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George Barnes

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詳細 2014年9月13日 02:48更新

ジャズ・ギタリスト、ジョージ・バーンズが好きな人の為のコミュニティです。
   
☆George Barnes☆
1921年7月17日、イリノイ州シカゴ・ハイツの音楽一家の下に生まれたジョージ・バーンズは、6歳の頃にピアノを始めるも、9歳の頃、世界恐慌により住居と共にピアノを失ってしまう。その時ジョージに残された物は、弦高が約1インチもあるシアーズ・ローバック社シルバートーン(大手通販会社のギター部門)のギターだけであったという。
「リズムなんて演奏したくなかった。ソロが弾きたかった。」と本人が語っているように、幼いジョージは、大好きなジャンゴ・ラインハルトのようにメロディーを弾きたがっていた。この事を知っていた電子工学の天才だった兄は、ジョージの為にピックアップとアンプを設計する。1931年、10歳の時の事である。
因みに、世界初の電気ギターとされる、リッケンバッカー社のラップ・スティールギター、フライングパンが発売されたのは、この翌年1932年の事であった。
14歳の時には、自己のグループ、ジョージ・バーンズ・カルテットを結成。中西部を中心に活躍する傍ら、同じくシカゴで活躍していたもう一人の電気ギターのパイオニア、レス・ポールとはノースサイドのジャズクラブ、バレル・オブ・ファンで毎週月曜日にジャム・セッションを繰り広げていた。二人は、腕自慢のギタリストを挑発し、ステージに上げてはやっつけた。当時のシカゴで二人は最早無敵となっていた。
またこの間には、生まれて初めて耳にする12弦ギターを弾くロニー・ジョンソンとも出会い、ブルースの弾き方を教わっている。38年3月1日には、ビッグ・ビル・ブルーンジーの伴奏者として、「Sweetheart Land」と「It's A Low Down Dirty Shame」の2曲をレコーディングしているが、これが世界で初めて吹き込まれた電気ギターを用いたブルースである。同年の7月までに、ウォッシュボード・サム、ハッティ・ハート・ボルトン、ヤス・ヤス・ガール(マーリン・ジョンソン)、ジャズ・ジラム、ブラインド・ジョン・デイヴィスとレコーディングを行った。
39年にはNBCの社員ミュージシャンとしての活動を始め、40年にはOkehに初の自身名義の録音も残し、いよいよプロとしての活動が本格化し始めるが、42年に徴兵を受け兵役に就く。除隊後の46年からはABCラジオの社員ミュージシャンとなる。また、この年には新しいリーダー・グループ、ジョージ・バーンズ・セクステットを結成、Keynoteに8曲の録音も残した。
47年には、チェット・アトキンスのバンド、コロラド・マウンテン・ボーイズのレコーディングに参加。チェット・アトキンスもまたレス・ポールとジョージ・バーンズをアイドルとしていた一人で、その頃WNOXラジオの社員ミュージシャンだったチェットは、夜間や週末には社内のレコード保管室に忍び込みジョージやレスのレコードを持ち出しては愛聴していたという程の入れ込み様であった。
ジョージとチェットの出会いについて詳しくは不明だが、チェットの兄でレス・ポール・トリオに在籍していたジミー・アトキンスを通じての事だと推測できる。因みにチェットが後(67年)に副社長にまで登り詰めるRCAビクターに雇用されるのはこの2年後の事である。後にジョージは、そのRCAビクターにてジャニス・マーティン、ホーマー&ジェスロ、エディ・ヒル、スリー・サンズなど多くのレコーディングに参加する事になるのだが、これもチェット・アトキンスの口利きによる物だと容易に想像できる。
51年には、活動拠点をニューヨークへと移した。ニューヨークに着いてから最初のセッション相手はタル・ファーロウであった。ジョージは、タルが得意とする人工ハーモニクス奏法には驚かされたと語っている。またジョージは"オクトパス"の異名をとるタルの大きな手を"スパイダー"と形容していた。
また同年には、CBSテレビの番組「ゲイリー・ムーア・ショー」に出演した際、番組にレギュラー出演していたカール・クレスと出会っている。ゲイリーは二人によるギターデュオを提案するが、この頃のクレスはColumbia、ジョージはDeccaでのスタジオ・ワークが多忙を極めていた為、実現するまで実に11年もの歳月を費やした。
60〜61年にかけては、Mercuryより「Guitar Galaxies」と「Guitars Galore」という2枚のソロ・アルバムをリリースしている。この2作品は、Mercuryがいち早く取り入れた35mm磁気フィルムによるステレオ録音を用い、前後左右に振り分けられた10本ものギターには、通常の物では表現不可能な音域をカバーする6弦リード・ベースやギルドと共同設計したAチューニングのショート・スケール・ギターなども含んでおり、当時としては最新であったリバーブやトレモロなどエフェクトもいち早く導入されていた。因みにギブソンL-5に代わり以後の愛器となるFホールの無いギルドのジョージ・バーンズ・カスタムが完成したのもこの頃である。
