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パレストリーナ Palestrina

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詳細 2016年10月19日 03:09更新

ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ
Giovanni Pierluigi da Palestrina
(1525頃〜1594)

ルネサンス後期 イタリアの作曲家。

16世紀後半ローマで活躍したローマ楽派の巨匠。
ルネサンス期最大の作曲家。

ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナは、16世紀後半に大きな成功を収めたイタリア人音楽家の一人である。彼は、おそらく1525年頃ローマ、あるいはその近郊の町パレストリーナで生まれたと思われる。彼の一族の姓はピエルルイージだが、その出身地である町の地名を付して、「ダ・パレストリーナ(パレストリーナの)」と呼ばれていた。それが今日、この作曲家の姓として認識されている。

彼はサンタ・マリア・マッジョーレ教会の少年聖歌隊員として教育を受けた後、1544年からパレストリーナの町の大聖堂オルガン奏者を務めた。経済的安定を得た彼は、1547年に結婚している。1550年にパレストリーナ市の司教が、教皇ユリウス3世に選出された。これは、パレストリーナに大きな転機を与える出来事だった。というのも、新教皇はパレストリーナのパトロンの一人であり、教皇就任の翌年に彼をヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂内にあるジューリア礼拝堂聖歌隊の楽長へ抜擢したのである。

その後、教皇が代わって妻帯者は解雇されるという不運に会ったが、パレストリーナはローマでも高い格式を持つサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂や、サンタ・マリア・マッジョーレ教会で楽長を務めたり、ローマ神学校で教鞭をとったりした後、1571年には再びジューリア礼拝堂聖歌隊の楽長へ返り咲く。そして、終生この地位を保つのである。

彼は、若い頃には数巻の世俗的マドリガーレ集を出版したが、それ以外には宗教音楽の作曲に専念した。中でもミサ曲は、1554年から没後の1601年にかけて12巻に分けて出版され、104曲も残されている。つまり、ミサ曲こそ彼の作曲の中心的なジャンルであった。

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開設日
2005年8月31日

4120日間運営

カテゴリ
音楽
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