単純に兄弟コミュニティとしてFerrariの管理人kakusさんが作成されたのを京歯が引き継ぎました。
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「SuperGT青木孝行選手応援コミュ」
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フェラーリのエンブレムである跳ね馬、カバリーノ・ランパンテの由来には、次のようなエピソードがあった事をご存知だろうか。
1923年6月17日、アルファ・ロメオチームに身を置きドライバーとしての才能を開花させようとしていた25歳のエンツォ・フェラーリが、ラベンナ郊外のサビオサーキットレースにおいてはるかに速い車を打ち破って優勝した時の事である。 熱狂する群集をかき分けながら老夫婦が進み出て、布切れのようなものを差し出してこう言った。「ようやく、これを送るにふさわしい勇気と情熱の持ち主にめぐり会えた。」と。
老夫婦は、第一次世界大戦のイタリアの空の英雄、フランチェスコ・バラッカ少佐の両親である伯爵、エンリコ・バラッカとその夫人、パオリーナと名乗った。 バラッカは戦争中に34機ものドイツ戦闘機を打ち落としたイタリア空軍のエースパイロットで撃墜王と呼ばれていたが、最後は自分が撃ち落されて戦死してしまった。 彼の愛機には、勢いよく飛び跳ねた黒馬のマークが大きく描かれていた。彼が亡くなった後、そのマークは切り取られ、悲しみにふける両親の元に届けられた。伯爵はいつの日か、勇気ある若者にそれを贈ろうと考えていたのだった。 マークを贈られたエンツォは感激し、「私も将来バラッカのような英雄になり、このマークを付けてやろう。」と、心に決めたのである。 エンツォは黒の跳ね馬に故郷のモデナ市のカラーである金地を加え、20世紀で最も有名なロゴマークとなり、カバリーノ・ランパンテの伝説として語り継がれる事になる。
さて、この話には実は裏話がある。実はこのバラッカ機に付けられていた跳ね馬のマークは、バラッカが撃墜したドイツ軍機に付けられたものを採用したものだった。 撃墜されたドイツ軍機は、パイロットの故郷であるシュツットガルト市の紋章が付けられていた。 つまりカバリーノ・ランパンテの由来をさかのぼると、ドイツのシュツットガルト市の紋章となり、しかもそこは後に宿敵となるポルシェの本拠地だったのだ。 実際にポルシェのロゴマークは非常にカバリーノ・ランパンテと酷似している。
エンツォ・フェラーリの生涯にはこうした伝説的な出会いや、神秘的な出来事が多数登場する。エンツォ・フェラーリの人生は紛れもなく「神話」なのだ。