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ZARDは永遠に!

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詳細 2016年5月19日 12:44更新

ZARDに元気と勇気をいただいた人は多いのではありませんか?私もその一人です。交流しませんか?
デビュー
街でスカウトされモデルとして活動をしていた坂井泉水が、テレビドラマ『結婚の理想と現実』の主題歌を歌うことに抜擢されたことがきっかけで歌手デビューを果たす。デビューしたての頃のZARDは坂井のソロプロジェクトであり、まだ音楽制作に不慣れな坂井を長戸大幸が傍でサポートしていた。アルバム『もう探さない』からバックバンドの4人がクレジットされる。


[編集] 1993年〜2001年
1993年、6thシングル『負けないで』が自身初のオリコンチャート1位獲得しミリオンセラーを記録。その3ヵ月後に『揺れる想い』もミリオンセラーを記録。この2曲を収録したアルバム『揺れる想い』が200万枚超の売上を記録し、この年の年間オリコンアルバムチャート1位を獲得。ビーイングブームの代表格になった。この年のオリコンアーティストトータルセールスの1位も獲得。

1994年-1996年は、オリコンシングルチャート3位以内、アルバムチャート1位を維持しつつ、1996年、『マイ フレンド』が自身3枚目のミリオンセラーを達成。

1997年は『Don't you see!』と『永遠』が、1998年には『運命のルーレット廻して』がオリコン1位を獲得する。1997年から1998年の間には全9枚のシングルを発売し、常にオリコン最高3位以内はキープしていた。

1999年第1弾シングル『MIND GAMES』がオリコン1位を獲得。その後、『世界はきっと未来の中』『痛いくらい君があふれているよ』『この涙 星になれ』、アルバム『永遠』、『ZARD BEST The Single Collection 〜軌跡〜』『ZARD BEST 〜Request Memorial〜』を発売。オリコン集計で売上合計500万枚以上を記録し、オリコンの年間アーティストトータルセールス2位を獲得。また、ベストアルバム購入者から入場者を抽選する船上ライブを行った。

2001年2月に『時間の翼』発売、オリジナルアルバム最後のオリコン1位を獲得。発売後、坂井泉水が体調不良になり、1年間活動を休止した。


[編集] 2002年〜
2002年、「ZARD第二章スタート」というキャッチフレーズをつけ『さわやかな君の気持ち』から活動再開。 2003年、『明日を夢見て』『瞳閉じて』『もっと近くで君の横顔見ていたい』、翌年1月にはアルバム『止まっていた時計が今動き出した』を発売。

2005年4月にリリースされた両A面シングル『星のかがやきよ/夏を待つセイル(帆)のように』が、1999年リリースの『世界はきっと未来の中』以来約6年ぶりとなるオリコン最高位2位を獲得。。同年6月にDVD『What a beautiful moment』を発表(発売月のオリコン月間チャート1位)。9月には11枚目のオリジナルアルバム『君とのDistance』を発売。

2006年3月に2作連続となる両A面シングル『悲しいほど貴方が好き/カラッといこう!』、5月に『ハートに火をつけて』を発売し、オリコンTOP10獲得数を歴代単独2位の「40」に伸ばした。同年10月25日に、15周年記念の27曲入のベストアルバム『Golden Best 〜15th Anniversary〜』、活動15年間のPVを集めたDVD『ZARD Le Portfolio 1991-2006』、それまでに発表された坂井泉水のCDジャケットを集めた写真集を同時発売。オリコンアルバムチャート・DVDチャート(総合・音楽)共に初登場1位を獲得し二冠を達成した。

その後、2007年秋を目途に2年ぶりのオリジナルアルバムと3年ぶりのライブツアーが計画されていた。しかし、2006年6月、メインメンバーの坂井泉水が子宮頸癌により入院。回復に向かいつつあったものの、2007年4月には肺への転移が発見され再度入退院を繰り返していた。同年5月26日に坂井は入院中の病院で散歩の帰りに階段から転落。後頭部を強打し、脳挫傷により5月27日に死去した。

