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ポール・コゾフ

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詳細 2016年9月11日 05:05更新

Paul Kossoff(ポール・コゾフ) Guitar
1950年9月14日、ロンドン北部ハムステッド生まれる。
父・デヴィッド・コゾフは俳優。

8歳のときにトミー・スティールのライブを見て父の勧めでクラシックギターを数年習い12歳でバンド結成、名門私立校に通っていたが、悪い友人達とクスリをやっているのを見つかり公立校へ転校。

その後、ロンドン西部のイーリング地区・イーリング・ジャズ・クラブでエリック・クラプトン(20歳)やスティーヴ・マリオット(18歳)の演奏に影響を受けブルーズギタリストを志す。コゾフ15歳。

コゾブ18歳、ロンドンのセルマーズという楽器店で働きながらドラマーのサイモとBLACK CAT BONESというバンドで活動し更に、オリジナルを模索している中、Brown Sugarというバンドで唄っていたポール・ロジャースに遭遇し、ニューバンド結成を持ちかける。

ポール・ロジャースは、ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズのベーシストであったアンディー・フレーザーを誘い1968年にFREEが結成されました。

ポール・ロジャース(Vo)19歳
サイモン・カーク(Ds)は19歳
ポール・コゾフ(G)は18歳
アンディ・フレーザー(B)は弱冠15歳という若さでした。

Freeとう言うバンドの名付け親は、ブリテッシュ・ブルースの父と呼ばれるアレクシス・コーナーですが、アンディ・フレイザーがコーナーの娘と付き合っていた関係からアイランド・レコードと契約し1968年デビュー

1968年、ポール・ロジャースと共にフリーを結成したあと、70年に出したシングル「All Right Now」とアルバム『Fire and Water』で大ブレイクし、その年に開かれたワイト島フェスティバルにも出演。英国内で人気を得るも、ドラッグ癖で長期のツアーが困難になったことと、ソロ活動への執念からコゾフは1972年10月にフリーを脱退。

翌1973年に初のソロ作『Back Street Crawler』を発表し、同名のバンドを結成するも1976年3月19日飛行機内で心臓発作を起こし、この世を去った。

死亡日 1976.03.19
死因 ドラッグ
享年 26


http://www.youtube.com/watch?v=qzgqtJ1q_vg&feature=related
黙って↑↑↑↓↓↓をクリック
http://www.youtube.com/watch?v=yJHGB_xqZkM

フリーの映像DVDとBBC音源集が発売されるようです。
詳しくは下記のサイトに飛んでください。
http://www.cdjournal.com/main/news/news.php?nno=12476#add


  「アイコンアルバム発売当時のライナーノーツより」
このアルバムにはブルージーなギター・プレイに命をかけ、燃え尽きた男の魂の物語がある。
若冠25才にして急逝した元フリーのギターリスト、ポール・コゾフがアイルランド・レーベルに残した偉大な遺産!

フリーが解散してからのポール・コゾフの毎日は、ドラックとギターだけし無かったに違いない。彼をドラックに溺れさせたのは何だったのだろう。
フリーへの見果てぬ夢か、それとも・・・・・。

●大貫憲章

 ポール・コゾフがこの世を永久に去ってしまった。もう二度と彼のステージに接することは出来ない。
伝え聞くところによると、ポール・コゾフは、彼の新しいグループ、バック・ストリート・クローラーのアメリカ公演旅行を終えて、イギリスへ帰る飛行機の機内で、突然発作を起こし、手当ての間もなくこの世を去ったという。心臓麻痺ということらしいが、これがただの心臓麻痺ではないことは、彼を少しでも知っている者ならすぐに理解出来よう。彼の死因は云うまでも無くドラックによるショック死である。
 ドラックは、またも才能ある若いミュージシャンの生命を奪い去ったのだった。ドラックによって、その貴重な生命と素晴らしい才能を奪われたミュージシャン少なくなく、ジム・モリソン、ジャニス・ジョップリン、ジミ・ヘンドリックス、ブライアン・ジョーンズ、アル・ウイルソン、グラム・パースンズ、・・・・などザッと数え他だけでも5人(現在も増えつづけているカート・コベインなど)

Side1 チューズディ・モーニング?17’32”
 これは、ポールコゾフのオリジナルだ。何と17分32秒という大長編である。しかし一つの曲というよりも、いくつかの約束事を前提としたセッション風の作品と言った方がイイ。ポールコゾフのギターを全面的にフューチャーした演奏で、コゾフはまるで何かから逃れるかの様にガムシャラにギターを弾きまくっている。フリーの頃の演奏とは大分趣きが違うが、勿論、それは意図的なもののはずだ。後半に入ってラビッドのピアノが絡んで来るあたりのコゾフのぎたーは、最近のピンク・フロイドのディッド・ギルマーのギターを思わせる。

Side2 アイム・レディー?2’23”
 一時期、ディープ・パープル入りが噂さたジェス・ローディーンがリードボーカルを取る。ローディーンとキーボードのジーン・ラッセルの共作。いかにもジェス・ローディーンらしい力強いファンキーなロックナンバー

Side2 タイムアウェイ?5’45”
 コゾフとジョン・マーティン(イギリスのフォーク・シンガー)の共作。ベースに山内テツ、ドラムがサイモン・カーク、サイド・ギターにジョン・マーティン。コゾフの若千イコライザーされた伸びやかなギタープレーをフューチャーしたメロディックなインストルメンタルナンバーだ。このアルバムの中では、一番気に入っている。繊細な感覚のメロディー弾きにかけては、コゾフは天下一。カルロス・サンタナもマッ青。

Side2 モルティン・ゴールド?5’48”
 コゾフのオリジナル。リードヴォーカルがポールロジャース、ベースにアンディー・フレーザー、ドラムにサイモン・カーク、キーボードにラビッド、コーラスにジェス・ローディーン、フリー再編と云ったラインナップ。ミディアムテンポのグッと胸に迫るバラードっぽいナンバー。感情を抑えたロジャースのヴォーカルが渋い。

Side2 バック・ストーリィー・クローラー?4’08”
 アルバムのタイトル・チューンでコゾフのオリジナル。ドラムスにコンラッド・イシドア、ベースにクライヴ・チャーマン、キーボードにジーン・ラッセルという腕達者を配し、いかにもファンキーな演奏のインストルメンタルナンバー。後に彼が結成したバック・ストーリィー・クローラーのサウンド、音楽性の原型がここに見られる。

 以上がこのアルバムに収めらている全曲である。
前にも述べてたが、演奏やサウンドの背後にあるポールコゾフの生きざまを感じ取って欲しい。このアルバムは、音楽的な意味以上に、そうしたコゾフの人間性を知る上で、ファンにとってより大きな意味を有するものと信じている。

コゾフの冥福を祈ろう                   1973年

●ウィキペディア解説

ポール・コゾフ - Wikipedia http://p.tl/t0Yl

フリー (バンド) - Wikipedia http://p.tl/HPB2

バッド・カンパニー - Wikipedia http://p.tl/jCxH

クイーン (バンド) - Wikipedia http://p.tl/iVzs

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