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消費社会論、経済合理主義批判

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詳細 2016年10月18日 00:44更新

僕らの日々の労働はとにかく価値がある。しかしそれとは切り離せない「消費」は?



   「豪奢な物は、それを作る労働の有用性というものを
    そもそもの初めから奪い去っているので、
    この労働をすでに破壊しているのである。その労働を
    いわば空しい栄光のために濫費してしまっているのであり、
    まさにそのときこの労働を
    決定的に無駄にしているのである」
    (バタイユ『宗教の理論』pp63-64)



 市場主義社会、資本主義社会、生産中心主義社会、消費社会などと云われる現代社会の問題を考えるコミュニティです。少し興味がある方でも全く構いません。鈍行だとは思いますが、消費社会(現代社会)の身近な疑問についてでも、興味がある方でしたらどなたでも入っていただけると嬉しいです。

 初めはボードリヤールの『消費社会の神話と構造』やドゥルーズ&ガタリの『アンチ・オイディプス』などのフランス社会学系の本の他、彼らより以前にその問題の根の部分を形成している、ニーチェ、ベンヤミン、バタイユなどの問題の個所を要約&引用していこうと思います。難解な表現よりも、できる限り誰が読んでも解るような形に要約できたらと思います。

 著者別にスレッドを作ってまとめます。

全部、あるいは一部を要約して対話してみたい本
・ ジョン・デ・グラーフ他『消費伝染病「アフルエンザ」:なぜそんなに「物」を買うのか』
・ 芹沢俊介『消費資本主義論:変容するシステムと欲望のゆくえ』
・ 関根康正『排除する社会、受容する社会』
・ 同『宗教紛争と差別の人類学』
・ レヴィ=ストロース『野生の思考』
・ メアリー・ダグラス『儀礼としての消費:財と消費の経済人類学』
・ ベンヤミン『複製技術時代の芸術』
・ ボードリヤール『シミュラークルとシミュレーション』
・ 同『透きとおった悪』
・ ウルリッヒ・ベック『危険社会』
・ アンソニー・ギデンズ『親密さの変容』
・ 加藤雅『消費する人』
渋谷望 2003
 『魂の労働:ネオリベラリズムの権力論』青土社
中牧弘允 1992 
 『むかし大名、いま会社:企業と宗教』淡交社
中牧弘允 2006 
 『会社のカミ・ホトケ:経営と宗教の人類学』講談社
中牧弘允、日置弘一郎編 2009 
 『会社のなかの宗教:経営人類学の視点』東方出版
前川啓治 2004
 『グローカリゼーションの人類学:国際文化・開発・移民』新曜社
間々田孝夫 2000
 『消費社会論』有斐閣
間々田孝夫 2005
 『消費社会のゆくえ:記号消費と脱物質主義』有斐閣
間々田孝夫 2007
 『第三の消費文化論:モダンでもポストモダンでもなく』ミネルヴァ書房
ミッチェル・ローレンス・E 2005 
 『なぜ企業不祥事は起こるのか:会社の社会的責任』麗澤大学出版会

 基本的に消費社会批判は、とても理想主義的・社会不適合な考え方だという自覚がありますが・・・。



 最初に、現段階で思いつく疑問などを書こうと思います。

・ 「役に立たないもの」?
 何のために働くのでしょうか。現在でも「生きていくため」という答えは多いはずです。私もそうも思います。しかしそれでは、何にお金を使うことが価値があるのでしょうか。私たちが普段お金を使っているものごとは、どんな意味で価値があるのでしょうか。そんなことはどうでもいいことでしょうか。
 「世の役に立つ」というのは、一体何なのでしょうか。例えば自分が今いる場所の周りを見回して見てください。そこに一体どれほど、「必要なもの」があるでしょうか。それはどこで作られてここに置かれているのでしょうか。いわゆる生産市場主義というのは、このような消費には結びついても、実際にはほとんど何の役にも立っていない、けれども消費者の「一時的な」欲求の充足にはなっているモノの生産活動を、経済的合理性から説明しようとします。そしてまた、実際にはほとんど使いもしないような、埃を被る無数のモノや、「必要不可欠」とは言い難い嗜好品や食品を支えている労働が、建前上「役に立つ」行為として説明されます。経済にとってそうであることは間違いないのだろうと思いますが、本当にそれでいいのでしょうか?ここで逆に、「役に立たないモノ」というのはそれでは一体何なのでしょうか?