2007年8月15日、坂井の追悼アルバムとして『Soffio di vento 〜Best of IZUMI SAKAI Selection〜』『Brezza di mare 〜dedicated to IZUMI SAKAI〜』の二枚が発売される。また同時発売の『きっと忘れない』という本で、ラストレコーディングソング『グロリアス マインド』の歌詞が掲載された。この曲は後に43rdシングルとして2007年12月12日に発売され、『星のかがやきよ/夏を待つセイル(帆)のように』以来のオリコン最高位2位を記録した。

また2007年6月から公式サイトなどでファンによるリクエストアルバムの収録曲をアンケート募集した。集計を行う際、50万通もの多くの応募があったため、当初の発売予定から遅らせての発売となる。なお「負けないで」などの楽曲は死後の追悼ライブの音源が収録されている[1]。さらにすでに発売されていた『グロリアス マインド』もリクエストがあったため収録となっている。このアルバムは『ZARD Request Best 〜beautiful memory〜』のタイトルで2008年1月23日に発売され、オリコン最高位1位を獲得した。

2008年4月9日、44thシングルとして未発表曲と1stシングル『Good-bye My Loneliness』のカップリング曲のリアレンジバージョンを収録した両A面シングル『翼を広げて/愛は暗闇の中で』が発売された。

同年5月28日、全44枚のシングルと特典DVDがセットになった『ZARD Premium Box 1991-2008 Complete Single Collection』が発売された。


[編集] 活動スタイル

[編集] メディアへの露出
メディア露出が極端に少なく、ビーイングに特徴的な「テレビ等に出演しない」というスタイルを貫いた先駆者である(初期の大黒摩季、小松未歩、倉木麻衣も該当)。デビュー当初はテレビ出演・ラジオ出演をしていたが、デビューから3年目にシングル『負けないで』で大ブレイクして以降はテレビ出演・ラジオ出演がほとんどなくなり、全盛期にメディア露出やライブを全くしなかったため、世間に露出をしないアーティストとして強く印象付けられることになった。ジャケット写真は正面写真が少なく、ソフトフォーカスの物がほとんどであったため、「歌手と写真で顔を出す人物が別人である」という都市伝説が生まれたこともあった。「プロモーションビデオの坂井泉水が、動く坂井泉水の全て」と表現されたこともあった[要出典]。

また坂井泉水は、とても恥ずかしがり屋で「TVは苦手で、緊張してしまうためうまく話せない」と『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)初登場時でも述べている。そのため何度も『NHK紅白歌合戦』(NHK)出場の機会がありながら辞退している。2000年『第51回NHK紅白歌合戦』には、NHKのオリンピックテーマ曲を歌い、紅白出場確定と報道された[要出典]が、体調不良のため、辞退となった。12月発売予定だったアルバムの発売日も延期しており、体調不良のためアルバムのレコーディングも遅れていたことがわかる[要出典]。

2000年の体調不良に関しては2007年発売のオフィシャルブック「きっと忘れない」で明かされている。坂井は2000年末から子宮筋腫・卵巣のう腫・子宮内膜症を患い闘病中であった。それまではファンにも明かされておらず(体調不良で活動休止していたということが、事後形式で後に2006年に発売された『Golden best』内のヒストリーブックに記載されたが病名などは伏せられていた)、ファンとしても2000年末の紅白辞退理由が新聞で「体調不良のため」と書かれていた時はビーイングの戦略的に辞退するための表向きの理由だと思う人も多かったと思われる[要出典]。当時この辞退理由を紅白常連歌手の和田アキ子は『アッコにおまかせ』(TBS系)で「まだ紅白まで数週間あるのに紅白当日も体調不良だなんてどうして予期できるのか」と批判している。

