エティエンヌ・バリバールに関するコミュがまだmixi内になかったので、恐縮にも決して専門家ではない不肖私が、とりあえず立ち上げておきます。
われこそは、と思われる方がおられましたら、管理人を代わっていただきたいと思うので、いつでもお申し出下さい。
なお、参考までに以下の解説は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を出典と致しております。写真などは現時点でないので、どなたかお持ちの方は、upしていただければ幸いです。
エティエンヌ・バリバール(Étienne Balibar, 1942年-)は、フランスの思想家、哲学者。
フランス高等師範学校卒業。ルイ・アルチュセールの教え子。
[編集] 邦訳著書
[編集] 単著
『プロレタリア独裁とはなにか』(新評論, 1978年)
『史的唯物論研究』(新評論, 1979年)
『ルイ・アルチュセール――終わりなき切断のために』(藤原書店, 1994年)
『マルクスの哲学』(法政大学出版局, 1995年)
『市民権の哲学――民主主義における文化と政治』(青土社, 2000年)
『ヨーロッパ、アメリカ、戦争――ヨーロッパの媒介について』(平凡社, 2006年)
『ヨーロッパ市民とは誰か――境界・国家・民衆』(平凡社, 2008年)
[編集] 共著
(ルイ・アルチュセール)『資本論を読む』(合同出版, 1974年/筑摩書房[ちくま学芸文庫], 1996年)
(イマニュエル・ウォーラーステイン)『人種・国民・階級――揺らぐアイデンティティ』(大村書店, 1995年)
「グローバリゼーションの新たな段階とともに、「内戦」あるいは「対外戦争」、共同体内での「民族的−宗教的」な暴力、しかしまた究極的貧困状況、飢饉、いわゆる「天災」といった、絶滅的暴力のさまさまな方式のどんどん巧妙になっていく術策が、世界中に広まっていったことを忘れないでおこう。その術策は、「生の地帯」と「死の地帯」のあいだに偏った分割を産み出すことで、[…]「絶滅主義(exterminisme)」と呼ばれるに値する。絶滅的暴力を「抑制し」、「標的とする」ために国家あるいは同盟の境界を利用することは、つねにきわめて「有効」であることがここでは明らかであるが、とりわけ中央アフリカか中東、バルカン半島での最近の出来事が示したように、驚くほど脆いこともまた明らかである。
したがって、少なくともその現在のようすでは、「干渉権」についての論争は、より巨大な問題を覆い隠していることが考えられる。その問題とは、真に連続した不幸の連鎖といったものを、形作る、自然的かつ文化的な絶滅的過程への一般化した非介入である。そこでは、チェチェン、コソボ、パレスチナ、イラク、チベットは、ルワンダ、アフガニスタン、アルジェリア、コロンビア、ブラジルと肩を並べ、また、アフリカのエイズ問題、洪水によって荒廃したインドの地方とも肩を並べている。すなわち、また実際には考察されていない絶滅的な生−政治あるいは生−経済の現実である……。」