという。その入院時に医師からは「余命は1.75日(40時間)」と宣告されたものの、なべ等の必死の看病によって結果29日(医学の常識を超越した、とも言われる)延命を果たし、最後は植木らに見守られて世を去った。

1991年4月29日、紫綬褒章受章。

1993年9月10日、肝臓癌にて他界。享年63。クレージーの中で最初の物故者となった。葬儀・告別式の弔辞は、森繁久彌と植木等が読んだ。植木が通夜の際にグループの解散を宣言し、クレージーの活動がハナの死と共に幕を降ろす形となった。現在阪神タイガースに在籍する桟原将司は又甥に当たる(ハナの兄が桟原の祖父という関係である)。


ハナ肇のギャグ
「真面目にやれ!」(クレージーの面々に向かい言うギャグ)
「アッと驚く為五郎」
「あんたかてアホやろ、わいかてアホや。ほな、サイナラ」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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