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Kimi Raikkonen -McLaren-

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詳細 2016年7月14日 21:15更新

2007年タイトル獲得記念 -マクラーレン・メルセデス篇-

モータースポーツマクラーレン時代(2002年-2006年)
ザウバーでの活躍は当時ザウバーにエンジンを供給していたフェラーリからも注目され、2002年についてはフェラーリに移籍する可能性がささやかれていたが、結果的にライコネンを獲得したのはマクラーレン・メルセデスであり、ライコネンは当時マクラーレンの正ドライバーであったフィンランド人ミカ・ハッキネンの後任としてチームに加入した。

・2002年

アメリカGPこの年は移籍初戦のオーストラリアGPで自身初のファステストラップを記録するとともにいきなり3位に入賞して初表彰台を獲得すると、年間で4回登壇し、シーズンで24ポイントを獲得した。リタイアは10回を記録したが、内ミスによるものはドイツGPの1度だけで、残りは全てメカニカルトラブルによるものだった。中でもエンジントラブルには悩まされ、第14戦ベルギーGPから第16戦アメリカGPにかけ3戦連続でリタイアに追いやられたのをはじめ、計6戦をエンジントラブルによって失った。

この年、特筆されるレースはフランスGPで、このレースでは終盤トップを走行し初優勝かと思われたが、72周のレースの67周目で、前を走る周回遅れのアラン・マクニッシュ車から出たオイルによりスリップした隙にミハエル・シューマッハにオーバーテイクされ、2位に終わった。

・2003年
この年はマクラーレンの新車開発の遅れにより、前年型MP4-17の改良型であるMP4-17Dで臨んだ。

第2戦のマレーシアGPで初優勝を飾り、結局1年間で優勝はこの1勝のみであったが、安定してポイントを積み上げていったことで、当時ドライバーズタイトル3連覇中のミハエル・シューマッハと最終戦まで対等に渡り合い、ドライバーズポイントランキングで2位につけた。

また、この年はニュルブルクリンクで開催された第9戦ヨーロッパGPで自身初のポールポジションを獲得している(第15戦アメリカGPで2回目のポールポジションを記録)。

・2004年
2004年シーズンは不運なエンジントラブルに多く見舞われ、7戦を消化した時点で僅か1ポイントしか獲得できなかった。

第8戦のカナダGPでは決勝レースで5回ものピットストップをした末に5位入賞を果たし(レース後にウィリアムズとトヨタが失格になったことによる)、次戦のアメリカGPでも6位入賞し、シーズン中盤になってようやく復調の兆しを見せた。

第10戦フランスGPでマクラーレンが新車MP4/19Bを投入すると、続くイギリスGP予選で2004年シーズン初のポールポジションを獲得、決勝レースでも、同年初の表彰台となる2位を獲得。その後ベルギーGPでシーズン初優勝を飾った。

またこの年はマネージャーのスティーブ・ロバートソンとともにライコネン・ロバートソン・レーシング(ダブルRレーシング)を設立し、翌年からイギリスF3選手権に参戦させることを発表している。

・2005年
2005年シーズンは開幕当初はマクラーレンの新車の信頼性不足によりやや出遅れるも、ヨーロッパラウンドに入るや、第4戦サンマリノGPから3戦連続ポールポジション、第5戦スペインGP以降シーズン7回のレースで優勝を飾るなど、ルノーのフェルナンド・アロンソと激しいチャンピオン争いを繰り広げたが、惜しくもアロンソに及ばなかった。

この年は第7戦ヨーロッパGPで、トップで迎えたファイナルラップにおいてサスペンション破損によりリタイア(記録上は11位完走)し2位のアロンソに優勝を与えてしまうという致命的なトラブルがあったほか、リタイアしたレース(記録上2戦)はいずれもメカニカルトラブルによるものであった。

シーズンで7勝を挙げたが、これはチャンピオンのアロンソと並び2005年シーズンの最多勝となるものであるとともに、その年のワールドチャンピオンタイトルを獲れなかったドライバーがシーズン中に挙げた勝利数としては過去最多となるものである(但し2005年は全19戦ありF1史上最多のレース数の年だったことは差し引いて考える必要がある)。ライコネン以前では、アラン・プロストがシーズン7勝を挙げながらチャンピオンタイトルを逃すということを1984年、1988年の2度している。

加えて、この年ライコネンは年間でファステストラップを10回記録しており、これはミハエル・シューマッハが2004年に記録したものと並び、1シーズンのファステストラップ獲得の最多記録となるものであった。

なおイタリアGP(モンツァ・サーキット)においては、F1のグランプリ史上最速となる最高時速370.1km/hをマークしている。

また、この年からF1日本グランプリの地上波生中継が始まったが、ライコネンはそのレースでチェッカーフラッグ目前でのピットインで1位の座を明け渡し2位に落ちるが、しかしその差を一気に取り戻して、ファイナルラップで劇的な追い抜きをし、優勝を果たすという素晴らしいレースを展開した。そのためもあってか視聴率も10.8%とまずまずの数字を取ることに成功し、翌年、翌々年でも生中継を続けることに貢献した。

・2006年

2006年シルバーストンテスト2006年シーズンは昨年のような圧倒的なスピードは影を潜め、昨年同様信頼性に欠けることなどもあってチーム含めて未勝利に終わってしまった。シーズンの1/3をノーポイントで終えてしまうほどマシンは信頼性に欠けていたうえ、絶対的なスピードも前半のルノーやアメリカGP以降のフェラーリには及ばず、何度か訪れた優勝のチャンスはリタイアで失うと言う運の無さはこの年も健在であった。

第15戦イタリアGP終了後に、2007年から2009年までフェラーリと契約した事が発表された。

なお、この年はライコネン・ロバートソン・レーシングがイギリスF3選手権で初めてドライバーズチャンピオンタイトル(マイク・コンウェイ)を獲得している。

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2007年10月24日

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