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キース・エマーソン

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詳細 2017年2月10日 16:47更新

キース・エマーソン(Keith Emerson, 1944年11月2日 - )
はイギリス出身のキーボーディスト、作曲家。

概要
1970年代前半に、イギリスのプログレッシブ・ロック・バンド「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」のメンバーとして活動し、本国イギリスやアメリカを初め、世界的に有名になった。また、当時まだ開発されて間も無いシンセサイザー(モーグ・シンセサイザー)を世界に知らしめた功績でも有名。特にロックという分野において「シンセサイザーをどう使うか」という方法論を提示した最初の人物と考えられる。

略歴
1960年代よりプログレッシブ・ロックグループ「ザ・ナイス」における活動で、イギリスやアメリカを初めの多くのロック・ファンにその名を知られていたが、さらに1970年にエマーソン・レイク・アンド・パーマーを結成し、全盛期と呼ばれる1974年までの活動を通じて世界的な知名度を獲得した。ELPが消滅した後の1980年代には、映画音楽制作の傍ら、エマーソン・レイク・アンド・パウエル、3(スリー)などのバンド活動をおこなった。1992年にエマーソン・レイク・アンド・パーマーを復活させている。

音楽性
クラシック奏法を極めると同時に、オールドジャズの影響も大きく、その影響は特にピアノソロにおいて多く出てくる。即興でいろいろなジャズアーティストのフレーズを弾き、そこからバンド演奏に引き継がれる、と言った事も定番で行われていた。特に左手が強く、左手で低音のアルペジオを延々と繰り返し、右手でソロを弾く、といった事も行っていた。

ハモンドの可能性を広げ、シンセサイザーをいち早く取り入れた先進性
ハモンドオルガンの使用と言えばキースが出始めた当時、ジャズオルガンとしてが主流だった。ハモンドの新しい可能性を指向したキースはよりヘビーな音を出すための方法として、オルガンを歪ませる、2nd又は3rdパーカッションの音を敢えて強調するという手段をとった。同じような可能性を指向してた人物としてディープ・パープルのジョン・ロードがいた。

ステージパフォーマンスにおいては、「キーボードのジミ・ヘンドリックス」とさえいわれたように、オルガンを痛めつける事でよく知られていた。よくギタリストに対抗しようとしてのパフォーマンスと言われているが実はそうではなく、キーボード・トリオの構想においてキーボードが目立つための方法としてオルガンを痛めつけるということを意識的に(ショーアップのために)やった、というのが真相のようである。

彼が痛めつける目的で使ってたのはハモンドL-100でザ・ナイス時代から使用している。使用不能になったオルガンも数多かったと言う。電源を切ったり入れたりを繰り返してピッチを不安定にさせたり(電源を切っても構造的にトーンホイールの回転はすぐには止まらないので、音程が不安定になりながら回転が遅くなり、最後には回転が止まると共に音も鳴らなくなる。逆に電源を入れると、徐々にピッチが上がって、一定のピッチで安定する)、ハモンドの鍵盤にナイフ(1972年、ELPの後楽園球場公演では日本刀をも突き刺した)を突き立て(ステージ毎に鍵盤を交換してたらしい)音を鳴りっぱなしの状態にしたり、オルガンを傾けたり持ち上げ、オルガンの上に乗って揺さぶりながら前に進んだり、場合によっては放り投げたり蹴り飛ばし、スプリング・リバーブの特性である過度の衝撃での爆発音を出し、さらにL-100のスピーカーと、オルガンのすぐ脇にあるキーボードのモニターとして使用されてるPAスピーカーを近づけてハウリングを起こさせたり、オルガンの下敷きになってキーボードを弾いたりなどと、ハードロックのギタリスト顔負けの過激なステージングを行った。ザ・ナイス時代(つまりベトナム戦争時代)、オルガンを蹴り飛ばし、裏返しにした上でそこにアメリカ国旗をのせ、国旗を燃やしてホールを出入り禁止にされたりもした。

これらについて聞かれたさいに本人は「ピート・タウンゼンドがやっていることと別に変わらない」「扱い方を知るまではいやがらずに修理してくれたが、知ってからは断られ続けた」と懐述している。

ちなみに彼のこの方法は、その昔ドン・シンというオルガニストの演奏を見て発展させたものだ、と言う。キースがドン・シンが出演するライブを見に行き、彼がオルガンを修理しながら演奏しているのを見て、意図的に痛めつける方法を思いついたと言う。目的は、キーボードを目立たせるためと、ショーアップとして必要だったからだ。そして音とビジュアルの相乗効果に関して試行錯誤の末、あのようないくつかのパフォーマンスを考えだした。その場の衝動でやってたわけではないのだ。

また一方、シンセサイザーを初めてロックに持ち込んだ一人として音楽史に功績を残している。それが最初にわかりやすい形で示されたのはデビューアルバムの中のラッキー・マンのエンディング部分でのソロである。 「ピアノなどのアコースティック楽器は、音の強弱が表現できても、音質が変えられない。一方、ハモンドオルガンなどは、ある程度音質が変えられるが、鍵盤を弾くタッチで音の強弱が変えられない」と、常にフラストレーションが溜まっていたともいう。一説には、モーグ・シンセサイザー開発の際の、モニター兼スタッフの中にも入っていたという。しかし、ELP名義の"Works"リリース以降はもっぱらヤマハの"GX-1"を愛用するようになる。

それ以降は様々なメーカーのシンセサイザーを使用した。彼のオリジナリティ溢れる音色も存在するのだが、90年代になって彼の中でハモンドやピアノが再び重要な位置を占めてくる。その理由として彼は「シンセサイザーは誰が使っても同じ音が出るが、ピアノやオルガンはそうではない」と語った。

ソロアルバム
"Honky"(1981年)
"The Christmas Album"(1988年)
"Changing State"
『エマーソン・プレイズ・エマーソン』"Emerson Plays Emerson"(2002年)
"Hammer It Out: The Anthology"(2005年)

映画音楽
『インフェルノ』(1980年、ダリオ・アルジェント監督)
『ナイトホークス』(1981年)
「アイム・ア・マン」で珍しくヴォーカルを担当する羽目になったが、現在入手可能なほとんどのビデオ商品では別の曲に差し替えられている。
『幻魔大戦』(1983年)
『ベスト・リヴェンジ』"Best Revenge"(1983年)
『マーダロック』"Murderrock"(1985年、ルーチョ・フルチ監督)
『ザ・チャーチ(デモンズ3)』"La Chiesa"(1991年)
『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)
CDのライナーノーツには、本作の音楽を担当したことを「名誉なこと」と書いている。ただし時間的な制約が厳しかったため出来栄えには不満があるという。

公式サイト
http://www.keithemerson.com/

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開設日
2007年12月17日

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カテゴリ
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