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軍艦島【端島】

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詳細 2020年12月31日 09:55更新

出典:ウィキペディア

端島(はしま)とは、長崎県長崎市(旧高島町)にある島で、シルエットから軍艦島(ぐんかんじま)の通称で知られる。

歴史

19世紀に石炭の存在が発見された。明治時代初期には鍋島氏が経営。1890年から三菱財閥の所有となった。石炭採掘のため周囲を埋め立て、また大正期以降には鉄筋コンクリート造の集合住宅群が建設された。海上から見たそのシルエットが、日本海軍の戦艦「土佐」に似ていることから、軍艦島の通称で呼ばれてきた。戦時中に米軍潜水艦が本物の軍艦と勘違いして魚雷を撃ち込んだというエピソードは有名だが、実際は停泊していた石炭運搬船を狙ったものだった。

良質な強粘炭が取れ、隣接する高島炭鉱とともに、日本の近代化を支えてきた炭鉱の一つであった。石炭出炭量が最盛期を迎えた1941年には約41万tを出炭。人口が最盛期を迎えた1960年には5,267人の人口がおり、人口密度は世界一を誇り東京特別区部の9倍以上に達した。炭鉱施設・住宅のほか、学校・店舗・病院・寺院・映画館・理髪店などもあり、島内において完結した都市機能を有していた。

1960年以降は、主要エネルギーの石炭から石油への移行(エネルギー革命)により衰退。1965年に新坑が開発され一時期は持ち直したが、1970年代以降のエネルギー政策の影響を受けて1974年1月15日に閉山した。閉山時に約2,000人まで減っていた住民は4月20日までに全て島を離れ、無人島となった。この時期は、日本の高度経済成長の終焉と重なる。

行政区域の変遷

1889年4月1日の町村制施行により西彼杵郡高浜村大字端島となった。1955年4月1日に高浜村が野母村・脇岬村・樺島村と合併して野母崎町(現・長崎市)となった際、端島は高浜村から分離し、高島町に編入された。2005年1月4日に高島町が長崎市に編入され、現在は長崎市高島町端島となっている。

現状

近代化遺産として、また大正から昭和に至る集合住宅の遺構としても注目されている。廃墟ブームの一環でもしばしば話題に上る。現在は無人化により放棄され、維持管理が行われないため、いくつかの建物は既に崩落し、また倒壊の危険性を抱えている。ただし外壁の崩壊箇所については、一部コンクリートで修復が行われている。

島は三菱マテリアルが所有していたが、2002年、高島町(当時)に無償譲渡され、現在は長崎市の所有である。観光面での活用について検討が行われているが、建物の老朽化、廃墟化のため危険な箇所も多く、保存・活用には多額の費用が必要である。一部で世界遺産への登録運動が行われ、2006年8月には経済産業省が端島を含めた明治期の産業施設を地域の観光資源としていかしてもらおうと世界遺産への登録を支援することを決定した(世界遺産暫定リストへの掲載は、継続審査とされた。2007年1月現在)。

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