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ニトロ (NITRO)

ニトロ (NITRO)

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詳細 2015年2月9日 23:36更新

(西)日暮里アンダーグラウンド第一世代

そんな伝説のバンド、ニトロ(NITRO)のコミュ

◎メンバー(現時点の最終ライブ時)

理事長 伊崎健太郎

Vo/Gt 石村裕介
Key/Vo 伊藤雅臣
Ba/cho 宮内祐仁
Drm 上地安司


・1996年度
 メンバー全員同じ中学に入学。石村と伊崎と伊藤は同じクラスで席も近く最初はこの3人で何かしらつるんでることが多かった(その内容は余りに多岐にわたるためここで網羅するのは不可能というよりめんどい)。その一環のような形でニトロは生まれる。バンド名の由来は「地下鉄の路線図に書いてあった『メトロネットワーク』という言葉の響きに惚れてメトロにしようとしたらダメ出しを受けてダメ出しをしたメンバーの発案も含めてニトロになった」とのこと。当初はメンバーが8人くらいいる大所帯の予定というよりは構想のみで(先の改名はこの大所帯構想に入ってたメンバーの一人によるものである。名前の響きと後のバンド自体の影響の大きさを考えるともしやバンド史上最も大きなの貢献うちの一つにあたるといえる)実際の活動めいたものも特になかったが同年の文化祭にて石村と伊藤のみで(ほんのちょっとだけだがバックダンサーが姿を現した)クラスの催しの一つとしてライブデビュー(これを公式のライブ扱いにするかは議論の必要があるのかもしれない)。終演後ライブを否定された伊藤は「僕の音楽を良いといってくれる人が一人でもいる限り僕はやめない!」という大名言を残している。この頃宮内も上地も特にニトロへの加入のような動きは無い。ただ宮内は石村と家が近く小学校時代からの知己であり、上地は小学校6年の2月あたりから伊藤とは知り合うようになっている(ちなみに上地のクラスの音楽の授業で隣に座っていた伊藤と同じ音楽部の人間が伊藤の曲を弾いたりしていてそれで上地はニトロのことを知ることとなる。また上地と宮内はバレー部で知り合う。)(余談にもほどがあるがこの年の夏休み頃から上地は作詩のようなものを暇つぶしも兼ねて始める)。この年の後期に伊藤によるピアノ独奏の形式での(歌のラインもピアノ)カセットテープが作られる。収録曲は「愛鷹山」「my room」「かんちがい」「In All It`s Glory」「信長のテーマ」「ナマイカ」等。
この一年間は校舎の一階を使ってたこともあり中庭で伊藤・石村・伊崎のいた組の前では黒板消しをバット代わりにした野球が流行っており(SideBySideを経て後にchamiのドラムとダンス担当となる沼澤がほぼ常時参加していた)打席を待つ間や参加してないときでもよく伊藤は椅子を叩きながら自作曲やしゃ乱Qの楽曲などを歌っていた。
また公認ファンクラブ『キムワイプ』も発足。クラブ名は生物実験室にあったティッシュの名前をまんま頂戴したもの。会員第一号は生物教師であったO山先生。2007年3月に行われた同窓ライブのときに来場してくださった先生はその会員第一号の証明となる伊藤作による会員証を今も財布に入れてくださってました。泣けた。


