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八原博通

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詳細 2016年11月3日 20:45更新

日本の旧陸軍軍人で最終階級は陸軍大佐。
第15軍参謀としてビルマ攻略作戦を担当した。陸軍大学校教官を経て、
1944年3月20日に沖縄防衛を担う第32軍の作戦参謀となった。

沖縄戦では司令官牛島満中将をよく補佐し、持久戦術を提案した。
当初は、航空支援下での水際撃滅戦を主眼としていたが、1個師団を
台湾に引き抜かれる事態に及んだこともあり、持久戦への方針転換が
最も堅実な作戦であった。八原は、ただ兵力不足のため持久戦を提案
したのではなく、地道な持久戦で長期間米兵に出血を強いることにより
アメリカ世論を操作し日本の立場を有利にする考えがあったという。

1945年6月23日、第32軍は実質上組織的な抵抗を終了した。八原は、
司令官と参謀長の自決を見届けた後、戦訓伝達のために民間人に
なりすまし脱出をはかるが、捕虜となる。
このことにより、八原の陸軍内部での評価は最悪なものとなった。

八原を理解したのは日本人ではなく嘗ての敵であるアメリカ軍である。
作家山本七平は、敗戦後の捕虜収容所で米軍将兵が「沖縄の日本軍
の作戦はスマートだった」と語るのを聞いた、と書き残している。
米陸軍戦史『最後の戦い』も「沖縄における日本軍は実に優秀な計画
と善謀をもって、わが進攻に立ち向かった」と述べている。
これらの賞賛は八原立案作戦の優秀さを示すものだが、大日本帝國は
その才能を生かしえなかった。

八原博通.(2007年, 6月23日).Wikipedia.

******

1920年 歩兵第54連隊(岡山)士官候補生
1921年 陸軍士官学校入学
1923年 陸軍士官学校第35期卒業
1924年 歩兵第63連隊(松江)附
1926年 陸軍大学校入学
1929年 陸軍大学校第41期恩賜卒業
1930年 陸軍省人事局附
1932年 陸軍省人事局補任課員
1933年 アメリカ陸軍隊附
1937年 陸軍大学校兵学教官
     第2軍兵站参謀
     第5軍後方参謀
1938年 陸軍大学校兵学教官
1940年 参謀本部附
1941年 タイ公使館附武官補佐
     第15軍作戦参謀兼任
1942年 陸軍大学校兵学教官
1944年 第32軍高級参謀(作戦主任)
1945年 捕虜
1946年 復員

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2007年12月27日

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