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名勝「天龍峡」

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詳細 2013年2月19日 08:26更新

●暴れ川と言われた天竜川が切り開いた絶壁が続く渓谷である。花崗岩の岸壁には飯田市の花ミツバツツジ、アカマツやモミジが自生し、新緑や紅葉が見事で、その風光明媚な景色は観光客にも好評である。全国的にも有数のラドン含有量を含む天龍峡温泉もある。

船上から景観を楽しむための天竜ライン下りが、天竜峡温泉港(姑射橋下)から唐笠港(唐笠駅そば)まで運行されている。


●天龍峡の命名は、漢学者の阪谷朗廬によるもので、阪谷は1847年(弘化4年)に当地を訪れている。右岸側の高台には、朗廬の遊天龍峡記の碑文(漢文)が建立されている。

1882年(明治15年)には、当地の蘭方医で文人としても知られた関島良致(関島松泉)の招請を受け、書道家の日下部鳴鶴が天竜峡の10の奇岩を選定し天竜峡十勝とした。これらの岩は上流より以下のように命名され、それぞれに鳴鶴自筆の銘が彫られている。

垂竿磯(すいかんき)
烏帽石(うぼうせき)
歸鷹崖(きようがい)
姑射橋(こやきょう)
烱烱潭(けいけいたん)
浴鶴巖(よくかくがん)
仙牀磐(せんじょうばん)
樵廡洞(しょうぶどう)
龍角峯(りゅうかくほう)
芙蓉峒(ふようどう)
1927年(昭和2年)、東京日日新聞などによる日本新八景の選定に際しては、渓谷部門の読者投票で313万票を得て1位になったが、審査員による最終選考からは漏れた。これに憤慨し、飯田地方では東京日日新聞の不買運動が起きたと言われている。八景には漏れたものの、日本二十五勝には選定された。

1934年(昭和9年)には国の名勝となり、市丸の新民謡『天竜下れば』のヒットと合わせて多くの観光客を集めた。

しかし天龍峡付近はもともと狭隘で土砂を溜めやすかったため、河床が上昇し十勝の一部は水面下に沈んだり砂に埋もれるなどした(これには下流にある泰阜ダムの設置が影響しているといった見解もある[4])。その後、1984年から天竜峡下流側で川底からの砂利採取を継続的に行うことで、河床が低下し景観がある程度回復した(たとえば、芙蓉峒の文字のうち「芙蓉」までが水面上に現れるようになった)。

1969年には近隣地域とともに天竜奥三河国定公園に指定された。1975年には中央自動車道の飯田インターチェンジが供用開始され、1977年の昼神温泉湧出とあわせ、天龍峡を訪れる観光客も増加した。1989年の天龍峡温泉湧出により、観光客は60万人にも達したが、その後は低迷している。

2008年には三遠南信自動車道の部分開通、天龍峡インターチェンジの供用開始に伴い同年を「天龍峡再生元年」と位置づけ、100年をかけて100年前(明治末〜昭和初期)の景観を取り戻す「天龍峡百年再生プロジェクト」の開始が宣言された。またこれに合わせて地元では、新字体である「竜」の字を各種碑文や名勝指定で用いられている旧字体の「龍」表記に戻す活動が進められている。

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