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涌井 秀章

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詳細 2017年5月4日 21:19更新

西武ライオンズのエース
涌井選手を応援するコミュニティです。

涌井投手が好きな方、これから好きになる方誰でも歓迎です。

西武の未来を切り開いていくエースを応援しようexclamation

wiki転載
井 秀章(わくい ひであき、1986年6月21日 - )は、プロ野球・パシフィック・リーグの埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手である。ポジションは投手。背番号は16番。

[編集] 横浜高校時代
2003年
高校1年の時から松坂大輔二世と呼ばれていた。春の甲子園に1学年上のエース成瀬善久(現千葉ロッテマリーンズ)らと共に出場。準決勝までは成瀬のリリーフとして登板。決勝戦では先発したが、広陵の打線につかまり3-15と大敗した。

2004年
夏の甲子園に同期の石川雄洋(現横浜ベイスターズ)や2年後輩の福田永将(現中日ドラゴンズ)らと出場。2回戦の京都外大西戦は、延長戦にもつれ込んだが我慢のピッチングで勝利。肉体的にも精神的にもスタミナのある面を披露。準々決勝の駒大苫小牧戦は林裕也にサイクルヒットを浴びるなどして完敗した。国体秋季大会では、初戦の駒大苫小牧戦で14三振を奪って完投勝利を収め、その後優勝している。

松坂を指導していた横浜高校の小倉部長は、「松坂よりも我慢し、辛い練習に耐え、乗り越えてきた」と称賛。その後、甲子園で147km/hを計測した涌井を見た松坂は、「相当な努力をしたと思う」と評価した。
最速148km/hのストレートとスライダーを投げ、ドラフトでは西武に単独で1位指名された。

[編集] プロ入り後
2005年
西武の投手としては高校の先輩松坂大輔以来となる高卒ルーキーでの開幕一軍入りを果たす。6月18日、交流戦最終戦のヤクルトスワローズ戦でプロ初勝利。

2006年
3月26日のオリックス・バファローズ戦、高卒ルーキーの炭谷銀仁朗捕手とのバッテリーで勝利投手となった。また4月23日の楽天戦では同じく炭谷とのバッテリーで自身初の完投および完封勝利。10代バッテリーでの勝利は1989年、横浜大洋ホエールズの石井忠徳-谷繁元信以来17年ぶりだった。

6月はリーグ1位の防御率、3勝1敗で初の月間MVPを受賞。監督推薦でオールスター初出場。

8月19日の対福岡ソフトバンクホークス戦で、「西武ライオンズ発足以来パ・リーグ公式戦通算2000勝目」の勝利投手となる。この「通算2000勝」は、当初西武球団広報や通信社の記者にも気付かれておらず、インターネットのBBSに投稿されたファンの情報によって初めて明らかになったことが文化放送ライオンズナイターの中川充四郎公式サイトで公表された。

2007年
オフに平松政次からシュートを習得し、打たせて取る投球へのモデルチェンジを図った。4月3日の対福岡ソフトバンクホークス戦の5回表に、プロ野球史上12人目となる1イニング4奪三振を達成した。

最終的に17勝を挙げて最多勝を獲得。両リーグ最多の213投球回と199被安打を記録。また完投数11はダルビッシュ有の12完投に次いでリーグ2位で、2ケタ完投を記録したのは両リーグ通じてこの2人だけだった。

北京五輪出場をかけたアジア予選決勝リーグの日本代表メンバーに、ダルビッシュ有と並び最年少で選出され、星野監督に初戦の大事な先発を任され、フィリピンを相手に6回1安打無失点の好投を見せた。

2008年
3月20日のオリックス戦にて自身初となる開幕投手を務める。140球、8回2失点で敗戦投手となる。

北京オリンピック野球日本代表選手に選出された。2007年と比べて制球力が大幅に下がり(2007年より投球回数が30イニング以上減って、与四球数はほぼ同じ)、2ケタ勝利は達成したが負け越した。

クライマックスシリーズでは1、5戦に先発、合計15イニング1失点、2勝を挙げた。特に第5戦は7回二死まで走者を許さず、最終的には3安打無四球完封勝利を果たし、胴上げ投手になる大活躍、シリーズのMVPに輝いた。


投球
投球フォームのバランスが良く、球持ちが長いと評される。肘の使い方が上手く、上原浩治が「非常にバランスの良いフォームだ」と褒めた事もある。しかし、要所要所でタイムリーを打たれる事が多く、西武ファンからは時折ピンチに弱いと言われている。
ストレートの球速はMAX151km/h(平均球速は常時135〜140km/h程度)、スライダー、カットボール、カーブ、フォーク、チェンジアップ、シンカー、パームボール、シュートを投げる。
左打者にはフォークという決め球があるため、被打率は左打者のほうが低く得意としている。2007年は右打者に対する被打率は.277、左打者には.233だった。にもかかわらず、涌井との対戦を得意としているのは川崎宗則、柴原洋、福浦和也、大松尚逸などなぜか左打者ばかりである(週刊ベースボール 2007年第40号より)。

2005年シーズンオフ、チームメイトの赤田将吾選手のサイトに場を借りてファンへのメッセージを掲載したが、顔文字を多用した文章を披露、ファンの間で話題になる。
ポーカーフェイスとしても知られ、中学時代からピンチを迎えたり、本塁打を打たれても表情を崩さない。中・高校時代は「ユニフォームを着ると性格が変わる」と言われるほどポーカーフェイスとともに日常生活とのギャップが激しい
成瀬善久は横浜高校時代の1年先輩で2007年は2人で最多勝争いを繰り広げた。高校時代、県大会では成瀬が背番号10を、涌井が背番号1を付けた事もある。
2007年の契約更改の際、球団側から背番号18への変更を打診されるも、それを固辞した。「投手のタイトルを全て獲るくらいでないと変えられない」という背番号18の重さと「西武になってから16番を付けたのは3人(松沼雅之・潮崎哲也・涌井)だけ」と西武投手陣の一角を担った背番号16の先輩2人に対する敬意を理由に挙げている(ベースボール・マガジン社「西武ライオンズ30年史」より)。
小学生時代は野球ではなく、ソフトボールをしていた(わかばソフトボールチームに所属)。野球は中学生になってからシニアリーグで始めた。
ランニング量が非常に多く、松坂大輔も「僕が涌井に絶対勝てない部分はランニングの量です。これだけは絶対に勝てない」と舌を巻くほどである。

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開設日
2008年4月21日

3325日間運営

カテゴリ
スポーツ
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