・1997年度
クラスがえにより石村と上地が同じクラス(しかも前後で並ぶ)になる。偶然授業中に石村が机に彫ってイタズラ書きしたSPITZという文字に上地が反応しそれにより一気に打ち解けるスピードが速まる(また伊藤も石村も上地も4人組アイドルのSPEEDを結構惚れ込んでいた)。そして上地が石村に詩を渡したところ翌日に曲をつけてきてくれたことから徐々に上地もニトロの活動に加わるようになる。更にこの頃には中1の時点で発足していた勝手組織の一つ『KMC(開成漫画クラブの略。代表は伊崎)』にも上地は関わるようになる(バレー部退部後に上地は伊崎の所属するバスケ部に入部することとなる、三ヶ月くらい)。この時期は特に石村の曲の量産体制にすさまじいものがあった。そしてテープレコーダーにラジオ番組形式でニトロのリクエストものをやりリクエスト曲は実際に演奏して吹き込むようなスタイルでカセットテープを伊藤と石村はやたらと消費する、現在も伊藤と上地にカセット愛好癖があるのはこれに由来すると思われる。このときに石村か上地に借りたテープレコーダーを伊藤はとんでもないところにしまい込み使いにくい代物にしてしまった。まだこの時期もメンバーは固まってはいないが伊崎伊藤石村上地の布陣はここで揃う。やがて上地も楽器も担当するつもりとなり一度ベースを購入するが微妙に面倒くさいこともあって常にバンドを悩ませるよくある「ドラム誰やる?問題」に対して「同じリズム隊なら指先で扱うよりぶっ叩くほうがいい」という言い訳を生みあっさりとドラムに転向する。それにあわせて一人でギターを楽しんでた宮内を石村がベース教えるかたちでベース担当として加入することとなり最終的に伊崎伊藤石村宮内上地の布陣となる。
この年に「街」「toHeaven」「あのとききみはわらったね」「ちいさい時」は生まれたものと思われる。ちなみに石村作の「ちいさい時」に伊藤が鍵盤のアレンジをつくりあげた翌日それを録音したテープを持ってきて「これでレコ大獲れる!!!!」と大騒ぎしていたことなどがあるがそのような発言は曲が完成するたびにメンバーの誰かしらが毎度必ず口にしていたようなことであった。

・1998年度
5月の文化祭オーディションに出場(同学年では結果的に後のchamiとなるSideBySideとあとINFINITY)、その時の演奏曲は「踏切」「意地悪なやつ」「日暮里エレジー」。3曲とも作詞作曲は伊藤で編曲の大半も彼が手がけており、パソコンのソフトを使い相当な時間をかけて「踏切」のバンドスコアを製作した(後に「街」もスコア化されている)。練習場所は主に学校内のLL教室、ごくたまに上地が当時在住していた錦糸町の島村楽器店内のスタジオで行われていた。中3ながら全曲オリジナルであることや中3の割りには弱冠態度がでかかったことや審査員の影響もあってなんと4位という順位を獲得することとなる。またこのオーディションには宮内は所属してたバレー部の試合もあって出演できなかったため「踏切」のみ石村がベースを弾く。この順位のアドヴァンテージやオリジナルという点から考えてもテープを作って提出さえしていれば後夜祭とはいかずとも中夜祭には確実に出場できていたと思われる。
ただこのオーディション以降本番へ向けて自分らへ勝手にプレッシャーをかけるようになりそれが各メンバー同士に亀裂を少しづつ入れるようになっていく(あくまで優しく包み隠してこの表現であるということをご理解いただきたい)。それによりせっかくの夏休みは2回くらいしか練習していない。
そして夏休み明けて9月の文化祭本番。合計3回出演(土曜午後に一回、日曜は午前に一回午後に一回、午後に関してはどれも美味しい時間帯だった)。
演奏曲は「太陽」「街」「日暮里エレジー」「ミトコンドリア」「意地悪なやつ」「あのとききみはわらったね」「to Heaven」「ちいさい時」を軸に日曜午前のみ「踏切」を日曜午後には「いいじゃねーか」やメンバー紹介そしてアンコールにもう一度「ミトコンドリア」を演奏した。同学年内にてもそこそこ知られてたり伊藤の音楽部(軽音ではない)の演奏会の提携校の女の子達やメンバーの保護者や少しばかり先生もきてくださったことにより(特に日曜午後は)かなり盛況だったのではないだろうか。
また文化祭当日の服装のバラバラ具合も素晴らしく『伊藤は学ランではないものの正装(ネクタイだったような気がする、要確認事項) / 石村はカジュアル / 宮内は学生服 / 上地はすぐバスケできそうな格好』であった。

