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人見明

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詳細 2015年2月15日 22:10更新

「バカ」「大バカ」
この二つの言葉を発したら右に出る者はいない、「日本一」否「世界一」の名「バカ」俳優。
前々から気になっていた御仁で、植木等代表作「ニッポン無責任時代」での中北千枝子との下宿屋夫婦設定は特に印象深かった。いい女(確か…中島そのみだった)が下宿に訪問して来たからと、喜び勇んで「ハイ只今っ!」と出て、女房に張り倒されるなど数々の名シーンを世に送り続けて来た、東宝クレージー映画には欠く事の出来ない大人物である。
「日本一の色男」から始まったといわれる氏の決めゼリフ「バカ」にはかなりの定評があり(管理人も大好物!)、かの監督・古澤憲吾も「あの絶妙な間は人見明にしか出来ない!」と手放しで誉めちぎっていたという。
クレージー好きは勿論の事、氏の「バカ」にべた惚れしている方、全員集合!!

人見明(ひとみあきら)
1922.11.16 -
東京府北豊島郡板橋町出身
板橋第四尋常小学校を経て、’37年に第一尋常高等学校を卒業。大森区の軍需工場・東京計器製作所に勤務の傍ら、同僚と結成したアマチュア歌謡漫談グループを率い軍隊慰問に歩く。’43年横須賀第二海兵団に入隊。終戦後の’45年12月、アマチュア時代の仲間と歌謡漫談スイングボーイズを結成し吉本興業に入り、プロに転向。浅草空気座などの舞台に出演した後、’47年新メンバーで人見明とスイング・ボーイズを再結成、リーダーとなる。映画館のアトラクションなどの地方回りを経て、NHKラジオ「放送演芸会」「ラジオ寄席」にグループで出演。アコーディオンを片手に歌と軽妙な漫談で売り出す。その後テレビにも進出し、新宿コマ劇場での舞台単独出演をきっかけに、’67年グループから独立。以降コメディアンとしてテレビ・映画・舞台に活躍。

出演
男はつらいよ 寅次郎の休日(1990)
キネマの天地(1986)
男はつらいよ 柴又より愛をこめて(1985)
男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎(1984)
男はつらいよ 旅と女と寅次郎(1983)
男はつらいよ 花も嵐も寅次郎(1982)
港町紳士録(1979)
続人間革命(1976)
青い山脈(1975)
ムツゴロウの結婚記(1974)
ルパン三世 念力珍作戦(1974)
高校生無頼控 感じるゥ〜ムラマサ(1973)
若大将対青大将(1971)
やくざ刑事 俺たちに墓はない(1971)
日本一のショック男(1971)
だまされて貰います(1971)
日本一のワルノリ男(1970)
喜劇 あゝ軍歌(1970)
ずべ公番長 東京流れ者(1970)
日本一のヤクザ男(1970)
どですかでん(1970)
喜劇 負けてたまるか!(1970)
クレージーのぶちゃむくれ大発見(1969)
クレージーの大爆発(1969)
コント55号 人類の大弱点(1969)
奇々怪々俺は誰だ?!(1969)
クレージーメキシコ大作戦(1968)
兄貴の恋人(1968)
幕末 てなもんや大騒動(1967)
日本一の男の中の男(1967)
爆笑野郎 大事件(1967)
クレージーの怪盗ジバコ(1967)
クレージーだよ 天下無敵(1967)
怒涛一万浬(1966)
クレージー大作戦(1966)
日本一のゴリガン男(1966)
大冒険(1965)
006は浮気の番号(1965)
日本一のゴマすり男(1965)
こちら婦人科(1964)
ホラ吹き太閤記(1964)
西の王将東の大将(1964)
日本一のホラ吹き男(1964)
悪名高き ろくでなし(1963)
日本一の色男(1963)
東京オリンピック音頭 恋愛特ダネ合戦(1963)
ニッポン無責任時代(1962)
若い季節(1962)
ニッポン無責任野郎(1962)
風流滑稽譚 仙人部落(1961)
漫画横丁 アトミックのおぼん 女親分対決の巻(1961)
凸凹珍道中(1960)
爆発娘罷り通る(1960)
若社長と爆発娘(1960)


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カテゴリ
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