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一ノ瀬泰造

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コミュ内全体

詳細 2016年10月8日 01:00更新

■1947年■
佐賀県武雄市にて清二、信子の長男として生まれる。

■1963年■
佐賀県立武雄高等学校入学。野球部員として甲子園大会に出場。と同時に、物理部写真部門で活躍。

■1966年■
日本大学芸術学部写真学科入学。部活動「フォトポエム」で赤津孝夫氏と意気投合し、課内外で切磋琢磨する。

■1970年■
日本大学芸術学部写真学科卒業、UPI通信社東京支局勤務。その後、横田基地のPXで働き、インドシナ行きの資金を作る。

■1972年■
1月
予てからの願いフリーカメラマンを目指し、インド、バングラディシュへ。インド・パキスタン戦争の終盤を撮る。その後、カンボジアへ入国。当時クメールルージュの根拠地となっていたアンコールワット一番乗りを目指し、シェムリアップへ。そこの土地の美しさ、人の優しさに魅せられ、しばらくの拠点と決める。しかし、アンコールワットを巡り、幾度となくカンボジア政府軍とトラブルを起こす。

8月
遂にカンボジア国外退去を命じられ、ベトナムへ向かう。ベトナムでは毎日のように最前線に出かける。その甲斐もあり、次第に泰造の写真が国内外の紙面を飾ることになる。「アサヒグラフ」「週刊朝日」「ワシントンポスト」など。UPI月間賞、受賞作品もこの頃の作品。

■1973年■
4月
突然の一時帰国。被弾したカメラを残し、すぐにインドシナに戻る。ボクシングコーチという名目でビザを申請しカンボジア再入国。1ヶ月間という短期間だが精力的に活動する。ビザ期限切れで再度ベトナムへ戻るが、韓国弾薬船でメコン河を遡る決死行に出て、カンボジアへ再々入国。一層激化した戦火を撮り続けながら、アンコールワットへの潜入を企てる。

11月22日または23日
遂にアンコールワットへ単身潜行。消息を絶つ。

■1982年■
2月1日シェムリアップから北東14Kmのプラダック村で両親によって死亡が確認された。

一ノ瀬泰造オフィシャルサイト
http://www.taizo.photographer.jp

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開設日
2004年9月16日

4462日間運営

カテゴリ
アート
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