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Ginger Baker

Ginger Baker

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クリームのドラマーであるベイカー氏のコミュです。

伝説のロックバンド、クリームは
1966年7月のナショナル・ジャズ&ブルース・フェスティバル(現在のレディング・フェスティバル)でデビュー。

1968年11月26日のロンドン・ロイヤル・アルバートホールでのフェアウェルコンサートをもって、わずか2年で解散しました。

クリームの結成はヤドバーズを抜けたエリックと
ジャズミュージシャンだった、ジャックとジンジャーが
お互いに相手の持っている音楽に期待して結成されました。
エリックは2人のジャズ的フィーリングに、
ジャックとジンジャーはエリックの持っているリズム、ブルースのセンスに、
こうしてクリームはその当時結成されたのです。

メンバー
エリック・クラプトン(ギター、ボーカル)
ジャック・ブルース(ベース、ボーカル)
ジンジャー・ベイカー(ドラム)

再結成
解散から26年後、1994年、ロックの殿堂入り、そこでのステージ限りの再結成が行われ、「サンシャイン・オヴ・ユア・ラヴ(サンシャイン・ラヴ)」「クロスロード」といった曲を含む、3曲がライヴ演奏されました。

また、2005年5月にも、解散からなんと37年後、解散前の最後のライヴを行ったロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにおいて、一時的に夢のような再結成。

わずか2年の活動ながら、世界のロック史に不朽(きゅう)の名声を残した偉大なバンドの再結成に、会場には世界中からファンが詰めかけました。開演3時間前から行列ができ、50ポンド(約9950円)から125ポンド(約2万4875円)のチケットは、ネットなどで取り引きされ、最高2000ポンド(約39万8000円)にまではね上りました。

そんな英伝説のロックバンド「クリーム」の偉大なドラマー
ジンジャー・ベイカー氏のコミュニティです。

アルバム
《フレッシュ・クリーム》 - FRESH CREAM
《カラフル・クリーム》  - DISRAELI GEARS
《クリームの素晴らしき世界》 - WHEELS OF FIRE
《グッバイ・クリーム》 - GOODBYE
《ライブ・クリーム》 - LIVE CREAM
『ライヴ・クリーム Vol.2』 - LIVE CREAM Volume 2
『BBCライヴ』 - CREAM BBC

最後の解散時や2005年再結成され、会場に使われた、
ロイヤル・アルバート・ホール(Royal Albert Hall of Arts and Sciences)は、
イギリスのヴィクトリア女王の夫であるアルバート公に捧げられた演劇場です。ロンドン中部のサウス・ケンジントンに位置し、同劇場の位置する区画はアルバートポリスとして知られています。

概要
1871年3月29日の開場以来、ロイヤル・アルバート・ホールでは多くのイベントが行われ伝説的人物を生みだし、「ザ・ネイションズ・ヴィレッジ・ホール」と呼ばれました。
建物の大きさは272フィート×238フィートで、形は楕円形をしており8,000人のキャパシティーがあります。9,000名までの入場が可能でありますが、現代の安全基準では収容数を7,000名としています。
ホールの天井は鉄骨のドームにガラス張りとなっており、高さは135フィートです。ホールの外部には「芸術と科学の勝利」を描く巨大なテラコッタが展示されています。

ジンジャー・ベイカー氏は 1939年8月19日 生まれ
アイリッシュ系イギリス人でサウス・ロンドンのルイシャム出身。
本名はピーター・エドワード・ベイカーで、ジンジャーのニックネームは彼の赤茶色の髪に由来しています。

10代は自転車レースに没頭し、その結果脚力を強化、間もなくジャズに出会う事になり音楽の世界にのめり込むことになります。

J・バーチ・オクテットやB・コートリ・バンドなどモダンジャズのグループに参加し、時代は空前のブルース・ブームでアレクシス・コーナーのブルース・バンドを経由してG・ボンドとグレアム・ボンド・オーガニゼーションを結成、ジャズ・ロック・フュージョンと言えるグループは高く評価されました。

その後、ヤードバーズを辞めたE.クラプトンとJ.ブルースと一緒に結成したクリームは最強のロック・トリオといわえるようになりました。

特に、ベイカー氏のドラムに関しては2バス、2タム、2フロア、とプラス、多数のシンバルの組み合わせという現在のヘヴィー・メタルドラムの原型を作ったと言えるでしょう。
また、ドラムスローンの低さや、特に2タムの水平スタイルは独特のセッテングでベイカー氏独特のスタイルと言えます。
そんなジンジャーベイカー氏に興味をもった方は是非
コミュニティーに参加して下さい。
書き込みも何でもいいですから、どんどん書き込み、
お願いします。

立ち上げてから2年以上にわたり、皆様からの数多くの貴重な情報を感謝します!



クリームからブラインド・フェイス ----

かんたろう先生の仮説

あまりにも巨大な神話となったクリームで疲れてしまったクラプトンが、その後、自分が本当は何をやりたいのかを模索する長い紆余曲折の旅路を経て到達したのがライブの名盤「WAS HERE」であったことは有名な逸話です。そのアルバムで最も圧巻なギターソロを奏でているのがプレゼンス・オブ・ザ・ロードであった事実を見る限り、クラプトンはスティーブ・ウィンウッドのメロディアスな天才的センスに少なからず傾倒していたと考えられます。

・クリームは天才の集まりでしたから、お互いに不足する部分を補い合って一つの作品を作るというよりも、むしろ同じ舞台で三人のテクニカル・バトルを繰り広げることで一つの緊張情景を醸し出し、オーディエンスたちを熱狂させていたバンドであったと考えられます。その典型的な場が、ライブにおけるいわゆるインプロビゼーション(即興演奏)でした。クリームの代表的なアルバムが、いずれもスタジオ録音とライブ録音の入り混じったものであったのはその証拠であると感じます。