しかし最近では、「テレビに出たい」という思いがあったと言われており、2007年6月1日に放送された『ミュージックステーション』では追悼の意を込め、追悼VTRを放映した[2]際、テロップではあったが周囲の関係者に「元気になってミュージックステーションに出たいね」ともらしていたという。また、2006年『第57回NHK紅白歌合戦』は子宮頸癌発症前から出場が内定していたという。だが、子宮頸癌の発症により1年先送りにしていた[要出典]。


[編集] メンバー構成
2004年に行われた初ライブ・ツアーのパンフレットによると、ZARDは「坂井泉水を中心としたユニット名」と書かれており、現在の固定メンバーはデビュー時同様、坂井泉水のみであり、坂井のソロプロジェクト状態であるが、2ndアルバム『もう探さない』から3rdアルバム『HOLD ME』まではギター・町田、ベース・星、ドラム・道倉、キーボード・池澤の名前がきちんと表記されている。2nd アルバム『もう探さない』のブックレットには他メンバーの写真も掲載されており(ただ白黒のうえ顔がはっきり分からない)、ZARDはバンドであった[3]。、ZARDが『ミュージックステーション』に出演した時に司会のタモリが今までテレビ出演がなかった理由を質問した際に坂井が「デビューと同時に結成したバンドだったので、コンセプトが見えてから(公の場に)出たかった」と話していた。また、フジテレビ系『SOUND ARENA』にZARD出演した際、司会の堺正章がZARDの編成を説明した時に「5人組のバンド」と紹介していた。

1999年のベスト盤発売時に寄せられたメッセージの中では、1991年のデビューシングル『Good-bye My Loneliness』のPVのディレクターだった岩井俊二が、「ZARDは一人だった」と発言している。

バックメンバーをつけたのは、『Good-bye My Loneliness』がデビュー作ながらオリコン最高位9位と予想以上に売れたためであると思われている[要出典]。しかし1992年10月16日に『ミュージックステーション』に出演して『IN MY ARMS TONIGHT』を演奏した際には星の姿がなく、最後の音楽番組出演となった1993年2月5日の『ミュージックステーション』で『負けないで』を歌った時のドラムは黒瀬蛙一(ex.flow-war/1998年-2001年B'zのツアーサポートメンバー)だった事が、黒瀬本人の口からB'zの松本孝弘のラジオ番組にゲスト出演した際に語られている。

町田・池澤の脱退は具体的な時期は不詳だが、最後のテレビ出演となった1993年2月5日の『ミュージックステーション』以降はCDのライナー等から坂井以外のメンバー表記が消えている。1995年に発売された『Just believe in love』では表記はなかったものの、ギターは町田ではなく、編曲を担当した葉山たけしが弾いていると『J-Rock Magazine誌』1995年6月号で明言されている。

1996年に発売されたアルバム 『TODAY IS ANOTHER DAY』以降は「Additional〜」という表記で、サポートメンバーの形でギター・葉山たけし、増崎孝司、ベース・明石昌夫、キーボード・小野塚晃、池田大介、サックス・勝田一樹らの名前が表記されている。

坂井泉水逝去後の2007年5月30日、『情報プレゼンター とくダネ!』(フジテレビ系)に元メンバーとして町田がVTR出演した。町田は坂井のことを「泉水ちゃん」坂井からは「町田君」とそれぞれ呼び合っていたことを明かした後、「大人だったと思うことが多かった」「デビュー当時お金がなかった自分たちのことまで心配してくれていた」「(お互いに変わって)また会えると思っていた」「(亡くなったことの)意味がわかんねぇよという感じ」と坂井のことを話していた(自身及び他メンバーの脱退理由・時期、現在のZARDの編成についてには一切触れられなかった)。