この2作品は、ジョージのプレイヤーとしてだけではなく、作/編曲者、エンジニアとしての才能を証明したという点で特に重要作と言えるだろう。
因みに、この時期には、イノック・ライトに重用されたトニー・モットーラをはじめ、アル・カイオラ、ドン・アーノン、アル・カサメンティ、バッキー・ピザレリら複数のギタリストと共に、こうしたモンド・ミュージックとも言えそうな実験的な作品を多くリリースしていた。
62年には、「Guitar Galaxies」のレコーディングにて再会した、カール・クレスとのギターデュオがついに実現、1枚の教則レコードを含む4枚のアルバムをリリースするが、4枚目「Guitars Anyone」をリリースした直後の65年6月、クレス他界によりコンビ解消を余儀なくされてしまう。
ジョージは再びスタジオワークを再会しようとするのだが、ロックの降盛と共に次第に追いやられ、66年には、ついにニューヨークを去り、テキサス州アーリントンで家族と共にひっそりと暮らし始める。家族をかろうじて養うのが精一杯でひどく困窮していたジョージは、起死回生として上級者向けのレコード付ギター教材を通信販売で売り出そうと考えていたが、それには高度な多重録音が必要であった。そこでジョージは旧友レス・ポールに教材の製作と売り込みを頼むべく一本の電話を入れた。その頃、"Phase 4 Stereo"(マルチマイク録音)を用いたアルバム「Les Paul Now !」の製作を考えていたレスは、このアルバムでギターを弾く事を交換条件としてその事を了承。またレスは、無一文のジョージと家族を自宅に住まわせる為、ニュージャージーへ呼び寄せたのであった。
ジョージの娘、アレクサンドラは、こう語っている。「私がレス・ポールと暮らしていると言っても学校の男の子達は誰も信じなかったわ。」
レスとジョージは、連日夜9時過ぎから夜明けまでスタジオに篭もり、昼間は眠っていたという。しかし二人の共同作業は、結局うまくいくことはなかった。
「ジョージとレスの間には、友情なんて無かった。ただビジネスだけの結びつきだったわ。ジョージは、レスの家に来たのは失敗だったと言っていたわ。」とジョージの妻イーブリンは、語っている。
そして68年、Londonより「Les Paul Now !」は、リリースされるが、そこにジョージの名前は無かったのであった。
69年には、完成したばかりの7弦ギターを充分に試したいとジョージの元を訪れたバッキー・ピザレリと再会、この時ジョージは、カール・クレスに代わる新しいパートナーをバッキーに決めたのであった。この新しいデュオで71年にライブ録音盤を含む2枚のアルバムを残している。このアルバムを転機に二人の活動は勢力的になり、翌72年には、バッキーは自身名義のアルバム「Green Guitar Blues」をリリースすると、ジョージは、同じく戦前より活躍するアート・ライアーソンとのデュオを結成、イノック・ライトをプロデューサーに迎え、アルバム「Ding Dong Daddy」をリリースし、73年には、ハンク・ジョーンズ/ディック・ハイマン、ミルト・ヒントン、ジョ・ジョーンズという往年のジャズ・プレイヤーで固めたカルテットを結成、アルバム「Swing Guitars」をリリース、同年内には、ルビー・ブラフとの双頭カルテットを結成、アルバム「The Rodgers And Hart Songbook」では、トニー・ベネットのバックバンドを務めたり、コンコード・サマー・ジャズ・フェスティルにも出演し75年まで活動した。因みにこのカルテットでリズムギターを務めていたジョージの弟子でもあるウェイン・ライトは、後にレス・ポールのトリオに起用された。
75年には、かつてエディ・ラングとのコンビで人気を博したジャズ・ヴァイオリンのパイオニア、ジョー・ヴェヌーティとバンドを結成し、アルバム「Gems」をリリース、翌76年には、再びコンコード・サマー・ジャズ・フェスティバルに出演している。
77年には、ジョージとダンカン・ジェイムスの2本のギターを前面に押し出した新カルテットを結成するが、9月5日、突然の心臓発作によりコンコード市内の自宅でその生涯を終えた。同年内には、このカルテットによるライブ演奏を収めた「Blues Going Up」と「Plays So Good」が彼の遺作としてリリースされた。

(参考URL)
http://www.classicjazzguitar.com/artists/artists_page.jsp?artist=6
http://www.gould68.freeserve.co.uk/barnesgeo1.html
http://www.craftone.co.jp/solo_flight/guitarist/barnes,g/index.html

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開設日
2007年11月11日

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カテゴリ
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