しかし、このような緊張状態はメンバーに少なからず心理的な圧迫感を与えたことでしょう。ジャックはそのストレスを、有り余る才能を駆使したメロディアスな曲を作ることで解消できましたが、もともと繊細なクラプトンはさらにクリームの本道であるブルース・ロックの演奏技術を向上させることに没頭するしかなかったと思います。ベイカー氏が、この二人の巨人プレイヤーの間に入って緩衝役として苦労したであろうことが推察されます。

結果として、精神的に疲れてしまったクラプトンは、クリームの神話の枠から脱皮することで自己のストレスを解消する道を模索したというわけでしょう。最後のアルバムとなった文字通りの『グッパイ・クリーム』におけるライブの名演「アイム・ソー・グラッド」のギター・ソロでまったく同じフレーズを繰り返し演奏し続けるクラプトンの姿に、その心情が如実に出ている気がします。要するにクラプトンは、ジャックのすさまじいまでの音楽的才能に傾倒しながらも、その彼と対決しながら作品を作り続ける緊張感から解放されたかったのではないかと思います。

ところが、希望の糸を辿りながら参加したブラインド・フェイスで、クラプトンは再びジャックに匹敵する以上の天才であるスティーヴと交錯することになってしまいました。彼はここでもまた、ジャックよりも若く、そしてジャック以上にメロディアスな曲作りの才能を有するスティーヴに傾倒しつつも、結局はその才能に自分自身が押しつぶされる危険性を感じたはずです。周知のように、このバンドの中核はクラプトンとスティーヴでしたが、たった1枚のアルバムで解散したことの裏にはそういう憶測が成り立つような気がします。後にクラプトンのテーマ・ソングになる「プレゼンス・オブ・ザ・ロード」をスティーヴが唄っていることからも、この憶測はそれほどトンチンカンではないと思います。

ちなみにこの曲は、専門家の耳からもまた、ぼく自身の好みから見ても、明らかにスティーヴが唄ったブラインド・フェイス・バージョンの方が完成度が高いと言えます。その後のクラプトンが唄ったレインボー・コンサート版もデレク・アンド・ドミノスのライブ版も、決してブラインド・フェイス版を超える完成度はありませんでした。そして、天才・スティーヴ・ウィンウッドは、そうしたクラプトンの心情を知っていたからこそ、この曲を二度と自身では歌わなかったのではないでしょうか。

その後、周知のように、クラプトンはソロ活動およびデレク・アンド・ドミノスを経て、ついに自身のバンドを設立しました。私生活でもジョージ・ハリスンの奥さんを横取りしたりなどお盛んで、精神的な安定を実現することができました。「レット・イット・レイン」「いとしのレイラ」などの名曲が次々と生産されたのもこの時期です。『461オーシャン・ブルバード』の「レット・イット・グロウ」は、ここまで何とか成長してきた自分自身を歌ったものだったのかも知れません。

しかし、たった一つだけ残ったトラウマが「プレゼンス・オブ・ザ・ロード」です。スティーヴが唄ったブラインド・フェイス版を超えなければなりません。それが、冒頭で指摘したライブ版『ワズ・ヒア』の同曲です。ここでは彼はイボンヌという女性ボーカルのサポートを得て、その試みを行なっており、ある程度その目的を達成しているように感じます。以後、クラプトンは水を得た魚のように自己の宇宙を着実に作り上げていくことができるようになった気がします。ジャックに傾倒しつつも恐れ、スティーヴに傾倒しつつも恐れた彼が、ようやくこれら二人の巨人と肩を並べる音楽家となったのではないでしょうか。


ーーーかんたろう先生の仮説でした。でも、その通りだと思います。かんたろう先生有り難うございました。

ベイカー氏に戻ります。


ベイカー氏のクリーム解散後は、

ブラインド・フェイスでの短い活動期間を経て、
70年にエアフォースを結成。
アフロジャズ的なアプローチによる2枚のアルバムをリリースしました。

その後、念願のアフリカ音楽に専念するためナイジェリアに渡り、現地で西アフリカ初の最新式レコーディングスタジオを建築し初のソロアルバム "Stratavarious" や、フェラ・ランサム・クティとの共演盤
"The Africa '70" などを制作しました。

74年にはポール&エイドリアン・ガーヴィッツ兄弟とベイカー・ガーヴィッツ・アーミーバンドを結成。
シンプルなロックサウンドに回帰し3枚のアルバムをリリースしました。
その後ホークウィンドでの活動を経て、

87年には4人のアフリカ人パーカッショニストとドイツのジャズミュージシャンを起用し、アフリカ音楽と西洋音楽を融合させた力作ライヴ盤 "African Force" を発表しました。

90年代に入るとヨナス・エルボーグ、ヤンス・ヨハンスンと組み、アコースティック楽器によるインストルメンタル盤 "Unseen Rain" を制作、

それからビル・フリーデン、チャーリー・ヘイデンを起用しジャズロック路線を追究した "Going Back Home"、

ジャズトランペッターのロン・マイルズとの共演盤 "Coward Of The Country" などをリリースしています。



関連コニュ 管理人 スージーさん
●●<STEVE WINWOODコミュニティ>●●
http://mixi.jp/view_community.pl?id=39780



管理人自身あまり詳しくないですから詳しい方のご参加をお待ちしてます。

開設日
2005年09月25日
(運営期間4021日)
カテゴリ
音楽
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