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ザ・グレート・カブキ

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米良明久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
米良 明久(めら あきひさ、1948年9月8日 - )は、日本のプロレスラー、レフェリーである。但しプロレスラーとしてはセミリタイア状態である。宮崎県延岡市出身。レスラーとしてのキャリアにおいて、ザ・グレート・カブキのリングネームでアメリカでもその名が知られたレスラーである。東洋の神秘の異名も同リングネームに関連して持つ。

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経歴
1964年に日本プロレスに入団。同年10月31日に山本小鉄戦で高千穂明久のリングネームでプロレスデビュー。1970年からアメリカ遠征に出るも、日本プロレス崩壊の危機に際して1972年に帰国。

日本プロレスが崩壊した1973年に全日本プロレスへ移籍。その後オーストラリア、アメリカと海外遠征を多く経験する。

アメリカ遠征中の1981年、アメリカ人プロモーターのアイデアで東洋系を前面に押し出したギミックのペイントレスラーにギミック変更。同時にザ・グレート・カブキのリングネームを用いだす。なお、このリングネームを名乗るのは米良で2人目であったが、後の米良の活躍によりこのリングネームは米良の代名詞となる。

ヌンチャクを操り、毒霧を吹く東洋系のヒールキャラクターが受けて、アメリカ各地の団体に登場した後1983年に帰国。帰国後もカブキのギミックのまま全日本プロレスに登場し、アメリカでの活躍もあって人気を得る。

1990年7月30日に全日本プロレスを退団。この前日にはジャンボ鶴田と組んで世界タッグ王座を獲得している。

全日本プロレス退団後はSWSに入団。選手兼ブッカーとして活動する。SWS崩壊後はWARに所属するも数多くの団体に登場するようになる。新日本プロレスにも登場するようになり、平成維震軍の一員となった。

1994年には、一度だけWWFに登場。ロイヤル・ランブルのランブル戦に出場した。

1997年からはIWA・JAPAN所属となる。1998年に現役引退を表明。引退に際して武藤敬司が「パパと一緒に試合がしたい」とコメントした。これは武藤のWCW時代のリングネーム「ザ・グレート・ムタ」はギミック上カブキの息子であったことによる。そして同年8月8日にはザ・グレート・カブキとザ・グレート・ムタの「親子タッグ」が実現している。

1998年に引退した後は、IWA・JAPANにてレフェリーを務めつつも、折を見て試合にも出場するセミリタイア状態となっている。

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開設日
2005年09月11日
(運営期間4032日)
カテゴリ
スポーツ
メンバー数
363人
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