 そして文化祭後事実上解散。2005年頃に一度再結成を試みるも失敗。2007年に一度だけ伊藤上地石村の3人でスタジオに入り今後の動向が少しだけ気になる。

『解散後』
・伊崎はその理事長を務め上げた力量を存分に生かすべく現在法曹界への期待のホープとして勉学に勤しんでいる。ニトロの人気曲の「ミトコンドリア」は実は彼のトンデモな一言がきっかけとなっている。実はニトロ結成当初の予定では伊崎はベースという構想だった(これに関して伊崎が特に音楽活動へそこまで直に関わることへの自信の無さや自身が左利きであることの不利性(これは明らかに思い込みなんだが)も含めてゴネたときに石村が「だってポール・マッカートニーは左利きじゃんかよ」と言ったのはプチ有名)。

・伊藤は音楽部内で発表する活動のみとなりながら実際に高校内のバンドシーンにおいては表舞台から身を潜め(本人曰く「干されてた」)、遂に2007年3月に「小森進一」と名乗り同窓ライブに出演、以降は「ジャスト・ドゥ・伊東」と改名を経て現在秋葉原を中心としたライブハウスやスタジオライブに降臨。ニトロを失ったことがよくもわるくも現在の彼の神々しさへの影響があったといえよう。そう、まさに彼は実は神であったということである。またニトロ時代以上に名曲を量産しつつもそれらの破壊と構築を同時に行ってしまうような降臨は一度は観ないと成仏なんてとてもじゃないができたものではない。
何度も音源製作を宣言しながら未だに実現されていないのは人類に与えられた試練の一つ。
なおジャスト・ドゥ・伊東という名前は伊藤と上地が電話にて「ナイキのJustDoItだよ」といった発言を受けて伊藤が「It」を自身の苗字に置き換えたものが由来である。YouTubeにてアップされている『世界基準』において「LetItBe」のカバーを試みたときにもそれにちなんだMCをしている。
このコミュニティのリンク先に彼のコミュニティがあるので是非参加するなりして欲しい。

・石村はニトロ解散後はパートをベースに換えてこれまたギターに転向した宮内とProofなるアコースティックユニットを結成、高校の文化祭などで大入りのライブを行うも現在は活動停止(代表曲は「to Heaven」なんとも皮肉なものである)。再結成失敗後はポップバンド「Love Laugh」「Rhum CoCo(LoveLaughとドラム以外同メンバー、前身バンドよりも音楽性の幅は拡がっていた)」を率いるも2006年12月に解散。2007年3月の同窓ライブには「Proof」として久々に出演した(RhumCoCoのボーカルを担当していた人と上地と伊藤はchamiの関岡を交えて「トーキョー乗り合いタクシー(仮)」という名義でchami主催企画「肛門大爆発vol.1」にて演奏している)。石村は現在一人で弾き語り活動に向けて準備中とのこと。宮内は不明。

・上地はギターに転向し学校外でちょこちょこ入退を短期間で繰り返しながら(高1の頃ほんのわずかな期間だけProofのバンドスタイルでの演奏時にドラムで参加)2006年に中学時代からの友人と「紅壺」を結成、ようやくパーマネントな活動媒体をもちまたボーカルも担いながら例の同窓ライブにて出演。現在はその友人のリタイアなどもありギタリストと上地の2人だけのユニットとなっている。また解散後伊藤の降臨場の一つとなっているスタジオライブは上地が関岡と共同で主催しているものである(今は統括名称としてJapanRecords名義での主催)。また関岡と共に思春期清算型土曜日9時系ハードコアユニットの「セクシーナゲッツ」としてアルバム一枚を製作済み、そして現在は『m-flo方式』を採用し女性ボーカルをフィーチャリングする方法で次の一手に向けて活動中のはず。

・現在ニトロの音源は文化祭ライブの土曜と日曜の午後の2回からセレクトされたライブアルバムのみ(録音は伊崎)、映像はおそらく各メンバーがそれぞれ所有しているものと思われる。いわゆる音源といったものが存在していないのが本当に悔やまれる。

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参加メンバー 8人

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開設日
2005年7月30日

4145日間運営

カテゴリ
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