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平時忠

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詳細 2017年4月20日 23:57更新

「此一門にあらざらん者はみな人非人なるべし」。







 平 時忠(大治3年(1128年) - 文治5年2月24日(1189年3月12日))は、平安時代末期の公家。平時信の子。母は藤原家範の娘と言われる。平清盛の妻平時子の弟(もしくは兄)、後白河天皇女御平滋子、中納言平親宗の兄。妻は藤原領子(後室)。子に時実、時家、時宗、時定、宣子らがある。平関白とも称された。

 平清盛と同じ桓武平氏ではあるが、武家となった高見王の子孫と異なり、代々都にあって中流公家としての命脈を保ってきた高棟王の子孫である。

 姉・時子が清盛に嫁いだことに従って昇進し、1149年に従五位下に叙せられる。1161年、妹の滋子が憲仁親王(後の高倉天皇)を出産したのに際し、清盛の弟教盛とともに親王を皇太子に立てようとして失敗、親王の異母兄である二条天皇の激怒を買ってしまい官職を解かれ、翌年に出雲国に流される。(教盛は解官にとどまる。)1165年に復帰するも、1170年に再び流罪に処される。

 1174年に従二位に叙せられ、その頃平家の栄華をたたえて「一門にあらざらん者はみな人非人なるべし」との発言をし、周囲の人より反感を買ったと言われる。1183年、正二位権大納言に昇進するが、同年に他の平家一門とともに都落ちする。

 元暦2年(1185年)壇ノ浦の戦いで捕虜となった。同5月3日 時忠は朝廷に神鏡の安全は自分のすぐれた手柄であるから、流罪を逃れて京に止まり出家して深山に隠居したいと願い出ており(玉葉)、娘を義経に嫁がせ保身を計っている。『平家物語』では娘を利用して義経から重要文書を取り戻し処分させている。

 能登国に流され、その地で生涯を終えた。その子孫は時国家と称して代々、格式を誇る。幕末には加賀藩主中納言の前田斉泰も上時国家を訪れている。墓は石川県珠洲市大谷町則貞の国道249号線傍にある。

 公家にしては豪放な性格であり、腕力にも優れていたことから、武家に生まれていれば天下を取れたと評されるが、周囲の反感を買う言動や、高倉天皇擁立の陰謀が露見して流罪にされたことなどから、怪気炎をあげるだけで軽率な人物だったと思われる。検非違使別当として都を荒らす盗賊の取締りに手腕を発揮し、盗賊12人の右手を切って獄門に懸け(『百錬抄』)「悪別当」(『平家物語』)の異名をとった。



「君住めばここも雲井の月なるをなお恋しきは都なりけり」。

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