[編集] 作詞・作曲・編曲のクレジット
殆ど全ての楽曲の作詞は坂井泉水が担当している(例外として1stアルバム『Good-bye My Loneliness』に収録されている「恋女の憂鬱」と「女でいたい」の2曲の作詞は川島だりあが担当している)。また、「君がいない」と「Boy」に関してはクレジット上は坂井泉水名義だが、栗林誠一郎の詞に坂井泉水が手を加えたものである。ただし、「Boy」は歌い出しの部分を「Girl 今でも」から「Boy 今でも」に変えた以外は全く別の歌詞である。

2ndシングル『不思議ね…』のカップリング「素直に言えなくて」、2ndアルバム『もう探さない』収録の「いつかは…」、16thシングル『サヨナラは今もこの胸に居ます』のカップリング「眠り」、42ndシングル『ハートに火をつけて』のカップリング「君へのブルース」の4曲は坂井泉水自身の作詞作曲作品である。

作曲・編曲はほとんど同じメンバーで行われており、作曲は1991年-1997年頃まで織田哲郎、栗林誠一郎、それ以降は徳永暁人、2003年以降はほとんどの曲を大野愛果が担当している。編曲は96年まで明石昌夫、池田大介、葉山たけしが務めており、それ以降は徳永暁人、99年は古井弘人が中心的に務めていた。葉山たけしもビーイング脱退後、2004年以降外注で再び編曲を行っている。

上記以外にも、単発で多くのアーティストが作曲、編曲を行っている(TUBEの春畑道哉、PAMELAHの小澤正澄、元day after tomorrowで現ストロボの北野正人、GARNET CROWの中村由利・岡本仁志、など)。徳永暁人や大野愛果は、初めてZARDの作曲を手がけた当時はそれぞれデビューして間もない頃であったが、その後もZARDの多くの作曲を担当することになった(徳永は「永遠」、大野は「少女の頃に戻ったみたいに」)。

織田哲郎(作曲25曲、作編曲1曲)
明石昌夫(編曲53曲[4])
栗林誠一郎(作曲46曲)
川島だりあ(作詞曲2曲、作曲9曲)
池田大介(編曲21曲[4])
葉山たけし(編曲36曲[4])
徳永暁人(作曲4曲、編曲14曲[4]、作編曲11曲[4])
古井弘人(編曲10曲[4])
大野愛果(作曲22曲)

[編集] 評価

[編集] ランキング
オリコン調べによる(2008年4月現在)。

アーティスト・トータル・セールス(CD総売上枚数):3693.5万枚(歴代7位)
シングル:1751.1万枚(女性ボーカルアーティスト歴代2位)
アルバム:1942.4万枚(女性ボーカルアーティスト歴代4位)
シングルTOP10獲得数:42作(歴代1位タイ)(女性ボーカル部門歴代1位)
90年代アーティスト・トータル・セールス:3位(女性ボーカルアーティスト1位)
シングル1位獲得数:12作(女性ボーカルアーティスト歴代4位)
シングルTOP100チャートイン数:44作(90年代デビューアーティスト歴代2位)
アルバムミリオン獲得数:9作(歴代4位タイ、もう一人は松任谷由実)
アルバム連続ミリオン獲得数:9作(歴代1位)(HOLD ME〜ZARD BEST 〜Request Memorial〜)
アルバム1位獲得数:11作(女性ボーカルグループ1位タイ、もう一つのグループはDREAMS COME TRUE)

[編集] 坂井泉水逝去後の評価
坂井泉水の逝去をきっかけにZARDが社会に与えた影響を総括しようとする試みが一般のメディアの間でも見られるようになった。2007年6月18日の『クローズアップ現代』(NHK)[5]では「時代を励ました歌」と題して特集を放送し、ZARDの音楽に励まされてきたファンの声を紹介した。この番組にゲスト出演した音楽評論家の富澤一誠は、岡林信康、吉田拓郎、尾崎豊といった日本のポピュラー音楽史の重要人物と比較対照しつつ、ZARDの音楽のあり方を“時代の伴走者”と規定した[6]。年末には坂井の特集記事を組む全国紙もあった[7]。

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2007年9月8日

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カテゴリ
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