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獨協大学名誉教授 中村粲

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詳細 2015年2月27日 21:22更新

東京大学文学部英文学科卒業(1959年)。高等学校教員を経て、1964年より獨協大学に勤務(所属は外国語学部英語学科。1991年、英語学科長を務める)。 専任講師、助教授を経て1988年より教授。2005年3月定年退職、同大学より名誉教授の称号を受ける。以後3年間、同大学非常勤講師として英作文を担当した。
近年は東京裁判、南京事件、沖縄戦集団自決問題に力を注ぐ。英語分野は日本精神史関係資料英訳)。
私設の研究機関「昭和史研究所」「NHK報道を考へる会」の代表を務める。2006年より、興亜観音を守る会の第3代会長を務めている。 昭和史研究所では、当時を知る人たちが健在の間に貴重な証言をとる活動を活発に行なっている。中村は、「これは本来ならば国家のやる事業だ」と主張している。NHK報道を考へる会では、NHKの報道は左翼偏向報道だと主張、報道が是正されるまでは受信料の不払いをしようと呼びかけている。
中村の代表作『大東亜戦争への道』は、600ページを超える大著で、 1990年の刊行から十五年以上経た現在もなお版を重ねており(2006年10月、14刷となる)、大東亜戦争肯定論支持者の間では特に重要な書籍と位置づけられている。(渡部昇一は同書を「最も重要な通史」と高く評価し、『大東亜戦争への道』をテキストとして近代史を語った「日本とシナ」(ISBN 4569648576)を刊行した)
1995年、『東京裁判却下未提出辯護側資料』(東京裁判資料刊行會編、全8巻)を共同編集し刊行、第43回菊池寛賞を受賞。
中村の文章は漢語が多用され、歴史的仮名遣を用いて書かれている。中村は歴史的仮名遣を用いる理由について、雑誌『正論』の読者投書欄で語ったことがある。
月刊誌『正論』の「NHKウオッチング」を長期連載(1994年6月 - )する。また、日本文化チャンネル桜(スカイパーフェクTV!767ch)では「桜塾講座−大東亜戦争への道」で講師を務め(2004年8月 - )、大東亜戦争(太平洋戦争)について解説する。
2006年6月、八木秀次らが設立した「日本教育再生機構」に参加。発起人。
[編集]様々なエピソード