 バタイユの『宗教の理論』は、近現代的な思考からは何の役にも立たないような宗教、科学的視点から見れば不合理な幻想に過ぎない宗教のような、「役に立たない」ものこそが人間にとっての豊かさを指示するものでもあるということを一部に書いています。さらに、「役に立たないもの?」にも少し約したように、実際には現代の生産中心主義社会で生産される無数のモノも、経済システムや欲求の「一時的」充足以外には役に立つモノであるとは言い難いものです。日本の労働者の中にも、薄々このことに気がついている人がいる筈です。バタイユの『宗教の理論』から以下に引用します。

   「豪奢な物は、それを作る労働の有用性というものを
    そもそもの初めから奪い去っているので、
    この労働をすでに破壊しているのである。その労働を
    いわば空しい栄光のために濫費してしまっているのであり、
    まさにそのときこの労働を
    決定的に無駄にしているのである」
    (バタイユ『宗教の理論』pp63-64)

・ 自由意志の問題
 人間は自分が何を欲しているかを知っていて、自分の意志で自由に現在や将来について考えたり、欲しい物を選択して買ったりしているのでしょうか。広告や看板、ショーウィンドウ、商品の生産みたいな外部の環境からも、自分自身の記憶の影響からも自由に「現在」を意志選択する自律した「私」なるものが存在するのでしょうか。自由意志の問題は私が知るところ、西洋思想では特にイマヌエル・カント以降大きく扱われています。カントは自由意志を信じています。もし自由意志がなければ、例えば現在の自己責任論などは色んな意味で成り立ち得ません。けれどもフランス革命で宣言されてのち、とりわけ「消費者」は自由意志を持った主体であるという暗黙の前提があります。

・ 誘惑の拡大と「自由」
 インターネットや携帯電話の普及によって、様々な商品や娯楽、嗜好品の「誘惑」が拡大しています。それらの商品は、少なくともミクロの視点からは「必要なもの」とは言い難いものです。むしろ誘惑に惑溺して、いわゆる「駄目人間」に落ちこむ人が問題化されています。具体的には、生々しいので言いませんが、そうした「駄目人間」は、その構造なしには存在しえないにも関わらず、その結果の部分だけを見て彼自身がしばしば断罪の対象にされます。惑溺者は見るも惨めで、断罪されて当然の存在になります。煙草やお酒のマナーにしても、テレビからパソコンや携帯にまで浸透したゲームや賭博など娯楽への姿勢についても同様です。インフラの発展が進むなかでの肥満についても、さらに油や添加物の入った出処がほぼ不明の美味しい過剰な食料の摂取についても同様です。私たちは本当に自由に欲求しているのでしょうか?

 個人の自由意志よりも、社会的構造の影響力の方が遥かに高いと理解して、上述したような「堕落」と見做されるものを「社会現象」として問い直そうとするのが、いわゆる構造主義以降の社会学などの考え方です。「社会現象」は固定したものではなく、数についても減ったり増えたりするものです。誘惑が私たちの労働によってほぼ無制限に拡大浸透を続けているなかで、私たちは「自由意志」でどこまでそれに対応できるのでしょうか。「社会現象」の問題を、個人の自己責任や意志、精神などなどに還元して解決を試みようとする際には、このことを見落とすわけには行きません。社会現象は、その問題の中にいる個人の意志や精神などだけで増減したり、「解決」するものではありません。そのような、自由意志、企業の広告、消費社会の社会現象などについても考えたいと思います。

・ エコブームと経済的自立、一人暮らしの当然化
 所謂現代都市社会、特に日本では一人暮らしや核家族生活が常識とされ、この常識に反する生活形態を好ましからざる姿勢として断罪する言葉が聞かれます。他方で「エコ」が叫ばれていますが、それなら「共同利用」とは何だったのか、現代人は少しは考えてみるべきなのではないでしょうか。一体何時からこのような生活(一人暮らし、核家族化)が当たり前になったのでしょうか。現在でも異常な位ですが、今後「一人暮らしの老人」がものすごく増えると予想されています。確かに現代社会の生活水準は昔のものより高いと言えますが、一体どうしてそこに「経済的自立」の言説が蔓延っているのでしょうか。昔の生活水準を「自立」的に支えることならまだしも、現在の高度な、テクニカルな、分業が行き渡って多くのモノが消費によって調達されざるを得なくなった現代社会で、なぜ「経済的自立」が恰も誰もがして当然のことのように語られているのでしょうか。そこで、現代社会に流布している「自立」というのが一体全体何なのかを改めてここで問えたらと思います。

 経済成長とは、ミクロの次元で見れば、人一人が生きるのに莫大な資金を要するようになればなるほど進みます。この点から考えれば、例えば「少子化」や「堕胎」が深刻化するのも全く理解できない社会現象ではないのではないでしょうか。なぜか「エコ」や「節制」がブームになっていますが、例えば某前首相が理想としたような「伝統的家族」が、家や家具などを「共同利用」しているのでは、経済成長は望めないわけです。むしろそんな伝統的な家族みたいなパラサイトでオンボロな家などバラバラにして、個々人に自分の家と家具と車と趣味を所有させれば、消費が活性化して、経済成長が望めるわけです。そんなわけで高水準の生活体系を持つ日本では、ご老人までご立派に「自立」した生活を余儀なくされています。「エコ」も糞もありません。

 そんなわけで、例えば「現代都市社会の生活」というのが一体何なのかを改めて考えた上で、プライバシーや自立といった、一般化された強者の論理を問い直して、伝統的家族ではないにしても「共同生活」をここで問い直せたらと思っています。



 とりあえず。管理人は社会学が専門ではないので、文献が私の専門に偏ってしまうこと免れないと思います。他色んな方面に興味がある方の参加をお待ちしています。むしろ教えて欲しいという姿勢でおります故。



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