出典が必要な項目は、各項の最後にカッコ内で記した。
大学生時代、左翼学生主催の集会に参加、彼らと異なる意見を堂々と主張し、票決をとらせ、自身の意見に多くの学生からの票が入る。これが中村の思想闘争の嚆矢である。(「NHKウオッチング」)
高等学校の教員時代、既に昭和三十年代だというのに学生たちに軍歌を歌わせるなど、独自の教育を行なう。最後には生徒への指導方法をめぐって校長と対立、辞表を提出するが、新設される獨協大学の教員になることが決まり、喧嘩別れの退職になるはずが「栄転」となった。(中村の講演での話のネタ。チャンネル桜の番組や昭和史研究所で販売されている中村の講演ビデオ参照のこと)
国民学校時代に自身が習っていた教科書を用い、自分の子供を教育した。その教科書の復刻版が発売された際、出版元に激励の電話を掛ける。その出版社は、軍国主義教育を批判しようとして出版を企画した会社であった。(上記と同じく講演ネタ)
1970年より朝日新聞、NHK等の報道は左傾化しているとして、言論・街宣活動を始める。自作のミニコミ紙を発行したり、朝日新聞本社の前で朝日新聞糾弾演説や朝日新聞打倒デモを行なう。市民運動家の三輪和雄は、中村の講演会の司会の際、“闘う言論人”と評している。
1971年、田中角栄内閣の、中華民国(台湾)との国交断絶ならびに日中国交樹立政策に対し「旧い友人を棄てるな」と激しく反対、中華民国支援日本委員会を設立し、支援運動を展開する。翌年、中華民国政府より招かれ、訪華する。
同年、大東亜戦争勃発三十周年に関する意見を看板に書いて大学内に建てるが、当時は学生運動が盛んな時代で、その日のうちに何者かに看板を壊される。中村は翌日も看板を建てた。(上記と同じく講演ネタ)
1975年より、大東亜戦争開戦記念日12月8日に学生を引率して靖國神社に毎年、参拝する。また、学生を引率して自衛隊体験入隊を実践する。
1977年、ダッカ事件の直後、学生を引率して靖國神社に参拝した際、福田赳夫首相(当時。ダッカ事件でテロリストに屈服し、世界中から非難されていた)を見かけ、「馬鹿野郎」と福田を怒鳴りつける。(上記と同じく講演ネタ。日本をまもる会が発行した冊子で活字になっている)
1994年、自身の思想と百八十度違うオピニオン誌『週刊金曜日』に「絶対無私の大御心を信じて」と題する文章を寄稿、掲載される。
1995年、戦後五十年の国会謝罪決議に反対し、反対集会を開き、デモを行なう。参加者四千名ほどの規模だったが、NHKは報道しなかった。(「NHKウオッチング」)
同年、 NHKへの抗議集会を計画した際、何者かから「中村!貴様を殺害する」という文章で始まる脅迫状を送付される。中村は自衛のために、趣味で集めている日本刀を持って集会に参加、大衆の前で脅迫状を読み上げ、刀の鯉口を切る。集会後、警察官によって日本刀を一時預かられた。犯人は現れなかった。この話に尾ひれがついて「中村は日本刀を振り回した」などと支援者の間で言われているが、真相は以上の通り。(「NHKウオッチング」その他)
支援者や自分の受け持つ学生に「NHKの集金人が来たら、獨協大学の中村が払ったら私も払うと言ってください」と発言している。(講演ネタ。一例として、チャンネル桜HPで、チャンネル桜全国大会「日本よ今・・・」という番組が無料で視聴できる)
1995年、朝日新聞に文章を投稿した際、朝日から何度も書き直しを命じられ、検閲であるとして朝日新聞を提訴する。
『現代用語の基礎知識』1996年版に、樺山紘一(当時、東京大学教授)が南京大虐殺の項目に「一説によれば百万」と記述。中村は「樺山紘一先生は頭狂大学教授の間違いではないか」と揶揄、講演や大学の授業で喋るだけにとどまらず、大学の印刷物にまで記載しようとして教務課を仰天させる。樺山は翌年版の『現代用語の基礎知識』から、南京大虐殺そのものの項目を削除した。(「NHKウオッチング」その他)
1996年に文部省が検定した中学校の歴史教科書すべてに慰安婦の記載があることが発表され、中村らは激しく抗議、小杉隆文部大臣と直談判するが、話し合いは決裂し、翌年、中村は違法教科書訴訟原告団を組織、団長となり、国、教科書会社7社、計88の自治体、中学校社会科教科書執筆者全員を被告として提訴する。(『正論』1996年9月号「慰安婦問題に潜む虚偽」同11月号「検定パスした歴史の大嘘」1997年1月号「文部省の検定姿勢を問う」同3月号「文相との教科書談判決裂す」他参照のこと)
1998年、左翼偏向報道ならびに虚偽放送を行なっていると長年批判し続けてきたNHKを提訴する。(「NHKウオッチング」その他)
1999年、「大東亜聖戦の歌」を作詞。自称、二十世紀最後の軍歌。
同年、支那事変や南京事件の調査のため、中国を旅行するが、翌年、中国政府より入国禁止の処置をとられる。
『正論』2001年5月号で、「朝日は銃弾を撃ち込まれ、その後暫くは大人しくしてゐたやうだが、昨今の朝日の傍若無人とも思へる偏向紙面を見ると、まだお灸が足りないやうだ」と執筆、テロリズムを推奨したと非難される。中村は翌月号の「NHKウオッチング」で「朝日はペンによる言論暴力を長年に亘って行なっている、それに対しての因果関係を指摘したのだ」と反論した。なお、編集部は「誤解を招く表現だった」として、6月号で謝罪文を掲載している。
2007年11月15日、教科書改善の会の主催する「沖縄戦を子供たちにどう伝えるか」に出席し日本軍無謬論を述べ、小林よしのりに「日本兵による「壕追い出し」や「スパイ視殺害」は疑う余地の無い事実だという認識すらなかったのか?!」と言われた(ゴーマニズム宣言第7章 沖縄のことなんかどうでもいい保守シンポ。このシンポジウムの記録は正論や、上記小林よしのりの漫画にあるが、中村の詳しい見解は書かれていない。中村は他に発表した論文や講演などで、正規の日本軍と防衛隊を沖縄の人が混同したとしても仕方がないが、防衛隊の言動を全て日本軍の悪意と拡大解釈、誤った解釈をしてはならないということを繰り返し、主張している(「明日への選択」平成19年8月号、「NHKウオッチング」など)。
「大東亜戦争への道」の著者というイメージが強く、日本近代史を専門に学んだ歴史学者のように思われている向きもあるが、実際は英文学科の出身で、本職は英語教師である。和英辞典を編集・執筆したり、様々な日本の史料を英訳するなど、英文学者としての業績も多数ある

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